どっぺる/あわせかがみのなかから

 割れた窓から差し込む日光が、寒々しい部屋の中を照らす。

 向き合った二枚の鏡の間には火の消えたロウソクといびつな人形。

合わせ鏡の中の光景は無数に広がっている。その表面が、石を投げ込んだ水面のように揺らめく。

揺らめきは部屋の窓にも映り、ガラスの向こうの街並みを揺らす。

その方向に双眼鏡を向ければ、見えたはずだ。流行の服を着たマネキンの収まるショーウィンドウ。ブリーフケースを手に提げたサラリーマンが足早に通り過ぎる。その表面にもまた揺らめきが広がり――その揺らめきから、ブリーフケースを持った腕が飛び出し、腕から先もガラスから抜け出した。歩道に降り立つと何食わぬ顔で雑踏に紛れこむ。

その視線の先には、全く同じスーツを着て、瓜二つの顔をして、同じようにブリーフケースを下げたサラリーマンが歩いている。



 教室から命からがら逃げだしたコウスケは、気が付けば駅前の繁華街まで来ていた。一緒に逃げた生徒たちは見当たらない。部活帰りによくたむろしていたコンビニの前で、ようやく立ち止まる。

「……なんだったよ、あれは……」

 荒い息に紛れて零した言葉が震えていた。喉は干上がり、心臓は早鐘を打っている。

 目の前で消えた三人のクラスメイトの最期が目の裏に焼き付いて離れない。とにかく乾いた喉を潤し、一息つきたいとコンビニの中に入る。と、スマートフォンが音を立てた。クラスのグループチャットの通知が十件以上溜まっていた。見ると、混乱したコメントが一面に並んでいる。

『なあ、何がおきたんだよ』

『ねえ、カナとマコ、あれなんかのイタズラだよね? マジでビビったから、もういいでしょ?』

『そうだよ、もう出てきてよ』

『いや、ぜったいあれは化け物だったって! あいつらは俺たちそっくりで、俺たちを殺す』

『ドッペルゲンガー?』

『落ち着け、そんなのいるわけが』

『みんなどこにいるの?』

『家にいる』

『怖くて外に出れない』

『学校はどうなってんの』

『もうあいつらでいっぱいかも』

『じゃあみんな死んじゃってるの』

『まだ外。公園にはあいつらはいない』

みんなの書き込みを見て、コウスケも『駅前のコンビニにいる』と入力しかけ、

『待ってみんな、これさ、あいつらに見られてるってことない?』

 次に表示されたコメントで、手が止まる。

『え』

『は?』

『今ここで話してコメント見てるのが本人じゃなくて、アイツらの一人だったら? 居場所を言っちゃたら、襲われるんじゃない?』

『そんなはずないだろ』『変なこといわないでよ』

『ありえないなんて言いきれないでしょ アイツらはわたしたちにそっくりだし、同じスマホを持っててもおかしk』

 半端に途切れたコメント。そこから先は、しばらく誰も発言しなかった。

『おい?』

『まってよハルナ、まさか、うそでしょ?』

 コウスケも、信じられない気持ちで画面を見つめていた。画面から目を離すと、聞きなれたBGMの流れる店内は溢れるほど商品が並べられていて、レジの中では店員が小銭を整理している。

 学校で起きたことも、スマホの中に広がる恐怖も、

 どこか遠いところで起きた事件のようで。このまま家に帰り、食事をして、風呂に入って、眠ればまた同じ日常がくるような。

 

だが、彼は見てしまった。  窓の向こう、コンビニに向かって歩いてくる、自分と同じ顔をした学生服の少年を。

 思わず漏れた声と、スマホが床にぶつかる音。レジの店員が訝しそうにこちらを見る。

 まだ、店の外の『コウスケ』はこちらに気づいていない。片手に持ったスマホの画面を覗き込んでいる。そして、指先で何事かを入力していた。


 床に落ちたスマホが、振動した。

 弾かれるようにスマホを拾って立ち上がり、店内奥のトイレに駆け込み、鍵をかける。利用者をセンサーが感知し、照明が点く。青い顔をした自分が、鏡の中にいた。

 とっさの行動だった。激しくなった脈と呼吸のまま、画面に新しいひび割れの走ったスマホの画面を見る。

 新しいコメントが送信されていた。それも、コウスケ自身のアカウントから。

『コンビニでみぃつけた 今からいくね』

「……っ!?」

 再び口から飛び出しそうになった悲鳴を、なんとか押しとどめる。

 『あいつ』は、もうコウスケがここにいることを知っている。

 だが……だが、このまま閉じこもっていれば。『あいつら』も、諦めるのではないか。そうでなくても、ここから警察を呼べれば……。

 やけに大きな足音がゆっくりと近づいてきて、ドアの前で止まる。

 ドアノブが周り、二度、三度と引っ張られる。目を見張って揺さぶられるドアを見ているのがとんでもなく恐ろしかった。

 やがて、ノブが離され、足音が再び遠ざかる。

 張りつめていた息を長く吐き出す。もうしばらく隠れていよう。そう思って握ったままだったスマホをポケットに戻そうとする。

 もう一度、スマホが振動する。

『トイレに隠れてる。鍵かかってるね』

『じゃあ、直接そこにいくね』

「え……」

 ドアを見る。ノブにも鍵にも異常はない。小さな個室の中で首を巡らせる――自分の焦った顔の映る鏡が、目に入った。その、少し汚れた表面が、まるで硬さを忘れたように波打ち、揺れる。

 鏡の中の『コウスケ』がにやりと笑い、鏡を潜り抜けて個室の中に現れる。得意げに、片手のスマホの画面をこちらに向けながら。

「あ、ああ……」

 目の前の『コウスケ』から目を離せないまま、コウスケは震える足で後ずさる。踵が固いもの当たると、腰が抜けたように情けなく便器の上に倒れこんだ。

 笑顔の『コウスケ』を見上げると、彼はスマホを持っていない手を伸ばしてくる。


 コウスケは、自分の顎は外れたに違いないと思った。何の言葉にもならない悲鳴が、個室に響き渡るのだけが分かったからだ。

 


 鍵の掛けられた無人のトイレの床に、一台のスマートフォンが転がっている。その画面は大きくひび割れ、表示されているチャット画面は乱れてもはや読めない。

 その画面の光が消え、個室はまっくらになった。

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