005

「――ここは」




 広くうす暗い空間に、彰は身を横たえていた。段々と意識が回復してきたところで、ゆっくりと周りを見渡していく。




「うっ」




 目についた光景に頭痛を覚えた。


 壁も床も天井も一体となっているかのように歪み、蠢いているのだ。まるで自分を軸に回転しているような、どろどろとした闇の塊が無数にも重なり、それが壁を作っていた。あまりの情報量に直視しているのが辛くなり、自分の身体へと視線を向けた。制服姿であることに変わりはなく、適度に身体を動かしてみるが異常は見当たらない。上半身を起こし、そしてゆっくりと立ち上がった。凝り固まった身体をほぐすようにまずは肩を回し、腕や脚と五体を動かして血を巡らせていく。目を閉じてわずかに瞑想すると、ふと身体の内部に温かな感覚があることに気づいたが、それが何なのかわからなかった。それとは別に何か禍々しい感情が込みあがってくるのを彰は感じた。




「……こういう時は無理矢理にでも動かすにかぎる」




 彰は身体ほぐすついでに精神安定のために無心で一人組手を始める。型を一通りこなすと、前よりうまく動かせるのではないかとさえ思うほど身体が軽くなっていた。


 ひとしきり動いて変な感情が落ち着き、頭もすっきりしてきた。


 変なことが起きたら運動することに限るな。とはいえ、不気味な空間に変化はない。今できることから始めるか。そう決め、持ち物を把握しようと全身を確認していく。


 結論から言えば、出てきたのはスマホと財布だけだった。リュックは地面に置いたままだったから仕方ない。スマホの電源を入れるも圏外の表記。表示されている時刻も地震が起きた時間帯で止まっていた。




「壊れたのか?」




 アプリをいくつか立ち上げてみるものの、わかってはいたがネット不要のアプリだけが起動できた。つまり、今いるこの空間が異常だということが理解できた。




「時間が止まっている……? よくわからないが、とりあえず所持品はこれだけ。身体の方は異常なし。で、ここはどこで、出る方法はあるのかね」




 流れ星を見ている途中で地震が起きて地割れか地滑りによって落下したのは覚えている。となれば、ここは死後の世界といったところだろうか。




「見る限り、地獄だな」




 短い人生を振り返るも、特段悪いことをした覚えはない。むしろ不運の連続で悪いことばかり起こっていた。


 うごめく影のようなものは、見ようによってはこちらをあざ笑うかのような顔になる時がある。おそらくこれは精神が弱い時にそう思い込んでしまうものだと解釈し、落ち着くように深呼吸をする。これを見ていると無性にどす黒い感情に芽生えそうになる。いつしかのネガティブな自分が甦ってくるかのようだ。無理矢理施行を断ち切って別のことを考える。


 とりあえず身体が動くことは分かった。ならば、




「出口を探すか。ほかのみんなは……」




 改めて周囲を見るが、それらしい人影はなかった。




「完全にぼっちと」




 目が慣れてきたので、とりあえず行動に差し支えはない。ただ、直視しすぎるとよくわからない感情が芽生えてしまうので、適度に自分の身体に視線を向けるように歩いていく。


前後左右のという概念があるのか謎な空間だが、筒状になっているようでどちらかには進めるらしい。


 どちらに進めばいいか、とりあえず直感で一方を決めた。


 理由? なんとなく、そちらが明るかったから。




「明かりがありそうな場所に行くのが人の性ってね」




 そうと決めれば脚を動かして少しでも早くここから出ることが第一目標だ。


どれほど歩いただろうか。


 体感では10分以上歩いていると思うのだが、一向に出口が見える気配がしない。そして、不思議なことがもうひとつ。それは疲労感が現れないのだ。


 どれほど歩いたのかは万歩計がないのでわからないが、少なくとも歩いた分の疲労は蓄積されるはずだ。しかし、現に体力が有り余っていて、とても快調だった。


 途切れることなくぐるぐると蠢いている壁のせいで、適時頭痛は起こっているがそれを除けば快調といっていい。




「この蠢いている壁の原動力が俺の歩行だったら笑えないが」




 一瞬この空間がループしているのではと考えたが、寝ている時点で回っていたのでそれは考えにくい。


 ゴールはあるものと信じ、諦めずに歩を進めた。


 かなり歩いた気がする。


 ようやく身体の疲労が出始めたころで、空間に変化が訪れた。奥の方に光点が見えてきた。きっと出口であろう。




「ふむ、久しぶりに運があったようだ」




 彰は基本的に運が悪い。いつもであれば、運に愛され周囲にも振りまく少女が近くにいたのでその恩恵が少なからずあった。だから実は人並みの運だと勘違いしがちになるが、それは間違いであるとひとりになったことで証明された。


 くじなどはいつも最低値。だから彰はソーシャルゲームをすることはしなかった。いくら課金しようが最低保証しか引かないのが目に見えているからだった。ただ、年に一度“不運の解消”というべきものが発生する。その日だけは人並み以上の運が訪れるのだ。それがいつやってくるのかは未だにわかっていない。


 初めてその日があると判ってから記録を付けるようにしてきたところ、年に一度という結論に至った。まだ、今年は起こっていないはずなので、これがそうだったりするのだろうか?




