002

蝉の鳴く音が支配している空間に、彼らはいた。


 周囲は青々とした木々に囲まれ、上を向けば快晴が広がっている。道なりに生えている木の隙間からは美しい町並みと海が一望できた。これから向かう場所はより鮮明な景色が広がっていることだろう。


 舗装はされていない均しただけのなだらかな坂を上る彼らは、半そでの白いシャツに紺色のズボンもしくはスカートといった制服で、それぞれリュックを背負っていた。若く健康的な素肌にはうっすらと汗が浮き、時折流れてくる風が髪を持ち上げる。晒された女性陣のうなじが太陽光に照らされ、艶かに輝いていた。




「しかし……いくら星を見るためとは言え、こんな昼間から山に登る必要あったか?」




 このグループで一番の身長を持つ少年がそうぼやく。


 彼は巨体に見合う登山用のリュックを背負い、登山用の靴という完全装備で臨んでいた。半袖から伸びるその腕は健康的に焼けており、太く逞しい。一見して高校生らしからぬ外見をしている少年だ。




「何言ってるのよ、健斗。この山から見ることができる夜景は有名で、毎年人がいっぱい来るんだから、早めに場所取りしなきゃいけないって何度も話したことでしょ?」




 先頭を歩く少女、かえでは健斗とは打って変わり、はしゃぎ気味に答えた。


 肩までで切り揃えた茶色い髪と自己主張の激しい双丘が動くたびに大きく揺れている。少女から大人に変わる前の容姿とあどけなさが、彼女にはよく似合っていた。


 かえでたちは夏休みの合宿でこの山に来ている。天文部に所属するこの5人は2年であり、しかも全員小学校からの幼馴染ということも拍車をかけて年中この5人で行動することが多かった。


 部員はほかにもいるが、夜まではそれぞれ自由行動となっているため繫華街へ観光に行く者がほとんどだった。だから健斗が文句を垂れているのも頷ける。


 彼らがいる山の頂上付近には国の天体観測研究所があり、そこの展望台が一般開放されている。研究所の前は広場となっており、肉眼でも星がよく見えることから絶景スポットとして人気を誇る場所だった。今回はそこに向って歩いている最中だ。




「そりゃ、耳にタコができるくらい聞いたさ。でもよう……」


「健斗、いい加減あきらめなよ」




 その後ろを歩く眼鏡をかけた少年が続いて会話に入ってくる。学生平均よりやや細身で見た眼は頼りない印象を受ける。その反面、このメンバーで最も頭脳明晰であり、彼らが通う学園の優秀な生徒のひとりであった。




「確かに健斗の言い分もわかるけど、じゃんけんに負けたんだから文句を言うなって」




 そうだけどさ、と健斗は不貞腐れた表情を浮かべた。




「ほんと、かえでは運がいいよな。おれ、かえでに運が絡むゲームで一度も勝ったことないぞ」


「それはほぼ全てでは……」




 えへへ、とかえでは照れくさそうに頭をかく。その横でほんとにねと、握りこぶしを口元にあて上品に笑う少女がいた。




「沙友里、まだ平気そう?」


「ええ。十分休憩は頂いてますし、まだ大丈夫ですよ」


「そっか」




 と、かえでは笑顔で頷いて反転すると少し大股で先に進んでいった。それに追いつくように健斗が横に並ぶ。そしてなぜかかえでの歩幅に合わせて歩く。負けず嫌いな性格だが変なところで律儀なのが見ていて面白かった。


 その後ろを残り組は思い思いのペースで歩いていく。




「しっかし、あちーな」




 八月半ばの快晴ということもあって、半袖ですら気怠げになるほどの蒸し暑さだ。サウナにでも入っているような気分になってくる。




「なによぅ、健斗が言うから余計熱くなったじゃない!」




 健斗に文句を言いつつ、かえでは制服の胸元をパタパタと開閉して自身に風を送り込んでいた。そのとき発育のいい谷間がちらちらと見え隠れしていて、思春期の男子にとっては目の毒である。丁度いい角度のためか、健斗はその光景に釘付けとなっていた。


