どっぺる/こないで わたし

地崎守 晶 

 どっぺる/こないで わたし

 マッチを擦る音。ロウソクに火が点き、暗闇に浮かび上がる。ロウソクを乗せた皿を持って、白い手袋に包まれた手が暗闇を漂う。

 虚ろな部屋の中央に、闇に沈んで二枚の鏡が向かい合って立てられている。鏡と鏡の間に、いびつで禍々しい人型がたたずんでいる。針金と粘土細工で作られた、幼児が捏ね上げたようなそれは、頭部に二つの顔を持っていた。一方は笑って、一方は泣いて、それぞれの正面にある鏡を見つめている。

 白い手が、ロウソクを鏡の間に置いた。合わせ鏡は人形の顔を無数に映し出す。笑顔、泣き顔。笑顔、泣き顔、笑顔、泣き顔、笑顔、泣き顔、笑顔、泣き顔、笑顔、泣き顔笑顔泣き顔笑顔泣き顔エアがお泣き顔笑顔泣き顔笑顔泣き顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔。

 手の持ち主は何事かを低く囁き、その声は虚ろに響いた。

 ロウソクの炎が揺らめき、風に吹き消される。合わせ鏡は再び、全き闇に飲み込まれた。



『拡大生放送! そっくりさん大集合2020~!!』

 国際スポーツ大会の開催間近ということでテレビ番組もレギュラー放送はほとんどない。大会とスポーツの特番か、その裏で低予算のスペシャル番組のどっちか。

 で、だいたい尺が長い、CMがやたら多い。ぽけーっと煎餅をかじりながらだらだら見てるのに向いている。

『続いてのそっくりさんは、あの大人気お笑い芸人!』

 モノマネ芸人から一般人まで、有名芸能人のそっくりさんを集めて歌わせたり、持ちネタを披露させたり歌わせたりする。だいたいの人は化粧が濃かったり、でかいカツラをかぶってたり、出オチが関の山。

 と、観客席がどよめいた。

『ちょ、ご本人さんちょっと早すぎるわ! まだ出てきたらあかん!』

 司会の出っ歯の芸人が叫んだ。わたしでも知っている、中堅どころのピン芸人。顔、背格好、持ちネタにしている鍛え上げられた肉体。

 本人と寸分たがわぬ「そっくりさん」……。だが、どうも様子がおかしい。客席の盛り上がりとは裏腹に、スタッフの当惑した気配がざわめきとなって伝わってくる。司会は左右を見回して、明らかに予定と違った様子だ。

 ステージの端から、場違いのように本来の「そっくりさん」だっただろう男性が歩み出てくる、場違いのように。うわあ、かわいそう。新しい煎餅を口に運びながら、呑気に思っていた。このときには。

 やがて観客も何か妙だと気づきだしたころ、ステージ奥のセットが二つに割れ、本物の「ご本人」が姿を現した。定番のスモークとライトの演出がなかったのは、やはりスタッフも動揺していたのか。

 ややとまどった笑顔を浮かべ、二人いる「そっくりさん」に手を振って見せた。

 どうやら落ち着いたらしい司会者が気の利いたアドリブで場をまとめようと口を開いた瞬間、すべてが起こって、

すべてが終わった。

 突然、弾かれたように駆け出した。本物そっくりな「そっくりさん」が、本当の「ご本人」に。誰も止められなかった。

 動きを追ったカメラの画がぶれ、「ご本人」の顔が見える。ムンクの『叫び』。あれが、そのときの表情に一番近いと、思う。

 黒い穴の口から出た悲鳴がスピーカーから響き、わたしがリモコンで音量を下げないうちに。

 つかみかかった。「そっくりさん」が、「ご本人」に。

 そして、弾けて、消えた。

 膨らみ切ったゴム風船がぱちん、と破れて、そこに書いてあった模様がぱっと目の前から消えるみたいに、●●●という人間と、その「そっくりさん」は消えた。

 消え失せた。

 映像は激しくブレて、どよめきは大きさを増す。出演者の騒ぎ立てる声、スタッフがせわしなく連絡する声――

 そして唐突に提供画面が映し出され、やたらと多いCMがまた始まった。

 わたしは、ぼうっとそのテレビ画面を眺めて、

 落ち着かず立ち上がり、またソファに座った。

 くわえていた煎餅がフローリングに落ちているのに気付いたのは、三回目になる食器洗剤のCMが流れてからだった。



『【ドッキリか!?】人気芸人●●、生放送中に蒸発!?』

『【恐怖!!!!】異次元からのドッペルゲンガー!? テレビ局が隠す衝撃映像に隠された正体とは』

 CMが終わってみると、青い空と花畑の、「しばらくお待ちください」が映され、そのまま番組の続きは流れなかった。新聞やテレビではかの芸人については行方不明としか公表されていなかったが、僅かに映った「消滅」の瞬間だけでインターネットにいくつも尾ひれのついたゴシップ記事が溢れ、ツイッターのトレンドになるには十分過ぎた。

