008

 森を飛んで移動していた彰は、山の麓に洞窟を見つけるとそこでしばらく暖を取ることに決めた。


 昔は武術の師匠と健斗とで山籠もりもしたことがあるので、野宿でも問題なかった。


 まずは寝床の作成からだな。


 適当に草を集めて敷くことで布団代わりとした。次に食料の確保と行きたいがどれが食べられるのかわからない。そのため、まずは水を捜すことにした。


 偶然にもすぐに川を見つけることができた。


 一端洞窟へ戻り、転がっていた平たい岩にこぶし大の石を使って側面を削っていく。最初は力任せに打ち付けて岩を割ってしまった。戦闘で身に付けた力が暴発したのだろう。何度か繰り返すうちにようやくコツを掴んで、いい具合に削れるようになった。そして簡易の器が出来上がった。器を数個作ると、次は2リットルペットボトル程度の棒状の岩に穴を空けていく。今度は壊さぬよう慎重に縦穴を掘り、中を円錐状に加工していくことで深めの器が完成した。


 ようやく細々とした食器が出来上がったころで外は薄暗くなってきている。


 洞窟を出て手早く草木を集め、細めの木を一本力任せに振った剣で切る。木はあっけなく傾き、他の木の枝を巻き添えに倒れた。騒音で動物が近づいてくると思ったが、やってしまったことは仕方ないと割り切ることにした。


 ナイフで木を解体した後、洞窟へ放り投げていく。ある程度溜まったところで洞窟の中に入り、薪になりそうなものと枝と木の破片と分けていく。丁度いい木を選んで井桁型を組んだ。次に適当な板と破片を使い、火溝式で火種を起こす。うまく火種が付くとそこに枝と少しばかり葉を投入して組んだ木に火が行くことを願う。しばらくして無事火が付いてくれた。


 食べるものがないので、今日は水を確保して終わりだろう。


 只管火が大きくならない程度に木を燃やし続け、炭を作る。先ほど作った棒状の岩に手早く草を敷き、その上に炭を砕いて入れていく。最後に掌に収まるほどの石を敷き詰めれば、簡易ろ過装置の完成だ。


 大小二つの器とろ過装置を持って川へ歩いていく。


 大きめの器にろ過装置を突っ込み、小さい器で水をすくうと石を敷き詰めた方へゆっくりと流し込んでいく。


 それを何度か繰り返し1リットル程度の水を入れると持ち上げて洞窟に戻る。


 これを4、5回繰り返せば飲める水になるはずだ。


 器を交互に使い、五回ほどろ過した水は見たところ綺麗な水に見えた。


 水の確保に成功したためか、わずかだが心に余裕ができた。


 そのため、今日の出来事をどうしても振り返ってしまう。正当防衛とはいえ、4人も殺害してしまったことに、今更ながら震えが出てきた。そして、戻してしまう。




「――おぇっ、はぁはぁ」




 俺は、本当にどうしてしまったというのか?


 日本にいた頃は殺人なんて考えることはなく、無力化して捕まえれば事足りた。だが、あの場で殺気を感じてから、なぜか身体は相手を殺すことだけを意識してしまった。ただひたすらに自分と彼女の身だけを考えたのだ。


