わたしと幼馴染みのどっちが大事なんですか!

戸松秋茄子

girlfriend

 傘に入れてくれて、ありがとうございました。


 先輩、ずっと肩が出てましたよね。ほら、学ランが濡れてます。もうちょっとわたしの方に寄ってくれてもよかったんですよ?


 ああ、待ってください。せっかく先輩の家の前まで来たんです。入れてくれませんか。おばさまにもぜひご挨拶を……いない? ならしょうがないですね。挨拶はまたの機会にして先輩の部屋でしっぽりと……


 ちょ、何するんですか。痛いですよ。先輩、意外と力強いんですから加減してください。わたしは冗談も言ってはいけないんですか。


 ははは、いやですね。冗談に聞こえないなんて先輩もつまらない冗談を。


 いいでしょう。先輩がそこまで言うなら今日は帰ります。この傘は明日、学校でお返ししますね。


 ただ、最後にひとつだけ質問させてください。


 先輩、浮気とかしてませんよね?



 ふふふ、とうとう先輩の部屋に入れました。へー、意外と片付いてるんですね。いつ女の子が来てもいいようにしてあるみたいです。


 いやですね。他意はありませんよ。わたしは先輩を信用してますから。


 ただ、わたしにも面子というものがあります。自分の彼氏が家に別の女の子を頻繁に出入りさせているなんて噂をまるっきり無視するわけにもいかないんですよ。


 さあ、先輩。これはどういうことです。わたしは好奇心旺盛なクラスメイトたちにどう説明すればいいんですか。


 わかっていますよ。きっと見間違いでしょう。あるいはわたしと先輩の仲をやっかんだ嫌がらせかもしれません。


 はい?


 いま、なんと言いました。


 わたしの聞き間違いでしょうか、女の名前が聞こえた気がするのですが。


 なんですって。


 じゃあ、家にその女を連れ込んだのは事実なんですね!?


 落ち着いていられますか! ひどいですよ! わたしは先輩を信じていたのに!


 浮気する殿方はみんなそう言うんですよ! 彼女がいる身でありながらただの女友達を家にあげますか!


 どうなんです。先輩。その女とはどこまで行ったんですか。まさかこのベッドであんなことやこんなことをしてはいないでしょうね。軋むベッドの上で優しさを持ち寄ったりは……


 なんですか、そのぴんと来ないたとえ話を聞いたような顔は。先輩は尾崎豊も知らないんですか。もう一七だというのに盗んだバイクで走り出したい衝動に駆られたことがないとでも?


 いや、尾崎豊はどうでもいいんです。先輩の貞操観念はどうなってるんです。ただの女友達とセック――


 いたっ、なんですか。わたしと先輩の仲でいまさら恥ずかしがることもないでしょう。部屋に若い男女が二人きり。他に何をするというんです。


 その女が先輩の幼馴染みというのが本当でも関係ありませんよ。二人きりになったらセックスするしかないんです!



 先輩。


 わたしがこんな茶菓子のひとつやふたつで買収されるとでも? いえ、いただきますよ。マドレーヌに罪はありませんから。でも、それとこれとは別の問題です。


 いえ、殴られたことはいいんです。それよりその女の話ですよ。なんですか、幼馴染みって!


 いいですか、先輩。現実はアニメや漫画とは違うんです。男女の幼馴染みなんてものは存在しないんですよ! 幼い頃からの知り合いだろうがなんだろうが、高校生にもなって家を行き来するような男女がいるとしたら、それはただの恋人です! ただの友達なんて言い訳は通用しませんよ!


 なんです、その寂しい人間を見るような目は。わたしは事実を言ったまでです。


 だいたい、セック――やましいことをしていないというなら、いったい何をしていたんです。


 はあ?


 先輩、そう言えば、わたしが納得するとでも?


 必死で何もなかったことを証明しようとしてるんでしょうが、それなら証拠を見せてください。


 その女に別に好きな人がいて、恋愛相談を受けていたという証拠を。


 

 あの……先輩。


 こんなときにいったい何をやってるんです。話の途中ですよ。届いた荷物なんて後で開ければいいでしょう。


 はあ? 知りませんよ。なんでそんな有名でもない作家の古本がそんな高値で取引されてるんです。


 いいから、話を続けるんです!


 はい? いまさら何を。わたしがここにいるのは先輩の弁解を聞くためじゃないですか。外でこんな話はできません。


 ……いや、言いたいことはわかりました。その女との話も外ではできなかったと言うんでしょう。


 でもですよ、先輩。百歩譲ってそれが本当だったとして、やはり家にあげるのは問題でしょう。先輩は彼女持ちなんですよ? 子供の頃から行き来があったとしても関係ありません。

 

 いいですか、先輩。改めて言っておきますよ。


 幼馴染みなんてものは幻想なんです。いい年して一緒に夕飯を食べたり、お風呂に入ったりはしないものなんです。


 わかってますよ。たとえで言っただけです。幼馴染みと混浴なんて――


 ん?


