太陽

 庭で伸びっぱなしのすすきが揺れる季節となった。昔は綺麗に彩られていた花壇も世話する人がなければこんなものだ。うちには腰の悪い祖母と低学年の妹と、怠惰な私しかいない。父はときどき、様子を見に来る。

 ある雨の日、学校から帰ってくると妹の靴がないことに気がついた。出かけるときに残すよう言っておいた書き置きもなかったので、まさかと思って庭を覗くと、彼女はすすきの横に立って張り合うように背伸びをしていた。

「ちょっと、何やってんの」

「ねえねえお姉ちゃん、私のほうが大きい?」

「いいから上がってきなさい。風邪引くでしょ」

 百花は口を尖らせながらも素直に縁側から上がってきた。ちょうど私も雨に濡れていたので、連れ立って浴室へ向かった。

 ドライヤーで髪を乾かしてあげていると、ふと、

「もうお母さん、優しくやってよう」

 そんなことを言った。彼女は自分が何と言ったか理解していないようだった。ただこぼれた言葉であった。こんなことが、週に何回かある。その度に私は、あの日と同じ思いで胸がいっぱいになる。

 母と一緒に公園へ出掛けたのも秋の日だった。朝からひどく曇っていた。百花は三歳で、彼女にとって、最初で最後の母との遠出になった。

 病気のせいであまり家にいられなかった人だけど、それでも百花はよく懐いていたと思う。見舞いのときなど、百花はそのときどきで一番の友達──ぬいぐるみを持っていって、ただ黙って寝ている母の隣に置いた。病室を出るときはなんでもないが、家に帰ると決まって泣き出した。恥ずかしがってあまり話すことはしなかったけれど、そこには崇高な繋がりがあったのだと思う。

 公園へ行ったときも、百花は私とばかり遊んでいた。母はそんな私達を見て微笑んでいた。ときどき悲しそうな顔をするから、代わりに私が笑った。お昼に売店で買った弁当を食べた。母は料理をする気力がもうなかった。百花は母の隣で珍しく「おいしい」と言って笑っていた。

 小雨が降ってきて、母は東屋へ移った。そこはすすきの生えたすぐ側だった。背の高いすすきの影を母は見たのだった。ここにきて母は初めて泣いた。

「千紘は大きくなったねえ。だけど、百花がこのすすきより大きくなる前にはね、お母さんはもう、一緒にはいられないの。ごめんなさい、ごめんなさい……」

 ──謝らないで。なぜ謝るの。私は、あなたにどれだけのことができていたの。謝るべきは私じゃないの。

 浮かんだ感情と言葉は輻輳して、声にならなかった。

 百花はむしろ、これまでで一番明るく笑って、すすきの隣で大きく背伸びをしながら、

「ねえねえお母さん! 私のほうが大きいでしょ? こーんぐらい大きいもん! これで、一緒にいられたよね?」

 これまで母に言った言葉の中で、一番大きくて明るい声だった。母は答える代わりに頷いた。嗚咽に飲み込まれ言葉など居場所がなかった。百花が背伸びしても飛び跳ねても届かないくらい、ずっとずっとすすきは大きかった。けれども母は、何度も頷いていた。

 雨が強くなってきていた。気温も低くなってきていた。百花はずっとすすきの隣で背伸びをして、飛び跳ねて、太陽みたいに笑い続けた。母は空と同じように、延々と泣いていた。誰にも侵すことのできないものがそこにはあった。私はただ、百花の生きていく未来を想った。それが陰った空の下を行くような寂しいものであってはならないと強く思った。

 それから一ヶ月としないうちに母は死んだ。

「やっぱり百花のほうが大きかったね」

 百花の髪を乾かし終えると、背中から抱きしめてそんなことを言った。

「んー? なにが?」

「なんでもないよ」

 百花は子供らしい活発さからさっきのことなどすっかり忘れているのだった。おそらく、母と一緒に出かけたことも、なぜ雨が降るとすすきと背くらべしたくなるのかも、一生思い出しはしないのだろう。

「ねえ、今日は何が食べたい?」

「ハンバーグ!」

 明日こそ、庭のすすきを刈り取ってしまおう。代わりに来年の春にはいっぱいの花で百花を喜ばせよう。そう心に決めた。

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