009

時は彰がルシェの前から飛び立った時まで遡る。


 遺体の処理を騎士たちに任せてルシェはメリッサとともにその日に泊まる予定だった街、ファルガへ半日遅れで到着した。




「ルシュア様、お部屋はこちらでございます」




 宿の主人に迎えられ、二階の奥にある部屋へ通される。


 ファルガは妖魔の森という危険地が近くにあるため、よほどのことがなければ一般的な観光客から敬遠される悲しい街だったりする。魔物が多く出ることから冒険者が多く移住して住み着き、サービスや設備も自然とそちらに寄せて設計されていた。そのため都会と比べれば宿も造りが簡素な店が大半であった。


 例にもれずメリッサに連れられてやってきたこの宿の外見の印象は庶民的だった。ルシェは確かに王族ではあるが、煌びやかなものに頓着していない。なので、平穏に夜を過ごせればどこでもいいとすら感じていた。だが、部屋に通されてからルシェの評価はがらりと変わった。木製で統一された家具寝具が部屋とマッチし、窓からも森林内にある湖が眺められる。まるで森の中でゆったりとした景色を眺めているような体験ができる部屋だった。高ランクの冒険者にも提供しているらしく、固定客もいるようで繁盛しているのだと主人が教えてくれた。




「ええ、いいところね」




 ルシェ自身、豪勢さよりこういった自然を好む彼女にとっては格別の宿だった。メリッサが気を使って見つけてくれたに違いない。部下の気遣いにルシェは感謝していた。




「お褒め頂き光栄でございます。ご用がありましたらしたら、こちらでお呼びくださいませ」




 そう言って、主人はドア横の棚の上にハンドベルを置く。ハンドベルは実家で何度も使ったことのある使用人を呼ぶ魔道具である。これは魔力を込めて振ることで持ち主へ合図を送るもので、実際に音は出ないため夜でもうるさくないと評判だった。




「わかったわ」


「では、失礼いたします」




 洗練されたお辞儀をして主人は去っていった。


 ルシェの荷物はすでに部屋へ運び込まれており、彼女は完全に手持ち無沙汰となってしまった。今日は公務もないため、夕食の時間になるまで窓の外を堪能することにした。


 そのようなルシェの様子をメリッサは近くに控えながら見つめていた。


 ルシェはさきほどから椅子に座り窓の外を眺めてばかりだった。もしかしたら、先ほどの恩人のことが気にかかるのかもしれないし、サーザンのことで悩んでいるのかもしれない。何か気を紛らわせる話題は……




「ルシェ様。ここの主人、元は帝国の貴族の嫡男だったようですよ。ですが、貴族でいることに疲れてしまったらしくて、爵位を返還してこの町で宿を経営しているそうです。ルシェ様にぴったりな場所でしょう?」




 他の騎士が聞けばびっくりな口調で、メリッサは語り掛けた。唐突な話題提供にルシェは気にした様子もなく答える。




「ええ、ほんとうに。メリッサは気が利くわね。他の人たちったら私を貴重品のように扱うのだもの。互いに気を使って仕方ないわ」




 ルシェはうんざりとした表情を隠すことなくため息を吐いた。




「それこそ王族なのですから文句言っても仕方ないじゃないですか。ですからこうして私が合間を縫って見繕っているわけでして」


「メリッサには本当に感謝しているわ。いつもありがとう」




 くすりと微笑んで、ルシェはメリッサへと視線を向けると彼女も微笑んでくれた。




「ありがとうございます、ルシェ様。ですが、私だけですか?」


「ふふ。そうね、皆にも今度お礼を言っておくわ」


「ええ、そうしてください」




 短いやりとりを終えると、ルシェはまた思いふけった様子で窓の景色を眺めてしまう。何かいい手はないだろうかとメリッサは考え、ふと先ほどの人助けの話をしてみようと思った。




「助けてくださったお方とはまた会えることでしょう。ああそういえば、さっき奇妙な人たちを助けましたよ」




 メリッサの奇妙というフレーズに、ルシェは飛びついた。




「それはどう奇妙なのかしら?」


「武装もすることなく、この国の……それ以外もですが、一般常識がない人たちでしたね。路上で気を失って倒れていたので、流石に私も隊長も見過ごせず救助しました。もしかしたら帝国の密偵という線があったので、念のため身体検査も行ってあります。簡単に応じてくれましたし、魔眼で事実確認の裏が取れているため密偵の線はなさそうです。行き倒れの旅人という判断で隊長がこの町の宿に送り届けています」


「そうなの。人命救助ご苦労様」




 それだけならば、奇妙とは言わないわよね……。


 ルシェは視線で続きを促した。




「はい。どうしてその場所で寝ていたのかと尋ねたら、彼らはどうやら別の国からやってきたといいます。ニホンという私たちが聞いたことのない国からだそうです」


「ニホン……」




 ルシェも記憶を探るもそんな国の名前は記憶になかった。




「私もないわね」


「そうですか。それと、彼らは異世界転生をしてこの国に来たと言っているのですよね。ほんとわけがわからないです。私の魔眼だけだと心配になって、一応クリスタにも見てもらいましたが真実のようですし……」




 特段興味がなく、話半分に聞き流していたが、気になる一言にルシェはぐっとメリッサへと近寄った。




「ど、どうされました?」




 紫の瞳が碧眼を射抜く。




「メリッサ、出来ればすぐにでもその人たちに会わせて」




 力強い主の頼みに、メリッサは断る術を持たず頷いたのだった。

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