 かえではにやりと口角を上げ、猫のように目を細める。




「やーい、健斗のえっちー」


「あからさまにやるから見てほしいのかと思った」


「そんなわけあるかっ! あんたはもう少しデリカシーを学んで控えなさいよ!」


「そこにエロがあるなら向かう。本能の赴くままってな!」




 まるで漫才をしているような二人を見て、誠は元気だなーと呟く。


 からかうためにわざとしていることくらい、ここにいる誰もが理解していることだった。幼馴染ゆえ、多少のスキンシップではそれほど動じないものが多数である。


 幸い自分たちの近くに登山客がいないので、騒いでも迷惑にならない。


 じゃれあう二人を他所に、誠は空を仰いだ。手を伸ばすと触れられるのではないかと思うほど近くに太陽がある。健斗が暑いと言うのも頷けた。そろそろ太陽が天辺を過ぎようという時間帯だ。出歩くことは嫌いではないが、クーラーが当たり前の環境で育った身としてはある種の拷問のように思えてならない。


 眼鏡を外して短い袖で垂れる汗を拭うも、再度噴出した汗が鬱陶しい。




「展望台まで行けば涼しくなると思いますよ?」




 沙友里もハンカチを取り出して自身の額の汗を拭っている。ただそれだけなのに一般の高校生にない上品さが見て取れる。




「もう少し進めば涼しくなるだろうな」




 数歩後ろから声が届き、全員が振り向く。


 全員に見下ろされた最後尾を歩いている少年は、彼らを気だるげに見た。




「彰。お前、歩くの遅くねーか?」




 このメンバーで2番目に体力がある彼が遅れて歩けば、気分でも悪いのかと心配されるのは当然だった。彼は肩をすくめ、癖のある黒髪を揺らしながら言う。




「あちこち見ながら歩いていたから少し遅れているが、体調に問題はない」




 本人の言う通り顔色も良く、疲れているようには見えない。




「そうですね。彰はこういう風景好きでしょうから」


「顔に見合ずってね」




 かえでが余計な一言を付け加えるも、彰は反応を示さなかった。




「お前、すぐ気配なくなるから心配になるぞ」




 脳筋から心配というフレーズが飛び出し、彰は怪訝な表情を浮かべ健斗を見た。




「それこそ心配無用だ。健斗ほど迷子になることはないからな」


「誰が迷子だ!」


「うーん、確かに。昨日も露店巡っていたら急にいなくなったよね?」




 肩までで切りそろえた柔らかな亜麻色の髪の隙間からジト目で健斗を見る。




「うっ」




 ガタイのいい身体がびくりと震えた。やや色素の薄い髪と180を超える身長を有する彼の行動としてはとても可愛いものだった。それが面白く、他の4人は声を上げて笑う。




「おれは方向音痴じゃねー」


「バカだから道を覚えないだけでしょ!」


「バカって言うなよ!」




 互いの顔をつき合わせ、あーだこーだと言い争いを始めた。




「また始まった」


「放っておけ。どうせすぐ飽きる」




 彰は我関せずと口喧嘩の脇を通り抜けて先を歩いていった。


 騒がしくはあるのだが同時に嫌いではないと彰は思っている。その証拠に仏頂面の口元が少しだけ笑みを象っていた。


 誠は何度も頷いて、




「確かに。その図体していなくなること自体謎なのだけど。そもそも彰がふらっとどっか行くことはないよ。誰かさんと違って別行動するときはきちんと伝えてくれるからね」


「誠の言う通りです。彰はいつも居ない様で気づけば背後にいますからね」




 沙友里の相槌に釈然としないものを感じた。




「沙友里、俺を幽霊か何かと勘違いしてないか?」




 長い黒髪を揺らす彼女はただ微笑んだ。




「まさか。幽霊でしたら私に近づく時点で消えてしまいます。ですから、きちんと生きておられますよ?」


「その理屈はよく解らないのだが、まあいい。聞いても理解できないのだろうし」




 沙友里の家は代々神職の家系だ。そのため、お祓いやまじないの類が得意と聞いている。実際に何度も神社にお邪魔して遊んでいたのはいい思い出だ。だが、長い付き合いの中で彼女が除霊をしている場面は一度も見たことがなかった。しかし彼女とその両親ができると言っているので、4人はとりあえず納得して深く尋ねることはしていない。