 抑えていた、ドロドロとした負の感情が彰の内で巡る。




「なんだってんだ。ほんとに」




 彰はろ過した水を脇に置くと、お休みと呟いて無理やり目を瞑った。しばらくして、気疲れによってやってくる睡魔に彰は身を任せたのだった。




         *




 柔らかい光に誘われ、彰は目を覚ました。視線の先はごつごつとした岩肌で、知らない天井……なんてことはない。洞窟で寝たことは憶えている。


 ちらりと横を向いて外を見れば火のあった場所はすでに消えて炭となっていた。地面で寝たのはいつぶりだろうか。


 身体を起こし、固まった身体を捻ってほぐしていく。




「痛ぅ」




 つい右腕の傷を忘れて動かしたため、鈍い痛みがやってきた。


一瞬にして目が覚めてしまった。


包帯代わりにしていたTシャツを恐る恐る剥す。驚いたことに傷が塞がりつつあった。




「おいおい、嘘だろ」




 傷あとは残るだろうと覚悟はしていたが、いくら何でも治りが早すぎる。


 いよいよ人間離れしてきたことを実感し、彰はこれまで棚上げしていた問題に目を向けることにした。


 昨日の数度の戦闘で、自分は異様な強さを手に入れている。これが異世界に飛ばされた恩恵と思うべきか。




「俺にどんな力が宿ってしまったのだろうな」




 小説通りであれば、お決まりの台詞で見られるはずだ。




「ステータスオープン」




 呟いてみたものの、期待した結果が現れる様子もなかった。


 しかし、昨日の戦闘で敵のステータスが見られることは明白。だとすれば、自身のステータスも見ることもできるのではないかと期待していたのだがそう容易ではないらしい。




「ほかの用語か……」




 そのあともいろいろと知識を総動員して試してみたものの、能力を確認することは叶わなかった。もしや、他人のステータスを覗けるスキルを持つだけで、自分のものは確認できないのか?


 もしくはギルドや神殿が存在し、そこに行けば確認できるのだろうか。パターンの1つとしてあった気がする。


 昨日ルシェに能力について訊くのを忘れたことを盛大に後悔した。




「くそ」




 嘆いても仕方ない。とりあえず判明していることを整理していく。


 俺ができるのはやたら速く移動できること、空まで跳躍できること、意識すれば怪力になれること、加えて回復力も底上げされていること、この4つだ。それ以外はよくわからない。そしてなにより発動条件がイマイチ分からないのが怖い。戦闘を始め、道具や食器を作る時も感覚的に怪力を使用していたので、これはいい。となれば跳躍、高速に動くことは足に由来するため、同じく感覚的に切り替えが可能なのではと考えている。




「試してみる必要があるようだ」




 そして、昨日殺してしまったサーザンとかいうおっさんが言っていた、神。実在するかは別として、黒ローブの奴らもそれを信仰しているとすれば宗教は存在するということだ。彼女、狂信者に狙われるとはご愁傷様としか言えない。


 それがルシェの身近に潜んでいるということは、なかなか危険な状態なのではと彼女の身を危惧するも、これ以上助ける義理もない。我が身をどうにかすることが第一だ。それに信頼できる護衛がいるようだし、いざとなれば彼らが助けてくれることだろう。そいつらまで宗教に染まっていたら知らないが、信頼を置けると本人が言っていたので大丈夫だろう。


 いくら正当防衛とはいえ殺人を犯したことで昨日は一時的にパニックとなったが、今は至って冷静に思考できている。睡眠は偉大だ。


 あと気になったのは、感情が時折おかしくなることが気になる。これの対抗策は瞑想だろうか。異世界での生活が始まって思ったより精神が不安定になっている。


 何か精神安定剤でもあればいいのだが、薬どころか今日をしのぐための食糧すら危うい現状で、何が期待できるというのか。




「さて、町とかでお尋ね者になってないことを祈るか……」




 曲がりなりにもいいとこのお嬢さんの護衛を殺してしまったのだ。ルシェがその辺擁護してくれていると信じたいがどうなることやら。助けた恩があるから無下にされることはないだろうけど、ルシェにどれほど力があるか分からない現状、過度な期待は避けるべきだ。上が真っ黒で罪状として仕立て上げられる危険性は十分ある。そうなったら逃亡生活を続けるしかない。異世界に来て早々お先真っ暗は勘弁してもらいたい。


 彰は気づいていないが、普通の高校生はここまで精神が強くない。これまでの修業の結果が早くも発揮されていたが、本人は知る由もないことだった。




「とりあえずの目標は人のいる場所に出てこの世界と自分の情報を知ることが最優先。あと他に転生


者がいないか探すことだな」




 もし幼馴染たちが飛ばされているのであれば一緒に行動したい。


 だが、もし転生していないのであれば……彼らのことを思うと少し胸が苦しくなる。


 これまで一緒に過ごしてきた家族のような仲間だ。それを失うと思うと心中穏やかではいられない。実の家族も、俺が消えたことでパニックになっていることだろうが、こればかりはどうしようもない。




