祭りの後
焔のように美しい紅葉をこしらえた双子の低山が、裾の並木にまで秋の装いを広げている。緩やかな坂を上がった先の煉瓦通りは、その華やかなアーケードの下をくぐって、遠くに見える階段まで伸びていた。ここからは見えないが、山の中腹には小さな八幡宮が奥まった場所に建立されている。
正確には秋冷の候を過ぎたあたりで、もはや夏は振り向いても見えない距離にあった。それでもあの季節を幻視するのは、耳に残ったお囃子のせいだろうか。私達のアパートは隣の山の上にあるから、ここで祭りがあるたび騒々しい音が登ってくるのだった。
私は並木の入り口に立って写真を撮っている。一眼だが、売れないイラストレーターである姉のおさがりだ。私自身も売れない小説家であるのだから、お似合いの姉妹と言えるだろうし、本業をほったらかして写真に没頭する私の方がよっぽど救えないとも言える。ともあれ、飽き性で気移りしやすい私の最新のブームだった。改めて写真に収めると、この並木道は美しい。見えているはずの夏の残滓が写真に写ることはないけれど。
そういえば、お囃子が聞こえてくるのは祭りの当日だけではない。祭りのひと月前くらいから練習をしているのか(このあたりの事情は詳しくない)金曜日の夜になると聞こえてくるのだ。この場所に越してきて三年経つが、とかく都会育ちには乙なものである。神経質な姉はその度に不機嫌になる。
二十も過ぎると祭りではしゃぐ元気もなくなる。代わりに、祭りの当日になると、私はアパートの玄関口に立ってこの通りを見下ろすのだった。並木の隙間から漏れる提灯の灯りを見つつ、活気あふれる声を聞き、屋台から立ち昇る匂いによだれを溜め、そして威勢よく耳にお囃子が転がり込む。
私は祭りにいる自分を想像した。一人では寂しいから、これまで出会ったお気に入りの人々を周りに置くのだ。私は想像の中ではしゃぎ、食べ、笑って、のど自慢の大会に出たりした。子供の頃の幸せが蘇ってくるようで、ありえない想像に懐古的な親しみを感じてしまう始末だった。
この並木に見る夏の残滓とは、私の生み出した妄想の残滓とも言える。唯一真実として残っているのはお囃子の音色だけなのだから。私の周りにいた人々も、今ではどこにいるのかさえ……。
階段から降りてくる人を認めて、私はカメラを下ろした。八幡宮の隣にはさらに上へと伸びる階段があって、尾根を越えた後は裏手の町へと下っていく。この近辺で最も大きなスーパーのある町である。そのためあまり多くはないが、こうやって人が通ることも珍しくない。私は並木の隅に寄って、会釈しながら見知らぬ人を見送った。
私はもうひとり、その後ろから歩いてきていた人物に気がつかなかった。
もう一度カメラを上げると、そこには人が写っていた。まさか誰かいるものだとは思っていなかったため、ついに私の妄想が写真に転写されるときがきたのかと、意味の分からない思考に陥った。躊躇しつつもシャッターを切ると、その人物は私のよく知る人物の輪郭をしていて、ほれ見たことか! と一人頭の中で盛り上がってしまった。強い想いが念写されるに至ったのだ!
「文華、今わたしのこと撮ったの?」
その声を聞いて、私は現実へと引き戻された。
姉の絵里加だった。向こうの町まで買い物へ行っていたようで、持っていた緑色のエコバッグを掲げて見せてきた。
「遊んでるなら家まで持ってもらえる? ここの階段疲れるのよね」
私はおかしな興奮から覚めた脱力感から、大人しくエコバッグを受け取った。
「いい写真は撮れた?」帰りながら、絵里加が聞いてくる。「というか、私のこと撮ったでしょ」
「ああ……どうかな。結果的にはそうなったかも」
「別にいいけど。今度はあんたのこと撮らせてよ、いっつも嫌がるんだから」
「いや、嫌がってるわけじゃあないんだけどさ……」
話しながら、私は姉を写真に収めたときの興奮を思い出していた。
そういえば絵里加は祭りのときはどこにいたのだろう。輝かしい幻影を一人ひとり丁寧に切り抜いていたけれど、その中のどこかに彼女はいただろうか。意識して登場させたつもりはないから、無意識の心が許せば雑踏に紛れていたりするかもしれない。
けれど、いなくていいと思う自分もいた。私が祭りから帰ってくると、絵里加は不機嫌そうな顔でお茶を飲みながら仕事をしている。その後姿は触れることができるし、抱きしめることだってできる。幻ではない。それでいいじゃないか。わざわざ望まなくとも、彼女はすぐ側にいるのだから。喧嘩することもあるけれど、嫌だと思うこともあるけれど、少なくとも、ここにいるのだから。
唐突に、私の中に根拠のない自信が湧き上がってきた。
「ねえ、エリ」
「なに?」
「私、やっぱりいい写真撮れた気がする」
「そ。それはいいけど、そろそろ小説書いたら? 新作の構想どこまでいったの?」
「ああ、いや……それは……」
全く痛いところを突かれた。趣味もいいが、帰ったらそろそろ仕事をしなくては。
お囃子のことなどいつしか忘れて、次はどんな小説を書こうか秋の静けさのなか思案した。
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