006
『レベルが上がりました』
無機質で感情の無い声が脳内に響いた。
酸素を求めた身体は荒々しく呼吸を繰り返している。しばらくその状態が続き、ようやく冷静に思考できるまでに回復した。
レベルって、どういうことだ? ここはゲームの世界か?
血の付いたナイフを足の横に置き、身体を弄ってみたが変化は見られない。
アナウンスが脳内を流れる現象に首を捻る。意味が分からなかった。
「と、そんなことどうでもいい」
不可解な現象は気になるが、まずは女の子が先だ。震える身体に鞭打って立ち上がり、彼女の元へ近寄る。
脅威が去ったため、彼女は少しだけ力の抜けた瞳でこちらを見上げていた。
「とりあえず、危険は去ったぞ」
ぶっきらぼうに少女へと声を掛ける。伝わるわけがないのはわかり切ってはいる。が、もう少し優しく声を掛けられないのか、とここにいるはずのない誠から説教が飛んできそうな言葉だった。
少女はいまだ震え、警戒した様子でこちらを見ている。薄暗い中ではあるが、太陽光で時折はっきりと映る。髪はプラチナブロンドで、顔は隠せぬ怯えからか青くなっている。本来であれば綺麗な色白の肌だろう。揺れる青の瞳に、彰はどう映っているのだろうか。鎧と魔法少女服を足して2で割ったようなドレスに似た服は背中側が泥を吸っており黒く汚れていた。
拘束されていないところを見るに誘拐という線は薄い。となれば、あいつらに追われていたと見て間違いないだろう。
どこぞのお嬢様だったらSPのひとりやふたり従えているものだろうに、その影は見当たらない。
先ほどのようにステータスが出ないかじっと見つめているのだが、特に出てこなかった。今はローブたちのものも消えており、きちんと確認ができない。
何がきっかけで表示されるのか彰は掴めないでいた。
「貴方は……」
しばらくして、少女が口を開いた。こちらが襲わなかった安心からか、顔色がよくなってきている。綺麗な薄く紅い口許を揺らし、戸惑った表情で訪ねてきた。
「通じた……だと?」
こいつらを倒してレベルとやらが上がった影響だろうか。何にしても、言葉が通じるのはありがたい。さて、俺はこの場合どう答えるのが正解だろうか。
特段面白いことが思いつかなかったため、無難に名乗ることにした。だが偽名で。
「俺は『ハクサン』。偶然、この上から落ちてきた学生だ」
『ハクサン』とは彰がゲームでよく使うハンドルネームだ。山城をひっくり返して城を白にして音読みしただけの簡素なものだが、この世界で本名がバレることはないだろう。
もし幼馴染たちが聞けば俺だと推測できるとは思う。健斗はよく白菜と似ていると馬鹿にしてくるハンネだが、それなりに長く使っているため愛着があった。
「ハクサン……ですか」
左手の人差し指で頭上を示す彰の返答に少女は眉を顰めた。そして少女が視線を横に向けると、はっと顔を強張らせた。
「その怪我……」
少女は彰の右手を指した。つられて彰も右手を見る。二の腕はぱっくりと割れ、絶え間なく血が流れていた。今まで忘れていたが、思い出すと傷は痛みだす。
「――っ」
なんとも言えぬ苦痛が彰を襲った。
「座りなさい!」
とっさの指示に従い、その場に座り込む。
少女の行動は迅速だった。立ち上がり、大胆にも自らのスカートを破いたのだ。綺麗な足が露わになるが、気にした様子もなく手に取ったの布切れを彰の傷の上で縛る。
「お、おい。それ……」
恐らくだが、高価な服であろうことは予測できた。それを破ってしまっていいのか。俺は金なんて持ってないから弁償できないぞ。
「命と比べれば、安いものだわ」
そう言って、意外にも慣れた手つきで少女が力を入れて縛りあげてくる。段々と右腕の感覚がなくなってくる。しばらくじっとしていると、血の流れが止まった。
流石に傷口をそのままにしておくのはまずいか。
彰は左手でシャツのボタンを外し、Tシャツ姿になる。そしてTシャツにも手をかけた。
「なっ!」
その行動に少女は赤面し、顔を逸らす。この反応、彼女は初心なのだろうか。
「ああ、すまない。中に着ている服を腕に巻きたくてな」
流石にこれ以上彼女の服を破くわけにも行くまい。
