第3話 ヒュドラ

「なるほどの。我をカード化して持ち歩くというわけか」


 俺の目の前に出てきたミネルヴァがふむと頷きつつ、顎に指先を当てた。


「もうちょっと離れることはできないかな……?」

「赤くなりよって、そんなに我のことが気に入ったのかの?」

「そういうわけじゃなくてだな。近すぎだろ。後ろか横に立てないか」


 鼻と鼻がくっつきそうな距離だと前が見えんだろうに。

 ミネルヴァは霊体みたいにすり抜けるのだが、視界は塞がるのだ。

 彼女は俺の依頼通り、右斜め後ろに移動してくれた。


「俺からどれくらい離れることができそうだ?」

「そうじゃな。五メートル程度かの。我をおとりにするには少し近いかのお」

「いや、そうでもないさ。身を隠すには向いていないがな」

「うむ。すり抜けるからの」


 その通り。

 物理攻撃ができないミネルヴァだが、実体が無いからダメージを受けることもない。

 デコイには使えるが、攻撃を遮断することはできないってことだ。

 

 さて、三度目の正直だ。

 開け放ちになったままの扉から外の様子を窺った。

 ヒュドラは先ほどの位置から移動していない。

 手持ちのスキルで戦闘に使えるのは「理の反転」のみ。


「如何にあやつを滅するつもりじゃ?」

「ミネルヴァならどうする?」

「そうじゃの。長い首を避けつつ、胴体を槍で突く、かの」

「ふむ……」


 正統派過ぎる意見だな。

 問題が二つある。


「あの首、それに尻尾も中々速そうだ。あれを俺がかいくぐるのはちょっとな……」

「案ずるな。我は大賢者。多少時間はかかるじゃろうが、あやつの動き全て見極めてくれようぞ」

「お、おお……それは心強い」


 一つ目の問題点はミネルヴァが何とかしてくれる。

 もう一つは、我ながら情けない理由なんだ……。

 武器はな。大量にある。

 

『カード一覧

 方天画戟

 ブリューナク

 グラム

 天羽々斬あめのはばきり

 ネイリング

 ダークブリンガー

 妖刀ムラマサ

 ……』

 

 神話に語られたそうそうたる伝説の武器が一覧に並ぶ。

 伝説の名がついているけど、あくまで「英傑伝説」の世界の武器ってところを忘れちゃならない。

 他にも無名の両手剣やら片手剣、斧などいろいろあるんだけどさ。

 

「どうした?」

「ま、ちょっと見てくれよ」


 試しに、長槍を一本実体化させる。

 膝をかがめ、両手で長槍を掴むが、もうそれだけでふらつくほど。

 それでも一応、腰に力を入れて突いてみせた。

 

「……ソウシ。お主……」

「鍛え上げられた戦士じゃないんだよ。俺」

「魔法と剣技も使えぬしの。我を選択したのじゃから」

「そうなんだ。だけど、ミネルヴァじゃないとダメなんだよ」


 理の反転は必須だ。

 いくら攻撃魔法や剣技を使えたとしても、一撃喰らえば蒸発して即ゲームオーバーだからな。


「そうじゃの。ポーション(ランク5)でいくかの?」

「うん。基本戦術はそれで行く」

「承知した。いざ参らん」

「おう!」


 ポーションを対象に理の反転をセットして、ヒュドラにぶっかける。

 これならダメージが入るだろ。

 ブリーフィングはおしまい。我、実戦に突入す。

 

 ◇◇◇

 

 境界線を踏み越える。

 待ち構えていたのか、ヒュドラの一本の頭がこちらを見下ろしパカンと口を開く。

 視界が白く染まるが、ダメージはない。

 今の俺にはブレスなど無意味。


「熱線? ブレス? どっちでもいいんだが、どういう軌道を描いてあの白い光が飛んできたのかも見えんな……」

「案ずるな。見えずとも問題ないじゃろ」

「まあな」


 ブレスを回避できようができまいが関係ない。

 ブレスは俺にとってもはや眩しいだけだからな。

 

 もう一発、ヒュドラがブレスを放つが今度は止まらず前へ進む。

 ギギギギギ――。

 後ろで扉が動く音がした。

 振り返らずとも分かる。扉が閉じたのだろう。ゲームスタートすると、扉が閉じ、消えて無くなる。

 その辺りはゲームと同じってことだ。

 

