異形者の目指したものは
夜空 切
001
――いつ以来だろう。こんなに怒りを覚えたのは。
黒いローブで身を包み、例えるなら能面に歪みを追加したような不気味かつ奇妙な仮面を被っている不審者が3人、目の前に立っている。
「――――?」
「――――――!」
なにか言葉を発しているようだが、俺は彼らのくぐもった言葉の意味がまったく理解できなかった。
同じくこちらの声も相手に通じていないようだ。
怪しい奴らの身を包むダボついた黒ローブの右胸には、見覚えの無い紋章が描かれていた。それは五角形の枠に囲われ、それぞれの頂点を線で結ぶことで五芒星を示していた。
星の中心には悪魔を連想させる獣じみた顔が鎮座しており、いくつもの稲妻に似た模様が背景として刻まれている。
想像するにどこか宗教のシンボルであろうか。
そのような黒ローブたちが武器を手に持ちじりじりと近寄ってくる様は、男の俺でも恐怖を覚えた。
次から次へと不思議なことが起こる。ことごとく俺の運は平常運転の様だ。
多少の困難であれば跳ねのけられると高を括っていたが、現実は非情だった。
初めての体験が連続したせいで、恐怖を始めとした緊張、焦りなど負の感情が一斉に押し寄せてきた。胸が早鐘を打ち、冷や汗すら出てきている。
溢れん感情を抑え込むべく一定のリズムで素早く小刻みに息継ぎして、湧き出た感情を鎮めていく。
「まったく、鍛えて貰ってもこの様とは」
自分の不甲斐なさに自然と硬い微笑を浮かべた。
冷静さを取り戻すことと引き換えに、敵との距離が縮まってしまっている。あと5、6歩というところで彼らは立ち止まると、またこちらに声を掛けてきた。
「――――――?」
生憎と言葉が理解できないため回答しようがない。再度日本語・・・で返してみようかと思ったが、無駄と判断して出かけた言葉を飲み込んだ。
それよりも、この場から逃れる方法を考えるべきだろう。どうすればこの状況を乗り切れるだろうか。複数の案が脳内を駆け巡っていくも、多くの案は実行するまでにはいかなかった。
「――――――?」
「―――――――」
「―――――」
問答無用で襲ってくるのかと身構えていたが、黒ローブたちはこちらを襲うことにどこか逡巡しているように思えた。
着けている仮面のせいで黒ローブらの表情を見ることは叶わない。しかし、どことなく彼らは俺の後ろを気にしている気がした。
後ろに何があるというのか。
途端、ガサりと草が擦れる音が背後から聞こえてきた。
「新手!」
つい背後へ顔を向けてしまった。
そして、絶句した。
そこには身体を震わせて怯えている少女の姿あった。年は15、6といったところだろうか。もっと幼いかもしれない。
いや年齢なんてどうでもいい。なぜこんな森に少女がいるのだろうか。
ああ、なるほど。推測するに少女は彼らに追われており、逃げている最中にここで転んだのだろう。そして追い詰められていたところ、俺が落ちてきた。彼らからすれば、俺は突如現れた不格好な騎士といったところだろう。なんと都合のよすぎる妄想であるが、割としっくりくる推測ではなかろうか。
どこか魔法少女と中世の騎士の恰好を足して2で割ったような幻想的な服は泥で汚れ、所々は枝で引っ掛けたのか破れていた。
自分と同年代の少女にとって、襲い掛かってくるこの光景はさぞ恐怖心を増長させることだろう。
そこから動けずにいる少女だが、その目だけはキッと相手を睨み付けていた。瞳の奥に強い抵抗の意思が灯されており、まだ心が折れていないことが伺えた。
気の強い少女だった。この状況であれば同年代の子は涙を浮かべてもおかしくはないだろう。
三人組のうち最も太い体形のローブは首をさすり、目標の少女ではなくこちらを仮面越しにじっと見てくる。表情は分からないが、緊張感から敏感なった肌が妙な刺激を受けている。これが殺気立った視線であることは容易に想像できた。