 「どうも! 盛大なドッキリでした!」と動画がアップされることもなく、ネットはますます過熱した。

 タイムラインを見た限り、番組そのものを見ていなかった人は嘘と断じて批判し、見ていた人は批判したアカウントに罵倒で返し、ますます胡乱な記事が上がった。宇宙人が本人そっくりに化けた、悪霊の仕業、並行世界のもう一人の自分がやってきた、など……。だが、最初から最も多かった説は「ドッペルゲンガー」だった。

 ドッペルゲンガー。

 二重の自分、分身。見たらまもなく死ぬ、見たら死ぬ。昔からオカルト、ホラーではひっぱりだこのモチーフ。リンカーン大統領や、芥川龍之介も見たという。

医学では脳腫瘍や、精神病で幻覚を見るという説。事実なのか作り話なのか分からない体験談の数々。

 そんなものがこの世にいてたまるか。ばかばかしい。

 スマホの画面をOFFにして、あくびと一緒に胸のうちのざわつきを吐き出して、ベッドに入る。

「ごめーんサオリー、現国のノート貸してよ~」

 翌日。高校の休み時間に、B組のカナがやってくる。

「また遅刻? こりないねえ」

「人間はそんなに急にはかわれないのだよ~」

「まったく……」

 しぶしぶノートを取り出し、手渡そうと……

「ごめーんサオリー、ノート貸し……」

 聞きなれた声が、なぞったようにもう一度同じセリフを言う。私とカナはそろって声のほうを見る。

「カナ……?」

 同じ声、同じ姿。鏡に映したように、瓜二つ。制服のリボンの結び方まで一緒。ゆうべのテレビと、同じ……

「カナ!」

 声がうわずった。弾かれたように見上げたカナの顔は、黒い穴のようにぽかんと開かれた口と、光の消えた瞳。そして――

 後から来たほうのカナが、近くにいたクラスメイトを突き飛ばして、冗談みたいな高さでジャンプする。教室に響いた悲鳴。天井近くからまっすぐにカナに向かってとびかかり、カナとカナの顔がキスするように近づいて、そして――

 ぱちん。風船が弾けるような音がして、「カナ」たちは破裂して消えた。

教室中が凍り付く。昼休みのけだるい空気が一瞬で消え去る。みんな、何が起きたのか分からず、自分が目にしたものが信じらず、動きが固まっている。

 わたしは……口をぽかんとあけたまま、カナがさっきまでいた所を見つめる。

 誰も近寄ろうとしないリノリウムの床の上に、伸びきってちぎれたゴムみたいな黒い切れ端が落ちていた。

 それ以外に、カナがそこにいた、という証拠はなにも残っていない。

「カナ……?」

 呟いても、誰も答えない。黒い欠片から、目が離せない。

「ねえ、みんな……カナ、どこにいったの?」

 誰も、答えない。

「ねえ……」

 誰も身動きせず、怯えたようにわたしを見てくる。まるでわたしがカナを消したように。壁越しの隣のクラスの喧噪が、遠くに聞こえる。

 じっと黙っていることがたまらなくなり、もう一度口を開こうとしたとき、突然沈黙が破られた。

 隣の教室から、何人もの悲鳴、絶叫。遅れて、いくつかの破裂音。

「お、おい、今度は何が……」「な、なに……」

 その時、教室中のみんなが思っていたことは、たぶん同じだったと思う。

 なにが起きているのか。知ったら、きっと正気ではいられない。

「いや! 来ないで!!」

 何も分からないまま、消えていなくなるのは、耐えられない。

けたたましい足音。教室後ろの扉が弾け飛び、C組のマコが倒れるように入ってくる。丁寧にデコッた爪が割れているのがちらりと見えたが、それにも気づかない様子で。

「来ないで……こないで、わたし!」

 開いた戸口に、もう一人のマコ。かくれんぼの鬼がほかの子どもを見つけたときのように、にっこり笑っている。その後ろに、私たちA組の見知った顔が何人もいる。

その中に、わたしもいた。

事ここにいたって、ようやく理解できた。

わたしたちは。もうひとりのわたしたちにさわられると、破裂して死ぬ。

わたしたちは、わたしたちに、ころされる。


 にげた。わたしたちは、誰からともなくその場から逃げ出した。マコが助けを求める声を無視して。

廊下で誰かが転んだ。誰も立ち止まらなかった。

「待って……」

 その声が破裂音と共に消えた。その男子生徒の鏡像がいたのを、さっきわたしは見ていた。

階段が見える。もう大勢の生徒でごった返していた。我先にと押し合いへし合いしながら駆け下りていく。段を踏み外した子から、置き去りにされていく。パニックを起こした声が背後からして、余計に足がもつれそうになる。