彰は血に濡れた制服を脱ぎ、次にTシャツも脱いだ。それを力任せに破き、患部にあてて巻くことでガーゼの代わりにしようとした。だが、片手で巻いてもうまくいかず、すぐにずれて落ちてしまう。なかなかうまくいかないな。
そこへ白い手が介入してきた。
「……巻いてあげる」
「ああ頼む」
まだ熱が引いていないのだろう。頬を染めたままこちらを直視することなく布を優しく巻き始めた。
ガーゼのひとつでも持っていれば違ったのだろうが、生憎手ぶらで持ち合わせがない。沙友里なら持っていそうだが居ない人間を頼れるわけもなく、とりあえずこれで我慢するほかなかった。
「終わったわ」
きゅっとシャツを縛ると少女はそっと離れた。
「ありがとう」
べったりと血の付いたシャツを再び着るのは不快だが、着るものもないので仕方なく羽織る。傷が塞がっていないのであまり右腕を動かしたくなかった。
それ以降2人の間に会話はなく、沈黙した状態が続いた。体力を回復したかったため、これはこれでありがたい。
その傍ら、彰は誰かが近づいてこないか周囲に意識を向ける。
数分待っても変化は現れなかった。身体の方も落ち着くと、彰は立ち上がり死体のもとに近寄る。そして落ちていた武器類を拾い上げて腰に装着していく。この注射器に入っている薬品が気になったが、見たところでよく分からなかったし、嗅ぐのは危険と思いスルー。後で動物にでも打って確かめるとしよう。
ローブを剥ぐと中には簡素な皮鎧を身に纏っていた。
鎧はサイズ的に着られないので放置。他に武器を持っていないか弄るが、成果は得られなかった。ついでに黒ローブたちの顔も拝んでおこうと仮面を取る。酷い死に顔をしたおっさんが表れた。SAN値がどんどん減っていく……。あと地味に体力も。他の2人も同様に調べていくが、めぼしいものは持っていなかった。
そして沈黙を破るように少女に声を掛ける。
「とりあえず脅威は去ったわけだが、狙われたことに心当たりは?」
「あるわ」
何を今更とでも言いたげな返答だ。あまり聞きたい話題でもないため、別の質問をすることにした。
「なるほどね。こいつらに見覚えは?」
醜い豚のような顔とやせぼそった顔、少しイケメンな顔が露わになっていた。APPで言えば、6、8、12の順だな。TRPGの知識だった。
少女は首を振って否定する。なるほど、見知らぬ人間に襲われたわけか。なかなか怖い世界だ。
「あんた名前は?」
彰が訪ねると少女は目を丸くしてぽかんとしていた。なるほど、美人の惚け顔も悪くないとは聞いていたがそれは正しかった。
「えっ?」
「えって名前か。珍しい」
「違うわよ! ちょっと驚いただけよ!」
声を荒げてキッとにらんできた。
いったい何なんだ?
首を傾げると、少女はこれ見よがしにハァとため息を吐いた。先ほどまでの怯えた表情が嘘のようにすっきりとしている。ともかく元気にはなったらしい。
彼女はしばし考える素振りを見せたあと、口を開いた。
「私はルシェよ。 ――改めまして、助けてくださりありがとうございました。この恩は一生忘れません」
背筋を伸ばし、綺麗なお辞儀をしてくれた。さっきまでの噛みついてくるような口調とは裏腹に、聞いていて心地よい優しい声色でのお礼だった。
そんな表情もできるんだな、と彰は感心した。
「ああ。成り行きだが、見過ごせなかったからな」
「だとしても本当に助かりました」
「そうか」
もともと口数が少ない彰だ。知らないひととのコミュニケーションはあまり続いたことがない。いつもは訊いてもいないことまで勝手にしゃべる幼馴染たちに囲まれていたせいで話のネタには困らなかったが、これからはそうも言ってられない。
「ねえ、聞いてもいいかしら?」
先ほどとは違い、砕けた口調に戻った。恐らく、こちらが彼女の素なのだろう。
「なんだ?」
こちらの口調も気にしていないのはありがたい。堅苦しいのは嫌いだからな。
「あなたは冒険者かしら?」
冒険者。現実では聞かないその言葉に彰は眉を顰めた。幼馴染たちの影響で知識として知っているが、まさかな。
「質問を質問で返すようですまないが、冒険者というのはギルドに所属してモンスターを狩ったりする職業のことか?」
「……ええ、そうよ」
訝し気にこちらを見てくる。
ああ、なるほど。
「ならば違うな。先ほども言ったが、俺は学生だ」
彰はドヤ顔でそう言った。