首の件は本当に不可抗力なので勘弁していただきたい。と言っても伝わらないので口には出さない。
彼らを視界に収めたまま視線をわずかに逸らし、ざっと森を見渡していく。
深い森のようで緑に覆われて奥を見ることは叶わなかった。稀に薄雲の合間から光が注ぐも、木々の奥深くまでは照らしてくれなかった。
この闇を利用して潜伏して機をうかがっている奴らの仲間がいるかもしれないという悪い想像が頭の片隅に沸き上がった。だが、今はそんなことを気にしている余裕などない。まずは眼前の脅威を振り払うことに注力すべきだ。
偶然拾えた刃渡りが異常に長く短剣と言っても差し支えのない返しの付いたナイフを持つ右手は震え、今にも落としてしまいそうだった。
これまで人を相手に命のやり取りなんてしたことがない。あるとしても精々喧嘩の仲裁ぐらいで、危険度はそこまで高くなかったと思う。だが、それは独りではなかった。
身体は鍛えており体力にも自信はあるものの、武器を使ってどこまで戦えるかは初体験のため未知数だった。震える拳を押さえつけるかのようにナイフの柄を固く握りしめる。
途端、思考が停止した。そして、自分が自分でないような、浮遊感が襲う。
ここでやらなきゃ俺は殺され、この少女も後でどうなるかなんて想像もしたくない。
ふと、視界に表示される何か・・。これは……
恐怖心が脳の正常な動きを妨げ……思考が切り替わり、結論が出た。
だから彼女を連れて逃げ――――
「来いよ、虫けらども・・・・・・・・」
自然と挑発の声と手のジェスチャーが出た。
「――――――――!!」
聞き取れないが、怒り心頭であることは理解できる。
――おかしい。
いつもなら戦闘は避けて逃げることを選択するはずなのに……直前になって戦うという選択肢しか頭に浮かばなかった。
ああ、俺の馬鹿。
後悔するも放った言葉が戻るわけがなく、ローブたちはぴくぴくとその身を震わせていた。表情が見えずとも怒りゲージがこの発言で上昇したことは明白だった。
ローブたちは群れで獲物を捕らえるがごとく、まっすぐこちらに襲い掛かってきた。
俺は考えることもなく、迎え撃つように右手のナイフを逆手に身を屈めて走り、前方二人の隙間を目掛けて飛び込んだ。思ったよりも前に飛べたことに驚きつつ、身を丸めて前転を決める。着地後、間髪入れず腰を上げるとともに右半身を後方へ振り抜いた。遠心力に任せた右手の一閃が薄闇を照らす。
「グぉ!」
偶然にも威嚇のために振ったその軌跡は吸い込まれるかのように脇腹へ刺さった。俺はこの力に戸惑っていた。いつの間にか身体能力が向上している。
滑りとした温かな感触が右手に伝わった。ローブ越しに傷口から溢れた鮮血が右手を濡らした。
食用の肉とはまた違う、繊維の強張った少し固い感触がナイフ越しに伝わってくる。初体験の連続に感情が追い付いていないが、それが戦闘継続に繋がっていた。横から草を踏み込む音がして、直感的にさっと右手を引き抜き、鮮血を散らす。同時にバックステップで相手と距離を取った。
直後、今までいた場所にひとりが飛び込み、分厚い刃を地面に突き立てる。焦りからの行動か闇雲に飛び込んできた。着地とともにローブの身体が深く沈む。
――好機。
刺してくださいと言わんばかりに首を差し出され、俺は瞬時にナイフを順手へ持ち替えると、吸い込まれるようにその首元へ突き立てた。首よりわずかに長いナイフは強化された膂力によって貫通し、くぐもった声とともにその体はスローモーションで地面に沈んでいく。
ローブの身体が崩れ落ち、その力を利用してのけぞることでナイフを首から引き抜いた。どさりと地面に身体が横たえ、鈍い音が静かに響く。
本当に運がいい。近くにかえでがいるんじゃないだろうか?