 意気消沈した健斗が数歩前をトボトボと歩いている。結局かえでに言い負かされるのもいつものことだった。そのうち回復することだろうと皆放っておくのもまた日常である。




「さて、そろそろじゃないか?」




 彰は行き先へ指を向けると、目的の広場が見えてきた。展望台の施設がある以外、特に物がない広場だ。柵が設けてあり、そこからは街とその先にある海が一望でき。夕方からであれば夕日を海が反射して綺麗な光景を一望できる場所としても有名だった。


 この時間帯は流石に人も少なく、どこでも場所は確保できそうだ。


かえでは全体を見渡し、




「じゃあ、あそこにしましょう」




 やや柵よりの彼らから向かって手前側の位置を指した。




「りょーかい」




 健斗が返事をし、他の3人も頷いた。


かえでの運と直感は外れを知らない。従っておいた方が得、とこれまでの付き合いから全員が学んだことだ。健斗のでかいリュックから5人が余裕で座れるシートを出して広げていた。男衆でシートを整えると、そこに荷物を置いて重しとした。




「じゃあ、ローテーションで場所取りしつつ夜まで自由かな」


「では、私が残りますのでお先にどうぞ」




 ちょこんと沙友里が手を挙げて留守番を提案すると、靴を脱いで丁寧に揃えた。




「じゃあ、僕も残ろうかな。彰、2人を連れてお昼食べてきなよ。特にそこの猛獣は我慢の限界だろうから」




 腕時計を見ると2時を回っていた。道理で腹が減っているわけだ。


 今まであいつはよく我慢できたものだ。




「確かに、あいつは限界だな。かえで、健斗。展望台の食堂行くぞ」


「お、やっと飯か! いくいく!」




 健斗は一目散に展望台へと向かって走って行った。これだから子供だとバカにされるのだが、本人は一向に直す気配を見せない。彰はその大きな影をゆっくりと追うようだ。




「はーい。2人ともごめんね」




 小さく両手を合わせ、かえでは先に行く2人の後を追った。


 3人が展望台に入ったことを確認すると、誠は靴を脱いで沙友里の隣に座る。




「さて、お邪魔虫が消えたことだし……沙友里。最近どうなの?」




 誠の質問にきょとんとした後、すぐに何を聞きたいのか察して沙友里は頬を染めて俯いた。




「あー、そのそろそろ伝えようかと」




 もじもじとか細い声で、沙友里は答えた。




「そうか。 ……あいつ、鈍いからな」


「ええ、ほんとうに」




 先ほどとは違って暗い表情を浮かべるが、すぐに元の明るい表情に戻っていた。




「ですが、それはきちんと伝えていない私のせいだと割り切ることにしました」


「なるほどね。精神衛生上いいと思うよ」




 沙友里の気持ちを知るひとりとして、ずっと心配していることだった。どうもあいつはこの手の感情に鈍感だ。そのため、陰でモテているにも拘らず浮ついた話ひとつない。しかしそれは沙友里にとって救いでもあった。実際に彼へ告白をしようした人は数多くいるようなのだが、いざ告白しようと行動するたびに何かしら邪魔が入るらしい。そのため、彼への告白はすべて未遂で終わっている。沙友里にとってはある意味、彼の不運が味方していると言っても過言ではない。こればかりは運命の神様が遊んでいるに違いないと無神論者でさえも彰の傍に神が憑いていると言われれば信じてしまうことだろう。