「が、学生って、魔法学院の? ハクサン。貴方のような人は見たことも聞いたこともないわね。他の学院かしら?」
いや、魔法学院ってなんだ? ……って、それよりもおい。
「魔法、だと」
俺の呟きにルシェは変な人を見たような表情をした。
「魔法を知らないなんて、貴方どこに住んでいるのよ……あなた学生じゃないのかしら?」
それを面と向かって言うのはどうかと思うが、今のやりとりで俺が不審者であることが確定した。ならば、変人として情報収集に努めるとするか。
「なあ、ルシェさん。これからいくつか質問するから、答えられる範囲でいいから教えてもらえるか?」
神妙な顔で彰が言う。
「いいでしょう。分かったわ」
不審者として扱いつつもきちんと答えてくれるのか。嘘かもしれないが、この子は優しいな。
「まず、ここはどこだ?」
「は?」
ルシェは呆けた顔をする。
「貴方、それを本気で言っているの?」
「ああ」
流石にまずかったか? しかし、先ほどの会話からどうやら俺はファンタジー小説のような異世界転生を成し遂げてしまったと推測できる。これが夢の世界というのならばよくできている。
「本気だぞ。おそらく、これからしていく質問はルシェさんからすれば常識だろうけど、俺からすればとても大事なんだ。大目に見てくれ」
彼女は口に手を当てこちらを見つつ黙り込む。数秒の沈黙の末、警戒心を隠そうともせずに重い口を開いた。
「いいわ、教えてあげる。ここはベトナーゼ皇国、その他各国に隣接する妖魔の森という場所よ。因みに、ここでは魔法が使えないわ」
国に囲まれた森、ねぇ。しかも魔封じとはこれいかに。
「なぜだ?」
「魔素が強すぎて、人が扱うには難しいからよ。その癖にモンスターが大量に湧いているからとても危ない場所よ」
また新たに単語が出てきた。魔素って言うくらいだから、魔力があるということだろうか。
「魔素と魔力の違いは?」
だからなぜ睨む。俺にそんな趣味はないぞ。
「貴方、ほんとーに学生なの? 魔素は魔力の元となるもので、あらゆる場所で発生するものよ。その魔素は空気に溶け込んでおり、見ることは叶わないわ。人間は特にね。そして、魔素を変換して魔力とする。魔獣は魔石を体内に宿しているから魔素を貯め込めるし、簡単に魔力へ変換ができるの。人間は魔石を持たないから変換が難しい。そのため魔法を使える人間はあまりいないのよ。今は魔石を介して魔法を使える魔道具が開発されていて一般的に流通しているから魔法を使える人は増えてきているわ」
聞いてもいないことまで教えてくれるとはとても優しい子だった。これで確信したが、ここは俺のいた時間、というか地球ではないのだろう。別の世界とも言える。つまりは――――
「なるほど。では次の質問だ。異世界転生って言葉に聞き覚えはあるか? もしくは勇者召喚とかでもいい」
「異世界転生? 勇者召喚は聞いたことがあるけれど、幻レベルの話よ? 大昔にそのような魔法があったとは聞かされているけれど……」
勇者召喚あるのか。となれば、太古にこちら世界から迷い込んだ人間がいるのかもしれない。
「なるほど。知らないならいい。で、ルシェさんは」
「そのルシェさんってやめて。ルシェでいい」
「……ルシェは、もしや護衛がついていたんじゃないのか?」
彰の質問に、ルシェは表情を硬くして、やや俯き気味になる。
「……どうしてそう思うのよ?」
絞りだすようなか細い声が鼓膜を震わせた。
「いや、純粋な憶測だ。狙われるなら高貴の人間であることが定番で大抵そういう人間には護衛が付くはずだ。だが、それが見当たらない。そしてルシェ自身が言ったように、ここは人間が魔法を使えない場所なのだろう? そんなところでルシェは補助道具? を持っていないということは、それを使わず魔法が使える人間であると見た」
魔法が使えないから道具を持ってこなかったという理由も考えられるが、別にどちらでも良かった。そして護衛をつけていない理由として考えられる可能性は2つ。
「そこで転がっている奴らに護衛を殺された、もしくは――」
「おお、ようやく見つけましたよ。ルシュア様」
ふいに、低い声が2人に届いたのだった。
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