第19話
「田中ちゃん、昨日の水泳アニメ、『Breed!』見たー?すっごい燃える展開だったんだからー」
「見ましたよ、小松ちゃーん。広背筋の描写がすっごいリアルですず、見ながらちょっと、ハアハアしちゃった!」
「やだー、小松ちゃんったらー!そーいえば『ローキュー!!』アニメ化するんでしょ?アキバの駅前とかポスター一色だって!見に行きたいねー」
「そうそう!アニメは8月から!『うろバス』と制作会社がおんなじなんですよ!楽しみだよねー!」
「そうなんだー、知らなかったぁー。てか最近チビ×デカのカップリングって定番化してるよねー」
「はは、小松ちゃん。そのテイストは『ドカベン』の時から...」
「おい!おまえ達!喋ってないで早くピン球用意しろ!」
「あっ、はい!分かりました初台先パイ!」「たっく、せっかく楽しいアニメ談義に花を咲かせてたのに...なんなのよ、あのホモゴリラ!」
まえがきが長くなった。ここは穀山中の体育館。先日のバレー部との交渉&バスケ部との3本勝負での勝利によって、フルコートでの練習が出来る権利を得たぼく達卓球部は9月初旬に行われる全中卓球予選に照準を合わせ、練習に励んでいた。
「はぁ、もう一本、お願いしまーす!」バックハンドショットを壮大にコースアウトさせてしまったぼくがピン球を拾いに行くタクに声をかけた。
「たく、しょうがねーな!」タクは笑みを浮かべ、持ち前の素早い動きでバウンドするオレンジの球体を左手でキャッチし、その位置で反転すると、ゆるいロビングの打球を放った。
「おおっと」「あ!わり!」タクが放った打球はコートを大きく超え、体育館の反対側の壁に直撃した。
「もー、コートに打ち返さないと意味ないじゃーん!」「わりー、わりー。汗で手元が狂ったんだよ!」
タクが額の汗を拭って泉先パイに口答えをした。季節は7月後半。室温34℃。風でピン球が大きく変化するから、窓を開けたり、室内で扇風機をつけることなんて絶対にできない。卓球部特有の過酷な環境だ。
「もー、無理っす」「...限界だ......」
体育館の脇を瞬発力強化練習として短距離ダッシュを繰り返していたケンジとすばるが思わず膝をつく。
「はい、まだまだー30本やるまで休めないよー」
マツ部長がいつもと同じ笑顔で、いや、心なしか楽しそうな笑顔でダッシュを繰り返す1年生めがけて手を叩いた。この人はサディストのケがあると思う。
「いや、でもあいつらよくやってるよ」
タクがネット越しに少し休憩、というようなジェスチャーをぼくに見せ、ぼくらは1年生達の姿を見つめた。
「ああ、ケンジもすばるもなんだかんだで練習についてきてる」「問題なのは、アレだな...」
「おげぇぇぇえええええぇぇええええ!!!」
「こら!あたる!そんなところで吐いてんじゃねぇ!」「あー、今日の給食、唐揚げだったのにもったいないなー」
「唐揚げは、消化に悪いから昼間にあんまり食べ過ぎない方がいいよ」「そうなんすか?泉先パイ」「先に言って...ぐぇぇええええ!!」
「アイツはちょっと心配だな...」「ああ...」
ぼくらが気がかりにしているのは、最近ナチュラルにハブられ気味の1年、日野あたるである。
全身筋肉痛で欠席した合宿翌日以外は毎日練習には参加しているが、内向的な性格、それと体力的な問題から
『今までより練習量が増えた時にあたるがついてこれるか?』というのがぼくとマツ部長が懸念していた問題であった。
何しろ体力いぜんにあたるは卓球部で一番のヘタクソであるから、現時点では戦力的には問題がないのだが、次世代を担う後輩部員としてマツ部長はこの練習期間にひとりの脱落者も出したくない、という意見だった。練習量を増やそう、と言いだしたのはぼくだ。
ぼくがこの問題をなんとかしなくちゃいけない、と思い込んでいたフシはあったかもしれない。
次の日の昼休み、ぼくは本を読んで分からないところが出てきたので、現国の顧問、都合の良いことに卓球部の顧問でもある竹岡センセイの席を尋ねていた。
「竹岡センセイ、『山椒魚』に登場するカエルはなぜ、最後に山椒魚を許したんでしょうか?」
「ああん?井伏鱒二なんて中学2年じゃまだ習わんぞ!...そうじゃな、生きてるのが嫌になったんじゃないのか?」
「それはセンセイの個人的な感想だと思います」「なんじゃと!?」「あ、あのぅ......」
論議するぼくと竹岡センセイが振り返るとそこに1年の卓球部員、日野あたるが所在なさげに立っていた。
「これ、センセイに提出したくて......」「ああん?おまえのクラスの担任は他の教師じゃろ?」「そ、そうじゃなくて...」
「これって、あたる、おまえ、まさか......!」
竹岡センセイに手渡された書類を見てぼくは愕然とした。その封には大きな字で『退部届』と書いてあった。