ひとりが死んだことで他の二人に僅かな動揺が走っていることを彼は見逃さなかった。相手が減り、動きが怯んだことで彼にはわずかに考える余裕が生まれる。さっと敵を観察し、これまでの動きを脳内再生していく。身のこなしから察するに、こいつらは体術をかじった程度の集団で、自分と大差ないことが分かった。偶然とは言え、ひとりを倒せたのは大きい。多対1はいかに1対1の状態を作ることができるかが勝負の鍵である。
「ならば、やることはひとつ」
彼は動きの鈍い手負いへと走って近寄ると飛び蹴りをかます。反応できず手負いは奥へ倒れていった。
十分な距離が取れるともうひとりへ肉迫する。ローブは手に持った注射器を振るが、振り下ろしは間に合わず脇を通り抜けた。
がら空きの背にナイフを突き立て押し倒す。体重を使って深く刺したことでゴキリと嫌な音が響き、ぱたりと動きがなくなった。
――二人目。
だが、ここで予想外なことが起こる。
骨とうまくかみ合ったのか、刺したナイフが抜けないのだ。
幾度か引っ張るも、うまく噛み合ってしまったようだ。
「ちっ」
その僅かな時間は敵が迫るには十分で、背中目掛けて剣を振り下ろされる。先ほどの倒した奴のものを拾い上げたのだろう。ナイフを諦め、右に前転で回避すると即座に立ち上がる。再度接近してローブの横顔目掛けてフックを仕掛けた。だがそれは避けられ、振り上げられたナイフに二の腕を切り裂かれてしまう。
ぱっくりと割れた傷口から鮮血が宙を舞った。
「グッ」
思いのほかの痛みに一瞬顔を歪める。
傷口から鮮血がしたたり落ちていく。
だが、ここで彼にとって都合のいいことが起こった。
出血がローブの顔目掛けて飛び、仮面にビシャリと張り付いたのだ。
「――――――――――」
思わずローブは血を拭うために顔に手を持っていった。
またも好機。
切られた二の腕はかなり痛むがアドレナリンが出ているようで身体を動かすことはできる。
渾身の力を使い、ローブに向って体当たりを仕掛ける。視界不良で手負いのためか、すんなりと押し倒すことに成功する。
血に濡れた仮面は醜さが増して直視しがたい面妖さを醸し出していた。
ナイフを持つローブの右手を左手で抑えると、怪我をした右腕に体重を加えて首を圧迫していく。力を入れたことで鮮血が溢れ、さらに仮面を汚した。
ローブ男はもがいて抵抗するも、手負いで力が入らないのか段々と抵抗が弱くなっていく。こちらも出血が加速し、意識が朦朧としてくる。
ここからはどちらが早く落ちるか根競べが始まった。
*
どれほど経っただろうか。
身の危険が迫るほど体感時間が長く感じるというのは事実のようだ。現実では三分も経っていない。
ゆっくりとした感覚に揺蕩いながらも己の腕にありったけの力を込め、敵の意識が落ちるのをただただ願った。
そして、ようやく願いが届いたようで黒ローブの抵抗がなくなった。抑えていた右手の力もなくなり、だらりと地面に落ちる。同時にバランスが崩れ、ローブへ覆いかぶさるように彰の身体は前に倒れる。酸欠で気絶したローブはぴくりともしなかった。
ふと視線をずらすと黒ローブが握っていたナイフが目に入ってくる。いつ起きてもおかしくない状況。もし気づけばこいつは手負いであっても俺らを追ってくるかもしれない。
なけなしの体力を使い、彼は身体を起こすとナイフを左手で拾い上げ、胸元で逆手に握る。そしてそっと柄に空いた掌を乗せた。そして、心臓目掛けてナイフを落とした。ビシャっと顔に返り血を浴びる。この戦闘で血は見慣れてしまったため、どれだけ血を見ようとも何とも思わなくなってしまっている。
「ゴフッ!」
痛みで黒ローブが覚醒したが、お構いなしに差し込んだ。小ぶりなナイフは骨に邪魔されて刃が僅かに止まった。更に体重を乗せるとゴキリと嫌な音が手元に伝わってきた。完全にこと切れたのを確認すると馬乗りの姿勢から立ちあがる。
彼は血を拭うことなくただ無表情に黒ローブを見下ろしたのち、ふらふらとした足取りでそこから僅かに離れた木の幹に背を預け、ずるずると力なく座り込んだ。
血を流した影響から意識が朦朧としている。
この日俺は初めて人を殺した。三人も、だ。やり終わってから心の奥底から寒気が込みあがってくる。思わず己を両腕で抱き、錯覚による寒さを必死に温めた。これが人を殺す感覚なのだろうか。食用の動物や虫を殺すのとは違い、同種を殺した。自分が助かるためとはいえ気分はいいものではなかった。理由どうあれ、これから自分が背負っていかなくてはならない罪でもある。そのことを意識してしまったのか、また身体に震えがやってくる。だが、この感情を忘れてしまうと人としての何かを失ってしまうような気がして、それを受け止めた。
うまく呼吸ができず、浅い荒い息を繰り返す。殺したことの罪悪感に浸っていると、ピコン――と無機質な音が空気を読まず脳内に響いた。
『レベルが上がりました』
「――は?」
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