9 聖堂でのひと悶着


 若干暴走気味だった神職が、熱弁を無理やり打ち切るような形でエスタ教の時間は終了。

 これが本日最後の授業だったため、席を立った杏樹は聖堂の出入り口に爪先を向け、


「ちょっといい?緋上さん」


 あまりの人の多さに動きを止めた。


「……、」


 口をへの字に曲げて押し黙る。


(これだから全校集会ってのは)


 そうでなくても杏樹は人の多い時間帯を避けて登校時間も早めにしているぐらいだ。


「緋上さん?緋上さんってば!」


 だが聖堂の席順だと男子側のほうが出入り口に近いのもあって、これはどうにも避けられない。

 諦めて持ち上げた荷物を一旦置いた。

 一日の最後の授業なため終われば用事のない者はこのまま帰宅が許されている。そして部活もしていない杏樹は放課後は大抵まっすぐ帰るのだ。


「……っ?」

「ちょっと!」


 ぐいっと肩を掴まれ息を詰めた杏樹が振り返ると、平素より更に目を吊り上げたキツネ目が立っていた。


「え、」

「さっきから呼んでんだから返事ぐらいしろよ」

「あ、うん。ごめん」


 言われてみればさっきから聞こえていた声だ。ちょっと気が抜けていたので自分が呼ばれていると気づいていなかったが。それにしても……


(もともと目元のきつい人が更に吊り上げると、)


 じー、とキツネ目の表情を注視する。


「あんたに話があってさ。最近ちょっと目立ってるから、そういうの続くと気に入らない人達が出てくるから気をつけたほうが……聞いてんの?」

「なんか吊り目通り越してそろそろタテ目になりそうね」

「!?」

「あ、また上がったかも」


 そのうち本当に垂直になりそうな勢いである。

 興味津々で目元ばかり見ていたから気づかなかった。キツネ目の躰がわなわなと震えていることに。


「っ、誰がタテ目だっ」

「ごめん悪気はない」

「ふざけてんのかっ」

「そういうわけでも……あ、人引いてきた。そろそろ帰らない?」


 人でごった返していた出入り口付近が大分空いてきていたので提案してみるが、


「いい加減にしろよっ」


 ますます怒られた。寝起きで機嫌が悪かったのだろうか。今の授業中かくんかくんしていた後頭部を思い出して謝った。


「ごめんって。そんなに嫌なら無理には誘わないから。じゃあ先に帰るね」


 杏樹は仕方なく、するりとキツネ目の脇を通り抜け聖堂を後にした。実にマイペースに。


   ○


 杏樹が立ち去って間もなく。

 ふたりのやり取りを見ていた周囲がついにぷはっと吹き出した。


「た、タテ目だって~……っぷくく」

「確かに……ふふ、なりかねないわねぇ」


 先の杏樹の発言に、縦ロールと口ぼくろは笑いを堪えていたらしい。

 こうなると面白くないのはキツネ目である。


「オイコラ、笑ってんじゃねー」

「お口悪いよ~?……あー、面白かった~」

「どこがだっ」

「まぁまぁ、少し落ち着きなさいな」


 ようやく笑いを引っ込め、口ぼくろは宥めにかかる。


「つか何なの、こっちが親切で言ってやってんのにスルーかよ。名前呼ばれてんだから返事ぐらいしろよ」

「んー、確かにあれはないね~」

「首席だからってお高く止まってんのか?家柄なんて庶民だろーが!」

「だから、少し落ち着きなさいって。あなたまで人の話を無視するつもり?」

「っ、あぁ……悪いな」


 鋭い指摘に一瞬で我に返るキツネ目は案外単純だ。

 ようやくキツネ目が落ち着いてきたのを確認し、口ぼくろは艶冶な笑みを浮かべる。


「ねぇ、さっき話してたことだけど」

「ん~?あっ、例の先輩の話ね~」

「『例の先輩』?」

「人に言うこと聞かせるのが上手な人がひとつ上の学年にいるらしいのよねぇ。知り合いの先輩に聞いたんだけど」


 くいっと口角を上げ、口元のほくろを指でなぞる仕種が実に艶かしい。


「どっちにしろ今のままじゃ『お姉さま方』の餌食なんだし~。そういう人が注意したほうが円満じゃない~?ってハナシ!」


 縦ロールが無邪気な子どものような笑顔で補足する。


「交渉は私がやるわね。あんたはちょっとおとなしくしてなさいな」

「今より気が立って本気でタテ目になられちゃ困るしね~っ」

「だから誰がっ」


「タテ目とタレ目って一音しか違わないのに意味真逆だよね~」


 新しい遊びを見つけた子どものようにキャッキャと邪気無く笑う縦ロール。実に残酷である。

 言い返す言葉もなくキツネ目は諦念の息を吐く。

 口ぼくろが凡そ年齢に似つかわしくない大人びた表情でくすりと笑んで、一連のやり取りを少し離れて眺めていた少女を見る。


「……、」


 「いいわよね?」と同意を求めるような意味深な笑みを向けられた少女は、応えず眼鏡の奥で眸を伏せた。妖しく光るレンズの内側で何を思うのかは誰も知らない。

 その様子を更に離れた場所で背を向けて聞いていたもうひとりの人物が、柔らかな金髪を微かに揺らしていたことも、きっと誰も知らない。

 開け放った聖堂の窓から午後の風が吹きいり、また静かに通りすぎていった。

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