 俺の腕が一瞬で消し炭になるほどの威力があるブレスを放っているというのに、ヒュドラの首や胴体は滑らかに動いている。

 大技使った後って体が硬直したりするもんなんだけど、あいつの場合、ブレスを放った首だけ動きがしばらく止まっている様子。

 八つ首があるんだから、ブレスを放つことによる隙が無いに等しい。

 

「ゲームバランスがおかしいって……」


 思わず愚痴を呟きつつも、三度放たれたブレスに目を細める。

 だが、足は止まらず動かし続け、ついにヒュドラとの距離が五メートルまでに迫った。

 ここからだ。


「ソウシ」

「あ……」


 気が付いた時にはもう体が浮いていた。

 ヒュドラの尾が下からすくい上げるように俺の右腹を叩いていたのだ。

 尾の先だというのに、一抱えくらいの太さがあったなあ……。

 なんて達観した感想が浮かんで来るほど、俺の体はピンポン玉のように宙を舞う。

 

 そのまま天井にぶつかり、落下。

 ――ドシャアアアン。

 派手な音をたてて、地面につぶれたカエルのようにぐしゃあっとなった。

 

「光で見えていなかった……」

「我が見よう」


 全くダメージはなかったが、腰をさすりつつ立ち上がる。


「オーバーキルってもんじゃねえぞ……これ」

「油断大敵じゃ。すぐ前」

「うわああ!」


 そこへ、今度はヒュドラの大きな口が迫ってきた。

 パクン。

 胴体を挟まれ、ヒュドラの首が上へ上へあがっていく。

 足をバタバタさせて抵抗するものの、ビクともしない。 

 ヒュドラの顎が動いて俺を噛み砕こうとしているようだが、理の反転の効果で俺へ牙は通らない。

 対する俺は吊り上げられながらようやく冷静さを取り戻していた。


『ポーション(ランク5)』


 出ろ!

 心の中で念じ、カードを右手の人差し指と中指で挟む。

 左腕のカードフォルダにカードをセット。


「うおおおお」


 アイテムの出現場所は足元だ。

 俺の体は今、地面と平行に地上十メートルくらいのところにある。

 てなわけで、左足の指先から一メートルくらいの高さに瓶が出現した。

 無我夢中で足を振り上げると奇跡的に小瓶に当たり、左手でキャッチ。

 体をくの字に曲げ、ヒュドラの口の中に小瓶を放り込んだ。

 

 ――グギャアアアア!

 耳をつんざくヒュドラの悲鳴と共に、俺は宙に投げ出されてしまう。

 ゴロゴロと地面を転がった俺は、動きが止まったところで両手をつき立ち上がる。

 

「お、おお」


 ポーションを飲み込んだヒュドラの喉元がズタズタになり、首が一本使い物にならなくなっていた。


「幸運じゃったが、首を一つ潰したようじゃの」


 ミネルヴァが流麗な顎をヒュドラに向けた時、ポーションを飲み込んだヒュドラの頭がボトリと落ちる。


「噛みつかれていけば、何とかなるか?」

「いや、そう簡単にはいかぬようじゃな。やはり胴体を攻撃せねばならぬようじゃぞ」


 ぼこぼこと肉が盛り上がり、ヒュドラの頭が見る間に再生してしまった。

 

「呆けるのは後じゃ。右に避けよ」

「お、おう」


 茫然とする俺と異なり、ヒュドラは首の一つを俺に向けてきた。

 右にステップを踏み、辛うじてヒュドラの首を躱す。

 やればできるじゃないか俺。

 今度は姿勢を落としつつ、ヒュドラの首をかいくぐり奴の胴体へ肉迫する。

 

「よっし」


 ついにヒュドラの胴体に辿りついた俺は、ピタリとヒュドラに張り付く。

 小瓶が足元に転がり、そいつを蹴り上げヒュドラにぶつけた。

 

 パリイイン。

 小瓶が割れる澄んだ音と共に中に入っているドロリとした緑色の液体が、ヒュドラの厚いあせた緑色の鱗の上を流れる。

 

「っつ」


 効果はあった。だけど、ほんの僅かに鱗を溶かした程度だ。

 飲み込ませた時と異なって効果が非常に薄い。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る