「さて、この先が本当の地獄だったりするのかね」




 自分の悪運にはほとほと参っているが、嫌な予感というものは当たると彼の相場は決まっていた。先ほど行先を決めたところが不運の分岐点だったかもしれないが、考えるだけ無駄である。


 歩を進めるとともに段々と光が強くなり、暗闇に慣れた目が光を吸収してまた痛みが走る。手で影を作り、一歩一歩力強く踏み出す。


 蠢いているなにかと光の境界にまで達し、それを超えようと右足を踏み出した。




『――よかった』




 かすかに声が聞こえた。そして踏み込むとそこにはあるべき床の感触がなく――




「はっ?」




 スローモーションでも見ているかのように視界が下がっていくとともに浮遊感が到来した。適度な光が身体を覆い始める。それは筒状で相変わらず底は見えない。




「うっそだろ――!」




 今度は光の筒を落下していく。




「あばばばばば!」




 口を開いていたために風の影響をもろに受け、口が裂けそうになった。顎に精一杯力を入れて口を閉じることには成功。顔の痛みは多少ながら軽減された。


 抗う術もなく身を任せて落下していると、目先に光の境界がやってきた。


 そして――


 それを超えたとき、彰は確信した。


 あ、死ぬ。


 飛び出た先は青空。その下には雲が広がっていた。一瞬重力がないことを期待したものの、そんなはずもなく彰の身体は雲に向って自由落下を続けた。


 重力に従い、彰は陸地に向って突き進む。先ほどよりも強い力が彰の身体を襲った。たとえるなら皮膚を触れる空気が皮と内側の肉を削いでいくような奇妙な感覚だった。


 段々と雲が近づいてきて、彰は目を瞑る。


 ボフンという軽い音とともに、雲へ突入した。ひんやりと湿った感触を伴い、一瞬で雲を抜ける。すると、空気が変わった。柔らかな自然の匂いをかぎ取り、彰は目を開ける。そこは薄暗い森の上だった。今まで通ってきた雲がくり抜かれ、光の道が作られる。その中を落下している彰はまさしく神降臨の儀を意図せずに演出していた。しかし、当の本人はそれを楽しむ余裕がない。


 彼は視線を下に向けると、巨大な何かが迫ってくる。壁だ。


(なっ!)


 自分の進行方向に何かが飛んでいる。そして向こうはこちらに気づいた様子もなく悠々と飛行を続けているではないか。しかし、人は翼を持たず、進路の変更などできない。


(ならあいつには悪いが一か八か。あいつの上に乗る!)


 接触まであと3秒もかからなかった。何とか背に着陸させてくれと祈りつつ彰はぎゅっと目を瞑った。その刹那、グシャッと嫌な音がたち、ぬめりと全身が温かい感触に包み込まれた。わずか2秒ほどで、彰はまた肌に風を感じた。


(う、嘘だろ! 貫通するってどんだけ柔らかかったんだ⁉)




『――――』




 そして彰は思った。今年最大の不運日かもしれない、と。


 よくわからない動物の身体を貫通し、先ほどより気持ち速度が遅くなったように感じた。だからと言って彰の命は脅かされたままだ。段々と森が目の前に近づいてくる。


(とととと、止まれぇ、頼むから止まってくれ!)


