第3話 はじまりの朝

 朝はカーテンの隙間から射し込む朝日でまどろみから醒めた。外は快晴で空気も暖かだった。気持ちのいい日だ。

 寝袋から這い出て、アーシェラは大きく伸びをした。

 ベッドの上ではまだすやすやとリズミカルな寝息が聞こえている。幸せそうな寝息だ。

 アーシェラは首から下げた小さな革の袋を少し汗ばんだ服の中から手繰り寄せ、その中をそっと覗きこんだ。袋の中は暗闇で何も見えなかったが、アーシェラには家族一人一人の顔が見えていた。

「おはよう、みんな」

 囁くように一言呟いて、元通りにそれを胸元へ戻す。

「さぁて……」

 寝袋を元通りくるくる丸めて小さくまとめてから、アーシェラは布団からはみ出た白い足に目をやった。

 相変わらず気持ちよさそうな寝息。起こすには忍びないが……

――かぁん――。

 遠い空に高らかに鳴り響く鐘の音が、朝の澄んだ空気を震わせた。小鳥が呼応するかのように鳴き交わしている。

 手早く衣服を取り替え胸当てを体に着けながら、アーシェラは首をひねった。彼女を起こしてもいいだろうか?自然に目を覚ますことを期待したが、どうやらそんな気配はない。

 先ほど一つ目の鐘が鳴った。待ち合わせは二つ目の鐘の音が鳴る時間だ。まさか自分だけ先に行くわけにもいくまい。

「……おーい、ユリアスー。朝だよー」

 少し考えてから、控え目に枕元で呼び掛けてみる。

「……」

 返事はまったくなかった。安らかな寝息には乱れひとつない。

 ……まるでイヴェルダのようだ……。 ふと、次女の顔を思い出して笑みがこぼれた。ねぼすけのイヴ。普段はしっかり者なのに朝だけ弱い。寝起きはよく色んなところにぶつけたり転んだりしていたものだ。

 イヴェルダは一度寝るとなかなか起きない。そんな彼女を起こすのはみんなの役目だった。みんなで一斉にこう言うのだ。

「起っきろー!ごはんがなくなっるぞー!」

 大家族にとって食卓は戦争だ。起きない者に食事は無い。彼女の家ではこのセリフで大抵の人は目覚めるものだった。

「……ぅ……」

 しかし、ユリアスは眉を軽くしかめただけで、目覚める気配はなかった。

 意外としぶとい。

 アーシェラは顎を撫でた。これで起きないとなると、奥の手を使うしかないか……。

 アーシェラはベッドに静かに腰掛けると、口の横に手を当てて大きく息を吸った。

「起きろーっ!!起きないと――キスしちゃうぞ!!」

 がば。

 布団が急に起き上がった。

 頭の近くに座っていたので、細い背中とくちゃくちゃの銀髪しか見えないが、その表情は想像がつく。

 イヴェルダはいつも、そのセリフを聞いてもなお寝続け、7人のキスを顔面に降らされて飛び起きるのだった。姉妹の中でもクールビューティーを気取った彼女が最高に崩れた顔をする瞬間だ。眉を目一杯しかめ、口をへの字に曲げ、べたべたした顔を必死に袖で拭いながら言うのだ。『……きっもちわりぃ……っ!!』

 そんな彼女の顔を見て皆でげらげら笑うのが日課だった。

 ユリアスもきっとそんな顔をしているに違いない。

「おはよう」

 笑いを堪えながら声をかけると、ユリアスは肩越しにゆっくり振り向いた。しかしその表情は想像とは違った。

 最初、怒っていると思ったその顔は、どうやら怒りによる紅潮ではないようだった。

「そ……その顔で……そんな冗談言うのやめてよねー!!」

 また、枕が飛んできた。

 しかも今度は至近距離。

「ぶっ……」

 顔面に枕をうけ、アーシェラは鼻を押さえた。

「ご……ごめん……」

 詰まったような声で謝ると、ユリアスはしばししかめっ面で動きをとめたあと、突如ぷっと吹き出した。

「ごめん、起きなかった私が悪いわね。下でご飯食べて待ってて。すぐ支度していくから」

 長い銀髪にわしゃわしゃと指を入れながら、ユリアスはすっくと立ち、てきぱきと支度を始めた。それを見てアーシェラは一つ頷き、そっと扉の外に出た。


 朝食はふかふかの白いパンと目玉焼き、野菜のたくさん入ったスープにミルクだった。

 パンは女将さんが焼いたらしく、出来たての何とも言えない芳醇な香りがした。朝のまだ眠っていた胃に温かなスープが流れ込むやすぐに、忘れていた食欲が一気に目覚めた。思わず休む間もなく料理を口へ運ぶ。スープの熱さもそれどころではなく、僅かな舌の痛みも構わずにあっという間に平らげてしまった。

 なんて贅沢な朝食!アーシェラはぐびぐびとミルクを飲み干し、とんっとそれをテーブルに置いて息を吐いた。

「まぁ、いい食べっぷり」

 それを見ていた女将さんは、にこにこと微笑みながら言った。

「あ……すみません……あんまり美味しかったもんでつい……」

 恥ずかしいところを見られたと頭を掻いていると、奥から宿のご主人も現れた。

「そんだけうまそうに食ってくれると作りがいがあるな。おや、ユリアスは……」

 苦笑いをして階上を指し示すと、ご主人はやれやれといった様子で首をすくめた。しかしその困ったような顔も、自分の娘を語るような親しさが見え隠れし、どこか嬉しそうだった。

 ご主人はアーシェラのグラスにミルクを注ぎ足し、机を挟んで彼女の正面に座った。

「あの子が『家』の子以外の人を連れてくるのは初めてだな」

 主人の後ろで、女将さんが微笑んだまま頷く。

「アーシェラさん……と言ったかな。あの子はいい子だろう」

 アーシェラはええ、と答えた。

「素直すぎて時々失言をするが、根は思いやりがあって本当にいい子なんだ」

 わかります、と頷く。

「あいつには同じ年くらいの友達が必要なんだと思う。仲よくしてやってくれ」

「……」

 宿屋のご主人が言うには少々奇妙な話だとは思ったが、アーシェラは素直に頷いた。

「仲良くしてもらうのは私の方です。私はもうすっかりユリアスのことが大好きですから」

 ご主人は眉を寄せて笑った。

「これは……余計なことを言ったかな。でも、ユリアスのことを気に入ってくれて私もうれしいよ」

 まるで本当の親のような二人に内心首をかしげながら、それでもこういう関係もあるのだろうと自分を納得させてアーシェラは微笑んだ。


「ごめん!アーシェラ!行こう!」

 ばたばたと階段をかけ降りる音がして、三角帽子が現れた。

「朝御飯どうするね?」

 おじさんの言葉に、ユリアスはごめん、と両手を合わせた。

「時間なくなっちゃった。パンだけ持ってくね!」

 言うや、ポケットから黒い布を取り出して、バスケットに入っていた白いパンを二、三個包む。ほれ、と差し出されたミルクのグラスだけを一気に煽ると、行ってきます!と外に飛び出した。

「あ、待って!ユリアス!……えっと、ごちそうさまです、これお代です」

 置いていかれたことに慌てながら、アーシェラは懐から銀貨をいくつか取り出し、女将さんに手渡した。

「おや、多いよ」

「いえ、受け取ってください、じゃあ行ってきます!」

 返事を聞く間もなく、アーシェラは宿を飛び出した。

「あらまぁ、せっかちな子達だねぇ」

 女将さんののんびりした声を背中に聞きながら、アーシェラは一生懸命ユリアスの後を追った。

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