鈍殿を返してやろう

沢田和早

鈍殿を返してやろう

 上弦の月が荒野を照らしていた。早足で先を急いでいた武人は空を仰ぎ見た。


「あの月が沈めばの正刻。急がねば」


 生き物の気配が微塵も感じられぬ荒野を師走の風が吹き抜けていく。身を切るような寒さの中、羽織も袴も着けず小袖一枚だけをまとって武人は走る。身の内から湧き出る激情によって寒さすら感じられないのだ。


「くそっ、思うように足が動かぬ」


 走っている、武人はそのつもりだった。しかしその両足は枷でも嵌めらたかのように緩慢にしか動かぬ。足だけではない。手も首も胸の鼓動さえも、武人のあらゆる動きが鈍くなっている。


鈍殿どんでんを見くびっていた。これほどの力があるとはな」


 武人ははだけた胸に手を当てた。日に焼けた肌には「鈍殿」の文字が黒く浮き出ている。


「待っていろ。この鈍殿、必ず返してやる」


 もはや記憶は薄れかけている。はっきり覚えているのは一年前の奴の顔だけ。対峙したのは当代きっての呪術師。だがまだ年若い男童をわらべにすぎなかった。だから油断した。剣を構えることすらできなかった。目にも止まらぬ早業で呪符を当てられ、気がつけば胸には「鈍殿」と書かれた札が貼り付いていた。


「それは全てを遅くする呪い。これで貴様の動きは完全に封じられた。神速の剣技を使うことは二度とできぬであろう」

「ふざけるな。剥がせ」


 武人は貼り付いた呪符を取ろうとした。しかし無駄だった。札はぴったりと密着している。まるで札自身が皮膚になってしまったかのようだ。


「術を解除せねば呪符は取れぬ。案ずるな。一年もすればその遅さにも慣れるだろう。ではさらば」

「おい、待て」

「待たぬ」


 武人は追いかけた。だがすでに鈍殿の呪いは発動していた。童の足にすら追いつけぬ。あまりの不甲斐なさに武人は歯ぎしりした。


「わしは諦めぬ。この鈍殿、必ず返してやる」


 それからは呪術師を探して彷徨う日々が続いた。村から村へ、国から国へ、呪いを解くためだけに時を費やした。そうして一年が過ぎた頃、呪術師に関するこんな世間話が耳に入ってきた。


「上弦の月が沈む真夜中、荒野の北にある洞窟に呪術師は出現する」


 半信半疑だった。何かの罠かもしれなかった。しかし一年かけてようやく手に入れた情報だ。武人はこの話に懸けることにした。


「とにかく行ってみよう」


 こうして武人は進まぬ足に鞭打って、今、この寂しい荒野を北に進んでいるのだ。やがて前方に岩山が見えてきた。岩肌にはぽっかりと穴が開いている。


「この洞窟だな」


 上弦の月はまだ沈んでいない。なんとか間に合ったようだ。武人は洞窟の入り口に腰を下ろして月が沈むのを待った。


「おや、おまえは」


 洞窟の奥から声が聞こえた。同時に洞窟内部に広がっていた闇が消え昼間のような明るさになった。


「ああ、あの時の武人か」


 それは紛れもなく一年前の呪術師だった。洞窟が明るくなったのは何かの術を使ったのだろう。


「そうだ。やっと会えたな。鈍殿を返すためにおまえを探し続けていたのだ。さあ、この呪符を剥がせ。それとも命を失いたいか」


 武人は剣を抜いた。一年前は不覚を取ったが今なら斬って捨てる自信はある。

 剣を見せられても呪術師は怯まない。物怖じすることなく武人に対峙している。


「剣を収めよ。考え直さぬか。その遅さでも不自由なく暮らせるはず」

「わしは武人だ。この遅さで戦うことはできぬ」

「農民や町人として暮らせばよかろう」

「わしは武人だ。そのような暮らし、できようはずがない」

「やれやれ」


 呪術師は困った顔をして肩をすくめた。すでに諦めの表情に変わっている。


「一年経てば考えも変わると思ったんだけどなあ。これじゃあ仕方がないね。わかったよ。じゃあ鈍殿を返してもらうよ」

「お、おう。話が早いな」


 突然呪術師の口調が変わったのに面食らいながら武人は胸をはだけた。


「その前に言っておくけど、鈍殿を返した後に後悔しても手遅れだからね。いいね」

「後悔などするはずがない。早く致せ」

「わかったよ。リミッター解除プログラム作動。ターゲットは試作品B10」


 洞窟の壁面から伸びたアームが武人の胸にセットされた。それを確認した呪術師が叫ぶ。


「準備完了、始動!」

「おおっ!」


 武人は歓喜の声を上げた。アームが離れた胸にはもう鈍殿の文字はなかった。


「やっと鈍殿返しを終了できた。これでわしは元通りだ。ほれ、手も足もこんなに速く動く、動く、あれあれ、おい速すぎる速すぎるぞ。止まらぬ止まらぬ。止めてくれえー」


 狂ったように動き出した武人を呪術師は冷ややかな目で眺めた。


「だから後悔しないでねって言ったじゃない。君は試作品の侍ロボットB10。スピード調節機能に欠陥があって当初は解体も考えたんだけど、遅速装置を追加してしばらく様子を見ることにしたんだ。で、一年ほど試作空間で遊ばせて今日呼び寄せてみたんだけど、本人の気持ちが変わらないんじゃどうしようもないね」