「どの世界でも生きていることを願うばかりだな」




 こちらに来ていてお互いに生きていれば出会うこともあるだろうと前向きに考え、生きるための行動に移った。


 しばらくこの洞窟が活動拠点となるため、朝のうちに生活用の道具を作ることにした。


 座れそうな大きさの石をコの字型に削っていく。力加減は皿を作って大分慣れてきた。この中で火を炊けば風をしのげるし、湯も沸かせるようになる。煮沸消毒をすればより安全に水を飲むことができるからだ。


 水の次は食料。ということで再び川へとやってきた。


 昨日ははっきりと確認していないため、改めて川を見渡した。幅は大体8メートルほどで思ったほど広くはなかった。川岸でしゃがみ、水を手で掬う。案外綺麗でそのままでも飲めるのではないかとさえ思うが何があるかわからないので控える。




「念には念を入れておくに越したことはないな」




 あらかた確認を終え、洞窟に戻る。


 昨日のろ過装置で不純物を取り除いた水を煮沸消毒していく。昨日はそれどころではなく飲んでしまったが影響はなかったのが幸いだ。野営ができるとはいえ安全な日本で育ったのだ。流石に胃袋まではそう頑丈にできていない。




「もう、腹は鍛えるしかないな……」




 どんな食材が手に入るかわからないが、とりあえず火には通す。加熱処理をしてから少しずつ食べて安全を確かめていくほかなかった。それでも数日は下痢との戦いであると覚悟を決める。


 木の枝を折り、石で先端を尖らせて木槍を作る。銛があればいいが、大き目の石は昨日使ってしまったので、長い石は転がってなかった。あの騎士から奪った剣やローブの武器は今後のためになるべくとっておきたかった。


 川は見た目綺麗であるため、浅底なら肉眼でも確認できた。見たことがない生物が緩やかな水の流れに身を任せていた。しばらく眺めていると手ごろな魚が泳いできた。




「はっ!」




 手前に飛び、素早く槍を投げると底に突き刺さった。


すると、想定外の事態が起こった。驚くことに槍を中心として川が割れたのだ。


 高い波が出来上がり、ついでにいくつもの魚が宙を舞っていた。その魚たちのいくつかは対岸に落下してぴちぴちと跳ねていた。




「ふむ」




 なんというイージーモードだろうか。まあ、今日は食いつなげそうであることに彰は安堵した。


 彰は川岸から十歩ほど下がり、助走をつけて飛ぶ。


 難なく対岸へ降り立ち、手ごろな大きさの葉を捜す。直接触ると毒がある魚がいたら厄介だからだ。彰の運であれば、これらのうち九割が毒ですと言われても納得がいく。




「魚の毒も怖いからな」




 魚は調理前までに冷凍し、火を通せば大抵のものは食える。しかし、それでもダメな魚はいるため、知識がない現状は師匠から教えてもらった見分け方で判断していくしかない。


 とりあえず、目利きで食えそうな魚は5匹ほど。他は危険と仮定する。七割は危険とか笑い話ではすまないな。




「師匠の話聞いておいてよかった」




 師匠がいざ自分が極限の境地に立った時に役立つといろいろ教えてくれた知識が役に立つ日が来るとは。


 当時は冗談半分で聞いていたが、師匠は口を酸っぱくして何度も教えてくれたことが幸いし、今でも記憶に残っている。今では本当に感謝しかない。


 なお、現代の常識が通用しない世界で、目利きが通用するとは彰も考えていない。ようは部の悪い賭けであった。


 跳ねているなかでイワナっぽいやつがいたので、それを二匹手に取ると洞窟へ戻る。さっと火をおこして水を沸騰させると、そこに尖らせた石を投入して5分ほど待つ。その間に木を削って串と木べらを作った。木べらで石を回収。水を付け足して再度沸騰、石が冷めるまでの間に川へもう一往復して水を回収する。重ねた草でミトン代わりとし、沸騰したお湯の皿を火から除ける。煮沸消毒した石を使って鱗を処理してから魚の内臓を取り除き、水で綺麗に洗う。身を捻って側面を交互に刺していく。