「色々考えたけど、おれ、卓球あんまり向いてないのかな、って。家で5ちゃんとかアニメ見てた方が楽しいし。だから、辞めます!」
「おい、あたる!どういう事だよ!」
思わず声を荒げていた。「ど、どういう事って...」あたるが困ったように顔をくしゃっとゆがめた。始めて見せる表情だ。
「卓球やってると、自分の時間が取れなくなるんだよぅ~」髪をかきむしり始めたあたるに反論するように、ぼくは言った。
「卓球をやってる時間が自分の時間だ!」「そんな事言われてもぉ~、うわわぁああああああ!!!」
大声で叫び声をあげるとあたるはその場を駆け出して職員室のドアを開けていた。「おい、待てって!」
とっさにぼくは走り出したあたるの姿を追った。その時のあたるの走りは普段の練習からは考えられない速度の動きで、角に消えていくあたるの影を目で追っていくのが精一杯だった。
「おい、待て!待てったら!」
ぼくはあたるの姿を追いかけて、学校の外につながる突き当たりのドアを開けた。すると中庭のバスケゴールの柱の下であたるが額をこすりつけながらおいおい、と泣いていた。
「わかんない、わかんないんだよぉおおおお!!」「あたる...」
ぼくはぺたん、と膝をついたあたるを見て言葉を失った。「自分が、なにを好きで、なにをしたいのか、わかんないんだよ...」
ぼくはしばらく泣きじゃくるあたるの姿を見守っていた。幸い、近くには他の生徒の姿はなく、通り雨のあとだった事もあり、誰ひとり中庭には近づこうとはしなかった。
10分近くして気持ちが落ち着いたのか、あたるが振り返ってぼくに訊ねた。
「モリア先パイは、どうすればいいと思う?...ですか?」「あ!そ、そうだな...」
急に話しを振られてぼくは頭を回転させた。
「あたるはさ、ホントは卓球好きなんだろ?」「...わかんない......」「でも、毎日練習参加してるよな?だったら好きって事になるんじゃないのか?」
あたるはうーん、腕組みをしながらぼくに答えた。「ボールをラケットに当てて、自分の得点になるのが好き、かも」「そうそう!おれもそれ好き!」
まるで小学生低学年のような会話だけれど、少しずつあたるの心の氷河が溶けていくような気がした。
「でも、」やっぱりね、という風にぼくは苦笑いを浮かべる。
「ケンジくんはおれに怒ってるような気がするし、すばる君もなんか冷たい感じだし......ああああああ!!やっぱ、おれ、卓球辞める!!!」
「ま、待てって!あたる!!」ぼくは急いであたるをなだめた。
「ケンジはああいう言い方をするヤツなんだ。別に怒ってる訳じゃないんだ。むしろ、いつも何かにビビってる」
「ビビってる?...ケンジくんが......?」
あたるが意外、という風に首を傾げた。ごめんよケンジ。言わないでくれって約束だけど、仕方ないだろ。ぼくはケンジが普段抱えている悩みや不安をあたるに話した。
最初はあんなに強そうで声のでかいケンジくんがビビってるわけなんかない、と疑っていたあたるだったけれど、
次第に心の中で絡まった糸が解けるように笑みを取り戻していった。
「ケンジの言ってることはさ、関西弁か、どっか別の国の言葉だと思って聞いてた方が良いよ。あんなのをいちいち間に受けてたらどうしょうもないよ」
「はは、言えてる」
「すばるにしたってさ、あいつは冷たいというより、人見知りが激しいんだよ。アイツが応援に来てるファンの子達と話したところみた事あるか?」
「ない。そうだったんだ。知らなかった」
「まー、1年も入部してそろそろ4ヶ月だろ?でもこんなにお互いを知らないだなんて思ってもみなかった...よし!おれがあたるがみんなと仲良く卓球できるようにみんなに話しておくよ!」
「本当?そうしてもらえると嬉しいな...」
あたるが雨に濡れた紫陽花のように小さく微笑んだ。「本当だ。練習のストレッチや二人脚も一緒に組んでやる」「でも、」「ん?」
言うかどうか悩んだあとであたるが言った。
「先パイ、好きな人いるから...一緒に組めないよね?...ですよね?」「はぁ?」
ぼくは雨雲を抜け、光が差し始めた空を見上げて頭をかいた。
「おーい!モリア。練習後のストレッチ手伝うぜー。筋肉がついたかどうか、触って確かめさせろー!」
高速で動く雲を見てぼくは一緒にペアを組んでいるタクの能天気な笑顔を思い浮かべた。「あの揉み師め...」
視線を戻すとあたるは少しだけ迷いの消えた瞳をしていた。
「おれ、もうちょっとだけ、卓球続けてみる」
こうして夏の日のちょっと恥ずかしい思い出はおれとあたるのふたりの手によって封をされたのである。
明日からもハードな練習が続く。ヒ~。
続くったら、続く。
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