 ちょっと待ってください。いまなんと言いました。「さすがに一緒に入浴はしない」ってことは夕飯は一緒に食べてるんですか。いえ、すみません。言葉尻をあげつらうようで。


 って、なんですそれ。本当に食べてたんですか。


 しかもなんでボルシチなんてエキゾチックなものを家庭料理に出すんです!


 趣味? ちょっと待ってください。先輩が作ったんですか。


 何やってるんです、先輩。なんで彼女でもない女に手料理を振る舞ってるんですか。しかもロシアの家庭料理を! というか料理ができるなんて聞いてませんよ!


 はっ、まさか……やめてくださいよ。先輩のあの無駄に凝ったお弁当が全部自作だなんて言うのは。


 って、その言いづらそうな雰囲気が何より雄弁に物語ってるんですよ!


 いや、先輩の趣味はこの際どうでもいいんです。しかし、先輩の家はどうなってるんです。おばさまは料理されないのですか。


 なんですか、その間は。何か隠してることがあるでしょう。


 ええ、嘘はついてないでしょうとも。


 だいたいわかってきました。先輩は嘘がつけない人です。ただ、嘘をつかなくても人を騙すことはできるでしょう。


 先輩、たとえばわたしが先輩のご両親に挨拶したいと言ったらいつ頃予定を取り付けてくれます?


 そうですよね。できませんよね。


 ご両親はほとんど家に戻らない。


 そうですね?


 その女と会うときもいつも家に二人きりなんでしょう?


 

 今日は先輩の色々な一面が知れました。


 ええ、ですからもう驚きはしませんよ。だいたい、どうせ部屋で二人きりになるなら家の中に誰がいようが、いなかろうが同じとも言えます。


 しかしですよ、先輩。これはそういう問題じゃないんです。


 いいですか、女子が、家に誰もいないという男子の家にお呼ばれする。その誘いを受ける。それ自体が事件なんです。


 実際にどちらが先に言い出したかは問題じゃないんです。家に誰もいないとわかってて男子の部屋に行くんですから、少なくともその女は先輩のことが好きに決まっています。


 いいえ、それは先輩がわかってないだけです。

 

 しかし、先輩。それならせめてその女の家で会おうとは考えなかったのですか。向こうは誰かしらいるんでしょう?


 は?


 どういうことですか、それ。ちょっと待ってください。前提が変わっちゃうじゃないですか。なんでそれを先に言わないんです。


 どうりできれいな家だと思いましたよ。新築だったんですね。引っ越したのはいつです。はあ。なるほど……そのときからずっと、家が離ればなれになったのにわざわざ行き来を続けてたんですね。



 ここで、整理しますよ。


 先輩とその女は幼馴染みで、先輩は頻繁に恋愛相談を受けていた。


 その女は学校帰りに、わざわざ自分の家とは逆方向にある先輩の家に立ち寄っていて、先輩が晩ごはんを振る舞うことも珍しくなかったと。


 これで以上ですか? もうこれ以上は新事実は出てきませんね?


 けっこうです。


 先輩。やはりわたしは先輩を信じます。先輩は嘘がつけない人です。ただ、少し……いえ、聞いているとかなり鈍いところがあります。


 先輩は本当に浮気はしていなかったのでしょう。もちろん、人によっては別の女を家にあげた時点で浮気と見なすかもしれません。わたしも決して愉快ではありませんが、先輩にやましいところはなかったようですし今回にかぎっては許します。


 しかしですよ、それでめでたしめでたしとはいきません。


 その女、確実に先輩のことが好きです。それだけならかわいいものですが、こうして先輩にちょっかいをかけてきている以上、彼女として見過ごすわけにはいきません。


 はあ、またですか。


 いいですか、先輩。その恋愛相談というのがまゆつばなんです。そんなものただの口実に決まってるじゃないですか。


 プライバシーを慮ってあえて触れませんでしたが――どんな相談内容なんです。相手の名前くらいは聞いてるんでしょうね。


 はあ、そんなのますます怪しいじゃないですか。


 じゃあ、どういう相手なんです。どうせ、先輩もわからないなら、わたしに話したところで個人の特定なんてできませんよ。


 ……って、その女、隠す気ないな!


「ずっと好きだったけど、最近になって彼女ができた」なんて先輩以外にいないでしょう。


 先輩、そこまで言われてよく気づきませんでしたね。


 いいえ、自意識過剰なんかじゃありません。間違いなく好きですよ。


 いや、たしかにその女のことは今日はじめて聞きましたし、会ったこともありませんよ。でも、先輩は近すぎて逆にわからないんですよ。客観的に見たら完全に黒じゃないですか。


 いやいや、そういう態度になるのは、先輩に気を許せばこそですよ。信頼してるから、そっけなくできるんです。


 いい加減、先輩も認めてくださいよ。何かひっかかることでもあるんですか。


 なるほど。その女が先輩にいつも言うことがあるんですね。それが好意をまるで感じさせないと。いったいどんなことを言うんです。


 ……はあ?


 先輩。


 いくらなんでも鈍すぎますよ。彼女として情けなくなってきました。その女に同情するくらいです。


 現実にそんなことを言う人がいるんですね。


「あんたのことなんか全然好きじゃないんだからね」なんて。

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