 火に背骨を近づけるようにして地面に刺し、焼けるのを待つ。


 しばらくして川の焦げる匂いが漂い始めた。串を回し、腹に焼き目が付くまで待機。我慢できず、腹の虫は鳴りっぱなしだ。


 パチっと身が跳ねて、割れ目ができた。頃合いだろう。




「いただきます」




 手を合わせ、食にありつけることに深く感謝した。




「はむ」 




 その白く柔らかそうな腹へかぶりつく。熱々の身と適度な脂が口いっぱいに広がり、自然で素朴な味だが文句など出るわけがなかった。


 1日ぶりの食事ということで、とてもおいしく感じられた。ゆっくりと時間をかけて一匹目を完食。二匹目に手を付けた。


 食事にありつけたことで、張りつめていた精神が穏やかになる。そこで、自身の身体が汚れ切っていることを今になって思いだした。




「身体、拭くか」




 幸いにも水は使い放題であるし、この気温で風邪をひくこともないだろう。風呂とまではいかなくとも、Tシャツの残りで汚れを拭うことはできる。風呂が当たり前に使えていたことがどれ程贅沢であったか、改めて思い知らされた。


 作っておいた大き目の鍋もどきを火にかけ、水を半分ほど入れる。いっぱいまで注がないのは熱伝導が悪く時間がかかるからだ。


 ようやく水が沸騰したところでTシャツの残りを手に巻き付けてから鍋の縁に手をかける。怪力を発揮して鍋を持ち上げ、地面に下ろす。追加の水を火にかけつつ、ぬるま湯になるのを待った。


 適温になったところで、まずは上半身を拭っていく。一日だけとは言え、ずいぶんと汚れていたようだ。シャツを水に浸すと一瞬にして汚れが広がった。血と垢の混じったドス黒い液体の出来上がりだ。


 流石にこの水で布を洗うことは避けたい。


 彰は鍋を手に外へ出ると、近くの雑草たちに水を撒いた。川の水で鍋をすすぎ、水を追加して洞窟へ戻った。丁度お湯が沸いたようだ。効率重視で沸騰したお湯を二つの深皿に分けて身体を拭く。もちろん持ってきた水は火にかけている。


 上半身があらかた拭い終わったため、下半身に入る。




「?」




 靴を脱いで、右の靴下に手をかけた時ふと、固くざらついた肌触りに違和感を覚えた。


 恐る恐る靴下を脱いで、己の足を見た彰は酷く困惑した。




「は……ぁ?」




 そこには右足の指が手の指ほどに細長くなっていた。また爪も鋭利なものになっており、人の肌であれば容易にえぐることができそうだった。更に肌は足首まで白く硬い鱗で覆われていたのである。




「おいおい、何の冗談だよ」




 引き攣った笑みを浮かべた。


 まさかと思い、左の靴下も取るが、こちらは見慣れた足をしていた。


 変化していないことに安堵するも、困惑は収まらない。


 意を決して、制服のズボンを下ろす。足の変化は膝下までで、びっちりと鱗に覆われていた。足自体の長さは左右変わらず、足の甲が後退して指が長くなっているようだ。


 体の隅々まで確認するも、変化した部位は右足だけだった。




「一体どうなってるんだ?」




 しばらく放心状態が続いたが、体については考えるのを辞めた。それからというもの、魚以外にも木の実をはじめ、ウサギや鶏に似た小動物、鹿や熊などの大型動物を力の練習がてらに狩っては食していった。ここでも不運様はご機嫌で60%ほどはずれを引いては腹を下している。酷い時は3日寝込むなど、身を削って自然の知識をつけていった。毒による死亡がなかっただけましと言えた。狩りの最中、ウサギに似た動物から拳ほどの石が出てきて驚きもした。これがルシェの言う魔石だろうか。


彰は魔法をどう使えばいいのかわからないし、この森で魔法が使えないため宝の持ち腐れといったところだろうか。後日換金できるかもとおいう思いで、取っておくことにした。


 その後も探索をしながら多くの化け物たちを見つけては狩ってを続けていた。気づけば、洞窟の中は魔石でいっぱいになっていた。


 全てが新鮮で摩訶不思議な化け物と出会いが楽しくなり、町に出るという目的を忘れてこの妖魔の森で2週間を過ごしていた。

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