「おい、何を言っているのだ。訳がわからぬ。それよりもこの動きを止めてくれ。ああ、腕が熱い。足が熱い。体が燃える」


 すでにB10を構成する体のパーツは肉眼では追えないほど速く動いていた。発生する摩擦熱のために関節部は熱を帯び、一部は出火している。


「当初の予定通り、君は廃棄処分にするよ。一年間ご苦労様」

「おい、待て。鈍殿を返してくれ。鈍殿返してくれえー! うわああー!」


 悲鳴を上げるB10。やがてそのボディは炎に包まれ燃え尽きてしまった。


 月曜劇場名作ドラマ「鈍殿返しの武人」終わり



「えっ、何。これで終わりなの」


 テレビを見ていたボクは呆れてしまった。ずっと時代劇だと思っていたのに最後の最後でSFになっちゃうんだもん。テレビ欄には「予想外のどんでん返しドラマ」とか書かれていて、確かにどんでん返しだったけど、ちょっと強引すぎるんじゃないかなあ。


「きっと締め切りに追われた脚本家が苦し紛れに書き殴ったんだろうなあ。この国のテレビ業界の先が思いやられるよ」


 こんな駄作をテレビで放映してたら、みんな適当な脚本しか書かなくなるんじゃないかなあ。そして手抜きの種は拡散してテレビドラマはますます没落していくんだろうな。


「まあいいや。テレビなんかもうオワコンだからね。さあ、漫画でも読もうっと」


 ボクはテレビを消して自分の部屋へ戻った。


 スクリーンに映し出される「おしまい」の文字。

 流れ始めるエンドロール。



(なによ、これで終わりなの。最低)


 あたしはエンドロールを眺めながら胸の中で不満をぶちまけた。時代劇かと思ったら終盤のSF展開。と思ったら実はテレビのドラマだった。パンフレットに書かていた、『度肝を抜く二回のどんでん返し。この映画を見た時、あなたの常識は覆される』って宣伝文句通り、確かにどんでん返しは二回あったけど、こんなクソ展開なら無い方がマシよ。


(だから邦画は嫌いなのよ。こんな作品しか作れないんじゃこの国の映画業界の行く末が思いやられるわ)


 腹が立ってきたあたしはエンドロールの途中で席を立った。でも、


(ひょっとして最後におまけ映像があるかも)


 と思ったのでUターンしてまた席に着いた。


 武人がSFでテレビで映画な物語   END



「何だ、これで終わりか。結局おまけ映像はなかったのか。ふっ……」


 私はため息をつくとプラウザを閉じた。まったくもって時間の無駄であった。幸運だったのは本ではなく電子書籍、しかもお試し期間だったため無料で読めたことだ。


「時代劇かと思ったら実はSFなんだけどそれはテレビのドラマだよと思わせておいて映画だった、か。まあ『驚異の三回どんでん返し』の売り文句に間違いはなかったけど安直すぎるよな。これならどんでん返しなんか無理に設定せず、時代劇のまま終わった方がよかったのに」


 目を覆いたくなるような駄作だ。もし掲示板にこの作品を絶賛するような書き込みをすれば、非難と反論の書き込みが殺到して、ここ数年で最高のお祭り状態になるだろう。こんな小説を書いているようではこの作家の将来はお先真っ暗だな。少し憐れみを感じながら私は再びプラウザを開き、次の電子書籍を物色し始めた。


 武人がロボットなSFを見ているのはテレビで映画で電子書籍  了



「何じゃ、これで終わりか」


 わしはあとがきを読まずに本を閉じた。今年で卒寿になるわしはこれまでたくさん本を読んできたが、これほどアホアホな小説は初めてじゃ。病院の待合室でいつも一緒になる知り合いが、


「四年に一度の傑作じゃあ」


 と勧めてくれたので読んでみたが、四百年に一度の出来損ないとしか思えんわい。


「そう言えば帯には『怒涛のどんでん返しの襲来』とか書いてあったのう。時代劇、SF、テレビ、映画、電子書籍。どんでん返しがここまで続くと逆に真実味が増してくるわい」


 わしは縁側から庭に降りた。そう、世の中はどんでん返しに満ちている。現実だと思っていても本当は夢だった、なんてことは日常茶飯事じゃ。今、この時にもどんでん返しはどこかで起きているのかもしれぬ。


「もしかして、こうして本を読んでいるわしを楽しんでいる誰かがいるのかもしれんのう」


 わしは霞がかった三月の空を見上げた。誰かの声が聞こえてくるような気がした。



「何だ、これで終わりなのか……






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