2 体育祭・前半戦
五月某日。
星聚学院大附属高校、春季体育祭。
言わずと知れた件の出来事の、当日である。
(うっわ、視線びっしばしだなぁ……)
体操着でグラウンドに出た直後から、値踏みされるような気配を全身で感じている。もちろん平然とやり過ごした。気づいてません、と言うよりは気にしません、を言外に述べている。
実際わりと人目を引く容姿をしているせいで、見られることには慣れている。だからいちいち気にしてないと言うのも普通に本音。
現在クラスで孤立中の杏樹に一緒に行動するような者はいない。ぼっち継続中である。
女子は同じクラスも他クラスもこぞって杏樹の足を掬いたい。そのために一瞬の隙も見逃すまいとギラギラしている。
杏樹も当然そう簡単に隙を見せてやるつもりはないのだが。
ところどころから「あ、総代の子」「男子がよく可愛いって騒いでるよね」「どれ?……まぁね、顔は確かに」とひそめた声が聞こえてくる。
そこは彼女らとしても「別に大したことないじゃん」とか言いたいところだろう、本当は。
(まことに遺憾ですね、はい)
自分の顔面を内心で勝ち誇る。自分自身の功績ではないので、こればかりは生んでくれた親に感謝だ。
とはいえ、自分と関係のないところで自分のことが話題にされているのは基本的には不快である。杏樹がイラッとした瞬間、強風が吹き抜けた。
「キャッ」
「もーやだ何!?」
今日は穏やかな気候で風も朝からほとんどなかった。だから完全に油断していた生徒達は突然の強風に悲鳴を上げる。
風の名残が嗜めるように杏樹の髪を掻き混ぜて通り抜けて行くのを、見送るように視線を上げてゆるりと瞬く。
そして羨望と嫉妬の混ざった声と視線が途切れた瞬間、さっさと自分の立ち位置に移動したのである。
「おまえ達、無駄話してないでさっさと整列しないか!」
杏樹を見てひそひそ話をしていた他クラスの女子生徒が体育教師に叱責されている声を聞きながら。素知らぬ顔で、少し風に乱された髪を手で撫でつける。
どうやらダラダラ歩いてる間に定刻になっていたようだ。
○
クラスメイトの了承なしに勝手に出したオーダーだが、あの時も言ったように杏樹にはそれこそが最適だと言う自信があった。
(うん、上手くいってるじゃない)
さんざん難癖をつけていたクラスメイト達(主に女子)だが、いざ始まってしまえば無様な姿をさらすこともなく全力で取り組む。なんだかんだ名門校の生徒は真面目で負けず嫌いだ。
今はプログラム序盤の中で、恐らく一番盛り上がるだろう種目『城落とし』の真っ最中だ。
ふたつのチームに別れ、一戦めは大将を戴く騎馬戦。二戦めは落ちている玉を拾って相手チームの城に投げこみ攻め落とすというもの。この学院では一戦めを男子、二戦めを女子でチーム編成することになっている。
「行けぇ、
「落とせー!」
先に仕事を終えた騎馬戦組が、城攻め組を応援している。柔らかいゴムボールを拾って豪速球で投げまくっているのは、よく杏樹に突っかかってくるやや吊り目気味の女子だ。彼女が向こうの城を打ち落とすのも時間の問題だろう。
(やるじゃん、わたし)
内心で自分の采配の正しさに酔っていた杏樹だか、背後から聞こえてきた会話にスッと背筋を伸ばす。
「うわ~、地獄の1.5やだなぁ……」
「そうだよねぇ。応援することしかできないけど、見てるからね」
「多分もうすぐ呼ばれるよね、鬱になりそ」
「が、がんばれ」
他クラスの女子達の会話である。地獄の1.5と言うのは女子の1500メートル走の通称である。
《プログラム20番・女子1500メートル走に出場される選手の皆さんは、入場門に集合してください。繰り返します。……》
言ってる側から放送席からのアナウンスが入った。
歩きながら話していたさっきの女子達も、ひとりは肩を大きく落とし、立ち止まったもうひとりと別れて歩いていく。
一部始終見ていた杏樹は、自分に応援してくれるような友人がいないことはよーくわかっていたので無言で移動開始である。
午前中最後の種目・地獄の1.5に出場する選手が集まる入場門へと。
プログラム20番・女子1500メートル走。全学年・各クラスから女子一名選出・全出場者一斉スタートのガチンコ種目である。
女子の全種目の中で一番走行距離の長い種目であるため、それこそ陸上部で長距離をやっている女子でもなければなかなか厳しい。当然不人気な種目であるため、そういう女子のいないクラスは選出がシビアになりがちである。
クラスメイトの了承なしで勝手にオーダーを出した杏樹のクラスは、揉めようもなかったことを追記しておく。
ほどなくして、女子1500メートル走開始時刻。
《位置に着いて…よーい、》
パァンと破裂音が鳴り響き、スタート位置に着いた女子が一斉に走り始めた。
《今、一斉にスタートです。毎年ある意味体育祭の目玉種目でもある女子1500!今年はどのようなドラマが生まれるのでしょうか!?》
放送席がのりのりで実況に興じている。
お気楽に言ってくれるがこの種目は大方の女子には鬼門だ。ドラマが生まれると言うが、終盤になるとバテてくたくたになった女子がゾンビのようにゴールを目指しているだけである。
《おぉっと?早くも先頭に躍り出た選手が!彼女は……なんと、一年生ですね。緋上選手です!今年の総代、緋上杏樹!》
ざわりと応援席の空気が揺れた。
「マジかよ緋上!」
「運動神経もいいとか弱点なしかっ」
「何でもいい、行け行けー」
「ぶっちぎれ!」
相変わらず空気の読めない男子は大興奮している。手を叩いて大はしゃぎだ。
「ちょっと、うそ」
「そ、そりゃあ自分でエントリーした種目だもの。多少は自信があったんでしょ…」
「それにしたって……速くな~い?」
歯噛みする女子もいれば。
「ふわぁ、すごーい」
「……っ」
驚きすぎて素直な賛辞を送る者、絶句する者などさまざま。
この種目が不人気なのは前述の通りだが、陸上部で長距離を走る者など一部の例外には有利な種目でもある。当然絶賛出場中の選手の中にもその例外はいるはずだ。
にも関わらず、中盤を過ぎても依然トップを譲らず、そればかりか後方の走者がバテて失速していくため少しずつ距離が開いていく。杏樹自身はそれほどペースを変えていない。
そしてそのままのペースをキープし、トップのままゴールテープを切った。
《一着・緋上杏樹選手、断トツでゴールを決めました!素晴らしい走り!》
「はい、どーも」
のりのりの実況に答えるようにぼそりと呟く杏樹。オンマイクの放送席とは違いその声は誰にも聞こえていない。
ふわりと吹いた風がダークブラウンの髪を優しく膨らませる。杏樹は視線を上げ、呼吸を整えながらゆっくりと瞬いた。
美少女の優雅な所作が遠目に見てもわかり、応援席はその光景に息を詰める。
1500メートルの走行に弾んだ呼吸を整えた杏樹は涼しい顔でその場を去った。
……背景はゾンビと化した後続の走者達である。
女子の種目の中でもっともきついと言われる地獄の1.5に出場した者は、その特典として全員参加の種目を除くその他すべての種目を免除される。
杏樹が自らこれに出場した一番の理由がこの特典だ。
(あ~、つっかれた。休憩休憩)
午前の最後の種目なので今からお昼休みだ。午後の部には全員参加の種目はないから堂々と休める。
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