 一階まで階段を降り切った。

 目の前、昇降口。そこにまた「わたしたち」がいる。

「ごめん!」

 誰かが叫び、一人の背中を突き飛ばす。

その生徒が捕まった瞬間に、わたしたちは駆け出し、玄関ホールからを抜け出した。

 学校の外はまだ高い太陽に照らされて、時折国道から車の通り過ぎる音が響いて、いつも通りのありふれた街並みに見えた。だけど、後ろから迫ってくる「わたしたち」は紛れもなく現実で、とにかく逃げなきゃならない。広い場所に出たからか、みんな散り散りになった。

 心臓の音がうるさくて、そのうるさい音に余計に焦って、息が上がって、足が痛くなる。ペース配分も息の吸い方もまるで忘れて駆け続けて、マンションの階段を上がるころには完全に息が上がっていた。

ようやく、わたしの家のドアにたどり着く。

 カバンに手を入れて鍵を探しながら、乱れた息を吐き出す。ようやく落ち着いてきた。とにかくうちに帰ってきた。今日はもう部屋にこもってしまえば、きっと――

「あれ……?」

 指先が鍵に触れない。カバンの中を覗き込んだが、いつも鍵に付けているキーホルダーのぱんだが、見当たらない。まさぐる手が震えていた。こうしている間にも、「わたし」が階段を上ってきたら――

 この時間ならパートに炒っているおかあさんが、早く帰っていることに望みをたくしてインターホンを押す。

『はい、あらどなたですか』

 足音がして、スピーカーから聞きなれたおかあさんの声がした。

「おかあさん、ごめん、鍵忘れてー―」

 おかあさんが、いた――それだけで張りつめていたものが緩んで、早口になって、


『あなた、だあれ?』

 聞きなれた声が、いぶかしげにわたしに投げかけられた。

「だれって、やだな、わたしだよ、サオリ」

『だって……サオリはここにいるもの』

 困惑した声。

 まさか――

 そして、わたし自身の声が、スピーカーから聞こえた。

『どうしたの?』

 ごく自然に、部屋の中の会話が漏れる。

『なんかアンタだって名乗る子が来たのよ』

 おかあさんは、『わたし』のいうことを全く疑っていない。きっとその姿は、

『え? あ、きっとカナだよ。こないだわたしの声録って遊んでたからそれでイタズラしにきたんだよ』

『あら、そう?』

 頭の中が真っ白になって、ただおかあさんと『わたし』の会話を聞いていることしか出来なかった。マンションの廊下は、日が差しても薄暗い。

『わたしが出るよ、ジュース入れといて?ーーじゃあ、今開けるね、わたし』

 かちゃり、とインターホンを切る音がして、ドアの向こうから足音が近づいてくる。

 まって。今うちにいる『わたし』は――

 二人のカナが、二人のマコが消えた光景が目に浮かぶ。

 このドアが開けられたら、もう一人の『わたし』とわたしが――

 足音が止まる。がちゃり、という音はやたら大きく響いた。

 なにも考えられず、わたしは――目の前のドア、毎日返って開けてきたドアに、とっさにしがみついた。

 ドアノブが回り、わたしのほうに開こうとするのを、必死で抑え込む。向こうの力が恐ろしいほど強い。押し切られそうになり、靴の底が少し滑りかける。右手でノブを、左手でドアを掴んで踏ん張る。

「あれ? どうしたの? どうしてあけないの、わたし」

 『わたし』の声は、わたしにそっくりで、楽しそうで、わたしはぞっとした。

「……やめて……」

「いっしょになろ、わたし」

 押してくる力が強くなる。もう何時間もドアを押し返している気さえして、右手が痺れてきて、手のひらに汗がにじむ。

「やめて……っ」

 汗ばんだ手が金臭く、滑っていく。右手の下でノブが回る感触。『わたし』の力は、信じられないくらい強くなる。

 ドアノブが回りきって、右手が離れーードアとドアの枠に隙間が空く。ドアの上についている鈴が、やかましく鳴る。

 じりじりと、ローファーの底が廊下の上で滑っていき、隙間が広がっていく。

 走って――だめだ。きっとカナたちのように、あっという間に追いつかれる。

 祈るように、わたしは両手でドアを押す。

 そんな努力も虚しく、ドアの隙間が空き――『わたし』と目が合う。


にっこり、と『わたし』は、わたしに笑いかけた。


 その瞳が、笑顔が、胸の中を、抉る。

 わたしは、さけんでいた。おなかのそこからこみあげてくる、こわさで。


「こないで――ちかづかないで、わたし!!!」




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