 問題は沙友里にもこの現象が起こることだろうか。皆等しく平等にといった具合だ。


だからというわけではないが、お節介と思いつつも誠は親友としてなんとか手助けしたいと考えていた。


 沙友里の方も容姿とその優しさから割とモテる。あいつと違って告白もされるが、彼女は好きな人がいると言って断っている。その影響か近頃は声を掛けてくる人が減ったとか。




「かえでにも手伝おうかと言われ続けていますが……それはずるだと思うので、何とか自分で思いを伝えたいのですよね」




 彰いわく、かえでの幸運体質は彼の不幸体質を軽減しているらしい。だから、かえでが傍にいることは告白の成功確率を上げることに繋がるのだとか。




「確かにね。あいつを横に置いていれば成功率は上がりそうだ」


「それに、かえでに遊ばれるのも癪ですし」


「いや、それは理由としてどうだろう?」




 かえでの性格を考えるとひたすら弄り倒し遊ぶ姿が簡単に思い浮かぶ。何にしても本人がやる気を出しているのだ。その勢いが沈まないうちに行動すればいいと思う。




「まあ、なんにせよ頑張ってな。応援してる」


「はい。それはお互い様でしょうけれど」




 にこりと微笑んで、さり気ない反撃をしてくる。それに誠は、声を詰まらせた。




「まあ、ね」




 煮え切らない返事をし、それ以上は続きを口にしなかった。自分は訊いておいて逃げるというのはずるい気もするが、まだこの気持ちを相手に口にする自信はなかった。




「ふふ。誠でもそのような顔をするのですね?」


「その台詞は狼狽したあいつにいってやって。あ、その時はどんな反応をしたのか教えてくれよ? 散々ネタにしてやるから」


「やりすぎて反撃されても知りませんよ?」




 そんなのどかな会話をしながら、しばらく景色を堪能していると3人が戻ってきた。




「やっほー、おまたせー! ささ二人とも食事いってらっしゃい」


「待たせたな。留守番ありがとう」


「待たせたな! エネルギー充填完了だ」




 にっと笑って、健斗たちは各々シートに腰を下した。




「ああ」


「では、私たちもお食事してきますね」




 2人は場所を明け渡すと、展望台へと向かっていった。


 戻ってきたばかりだというのに、健斗はシートに転がるとすぐに小さく寝息を立てはじめていた。


 彰はその後ろ姿を視線で追う。




「2人の仲いいと思わない?」




 突如、かえでの顔が彰の横顔に生えてきた。ふんわりと優しい香りが漂い、柔らかな感触が服越しに背中へと伝わってくる。傍から見ればいい関係に見える。現に当の2人はその距離に特段気にした様子もなく歩く後ろ姿を眺めていた。




「確かに、ここ最近一緒にいることが多いな」


「おや、気になりますか」




 かえではにやにやとからかうような笑みを浮かべる。生暖かい息の首筋をくすぐる感触がこそばゆかった。




「沙友里に何か悩みがあるらしいな」


「おや、ご存じで。自分に話して欲しいとか思ったり?」




 気づいていたんだ、とかえでは目を丸くしていた。




「それはしないな。訊かれたなら答えるが」


「ですよねー。それでこそ彰だよ」


「それはけなしているのか?」




 ただでさえ暑いのに、いくら役得な恰好とはいえ若干鬱陶しくなってきた。




「まっさかー」




 鋭い目でにらむと、かえでは明後日の方を向いた。


 人を弄って遊ぶことを生きがいとする彼女とはいえ、相性というものがある。彼は特に引き際を間違えると後で痛い目を見る。ある程度は許容してもらえているので、かえでとしては突っかかりやすい相手でもある。


 だが言うまでもなく、一番突っかかりやすいのはそこで丸くなっている巨体だ。




「まあ、いいか」


「ありがとーございまーす」




 そう言ってかえでは彰の背から離れ、巨体と背中合わせで昼寝を始めた。


 ……感謝三割といったところだろうな。


 彰はかえでから視線を逸らして反転すると前方に広がる景色を眺めた。彰は昔からこの様なのどかな風景を眺めるのが好きだった。遠くを眺めていると心が落ち着き、洗われるような感覚になる。柔らかな風が髪を靡かせた。


 彰は自分のリュックから薄めのひざ掛けを出し、そっとかえでの腰の上に被せた。


 昼寝組の寝息をBGMに、ゆっくりとした時間が過ぎていくのだった。

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