 念仏のように落下しなくなるように懇願する。木の天辺が迫ってきた。




「とまれぇぇぇ――――!」




 たまらず絶叫した。


 すると、不思議と身体が減速を始めた。しかし止まることはなく森へとその身を埋めることとなった。


 べきべきと木の枝に当たりながら更に減速していく。ついに枝がなくなり、その先には複数の黒い何かがこちらを見上げていた。


 そして、彰はその上に突っ込んだ。




「がはっ!」「どあ!」




 久しぶりに感じる柔らかい感触。


 彰はその柔らかさがクッションとなり跳ねると、雑草の生えた地面に投げ出される。




「いっつぅ」




 何か固いものに当たったのか、背中に痛みを感じた。そのほかにもいろいろと服が破れて傷がついてはいるものの、どれも軽症で済んでいる。


大空から落下してこの程度で済んだ時点でよほど女神様に愛されたらしい。今まで悪運を貯めこんだお返しだろうか。




「(なんだこいつ!)」


「(木から落ちてきたぞ!)」




 人が人生の岐路を突破して喜んでいる最中ではあるが、どうやらまた不幸が俺を襲うらしい。そう簡単には助けてもらえないようだ。生きているだけ儲けものではあるが。


なにやら話し声が聞こえるので、打ち身が酷い身体を無理やり起こして立ち上がると声の方を見る。


 そこには黒いローブを着た人間が二人と同じ格好をして地面に寝そべるひとりがいた。恐らく俺が下敷きにした奴だろう。




「(まさか、助けを呼んでいたとは)」




 ローブの言葉の意味がわからず、彰は首をかしげる。目の前には武器を持ち、奇妙な面を被るローブたち。そして、自分。どう見てもこれから俺が襲われようとしている図だ。やべぇ。先ほどとは違った恐怖に取りつかれ、身体が震え始める。




「(こいつ、丸腰だぞ)」




 注射器を持っているローブが彰を見てくる。なんて言っているか分からないが、何やら笑われていることに不快感が湧く。


って、武器が注射器とは趣味が悪いな。




「(おいお前、そいつの知り合いか)」


「(変な服装しやがって!)」




 ごつい剣をもっているローブがなにやら問い掛けてきたが、わかるわけがない。




「(いてて、こいつ殺す!)」




 先ほどクッションにしたやつも復活したようだ。よく地面を見れば、彰の近くに長めのナイフが落ちていた。もはや短剣じゃねえのと思いたくなる刃渡りだ。今まで寝ていた奴の武器だったのだろう。彰はそれを素早く拾い、ローブに向けて言ってやった。




「とりあえず武器はもらったぞ!」




 威嚇目的で声を絞り出す。




「(こいつ何言ってんだ?)」


「(さあ、わからん。この国の人間ではないのだろうが一応忠告しておこうか)」




 ひとりが仲間を諫め、なにやら言ってきた。




「(死にたくはないだろう? ここから退け。そしたら命だけは助けてやる)」




 とりあえず逃げ道確保のため見渡した。


 奴らは俺を気にしつつ、左の方にも視線を向けているようだ。背後からの音に気付き、彰は彼らを視線にとらえつつ習うように左背後を見た。そして、納得した。そこには怯えた女の子の姿があった。その光景に彰は一瞬で理解する。


 ああ、この子がこいつらに襲われているのか、と。強がってはいるものの震えている姿は見ていて気持ちいいものではない。


そして、ローブたちの方は仮面で表情が見えないが、十中八九裏側は笑顔でろくでもないことを言ってるんだろう。




「ああ、どう考えてもこの図はだめだ」




 改めてナイフをローブたちに向け、構えた。


正直、怖い。持つ手が震えているし、今すぐにでも逃げたい。だがそれ以上にむかむかとした、普段出てこない感情が心の奥から浮上してきた。


 いつ以来だっただろうか。こんなに怒りが込み上げてきたのは。


 ――思い出した。あれは中学のとき、沙友里がチンピラに巻き込まれているところに遭遇した時だ。


 それ以来。まともに怒った記憶がない。とたん、よくわからない感情がうごめき始める。すると、目の前に奇妙なものが目に映った。




 ・名前:教団Aヒデュン・人族


  Lv:11


  職業:僧侶(狂信者)


  状態:並


 能力:格闘術lv.2 剣術lv.3 身体強化lv.2 祈祷lv.4 拷問lv.4 幸運lv.3 


レシェフ公用語lv.1


 加護:スーザの加護




・名前:教団Bガッター・人族


  Lv:12


  職業:僧侶(狂信者)


状態:良 


能力:格闘術lv.2 剣術lv.1 身体強化lv.1 祈祷lv.2 拷問lv.4 幸運lv.3 


レシェフ公用語lv.3


 加護:スーザの加護




・名前:教団Cパリエ・人族


  Lv:10


  職業:奴隷商(狂信者)


状態:良


 能力:剣術lv.1 身体強化lv.2 契約lv.4 器用lv.3 商談術lv.2 拷問lv.4 


幸運lv.3 レシェフ公用語lv.4


 加護:ナーゼの加護 スーザの加護




 なんだこれ。奴らのステータスか? 


 突如出てきた文字データに驚くも、一端脇に置いておく。知識が碌に無いせいで善し悪しが判断できないからだ。UIも最悪で誰のものなのかすらわからない。出てくるならせめて対象者の頭上とかにしてほしいものだ。


 また、戦闘中は余計な情報がない方がやりやすいという点もある。色々と考えていたことで恐怖が散漫したのか震えが止まった。


 これからすべき行動が決まったのだ。


 そして、自然と声が出る。本来なら言うことはないであろう、




「来いよ、虫けらども」




 挑発が静かに響いた。


 人生初の命のやり取り、そして人生をかけた第二ラウンドが幕を開け、今に至る。


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