第12話
「だぁああああ!すばるっ!じゃますんなっ!」「立ちはだかるは断罪の絶壁(ぶつかったのは僕も悪いけど、どかない君も悪いんだぜ)!」
「得点!10-2!マッチポイント!」
「だはー...なにやってんだよ、あいつら」
ぼくとタクがベンチで額に手を置く。港内中との練習試合3つめ。ダブルス1の試合は予想通り、の足の引っ張り合いといった展開になった。
片方が続けざまに打ったり、打ち代わりの間にペアとぶつかったりなど、ルールを覚えたての初心者が犯しがちなミスをすべて踏襲する勢いで穀山中ダブルス1、赤星すばる・豊田ケンジペアは自分たちのミスから失点を重ねていった。
「ちょっとーそこのデカブツ、すばる君の邪魔をしないでよー」
「そうよー、あんたの体ですばる君が見えないじゃなーい」
「うっせー!クソアマ共!文句ばっか言ってんじゃねー!」相手がレシーブして来た打球に合わせてケンジは飛び上がった。
その跳躍の頂点で思い切りケンジはラケットを振り下ろした。ジャンプスマッシュだ!「この1球で流れを変えてやるぜー!どりゃああ!!」
.........こん、こん、こん...卓球台の後ろをピン球が転がっていく音が響く。
「空振り...カッコ悪」「う、うるせー!!」「ダブルスワンは港内中が勝利~!」
鼻をふくらませて笑うすばるを顔を真っ赤にしてケンジが怒りながらふたりはベンチに引き上げてきた。
「うん!捨て試合にしてはいいものを見せてもらったよ!」
マツ部長が怒りを噛み殺しながらふたりを出迎えた。『1年ふたりのポテンシャルがみたい』という理由でこのペアを試合に送ったマツ部長だったが彼の目にはこのふたりの姿がどう映ったのだろうか?
「まー、しゃーねーよ。急造チームだし。いい経験になっただろ?」「で、でも」
なだめるタクにケンジが食い下がった。ぼくはジャージを再び床に脱ぎ捨てた。
「おまえらの敗戦は、先パイであるモリアがチャラにしてくれるさ」
「シングル第3試合、前へ!」
「よろしくお願いします!」「よろしく、どーぞ」
シングル第3試合目の選手であるぼくは卓球台の前で対戦相手の大柄の少年と握手を交わした。
彼はぼくの手を握り潰さんばかりの力で握ると、指でぼくの手のひらをわさわさ、とかいた。ぼくもよくわからず、わさわさ、とかきかえした。
「いやー、笑わせてもらったよー。卓球のルールも知らない素人が立て続けに出てくるなんてよー。穀山中も、卓球の質が落ちたな」
握手をといた
それを見てぼくは「トラッシュトーカーなのかなぁ」と呟いた。やはり、卓球のセカイでも言葉で相手のメンタルを揺さぶってくるプレーヤーはいて、ぼくはそういう相手と対戦するといつもやりづらく、はっきり言えば嫌な気持ちになった。ショージはぼくに向き直ると笑みを浮かべてこう言った。「まぁ、勝負を決める4試合目だ。仲良くやろうぜ」
ははっ、そうやってプレッシャーをかけてくるやり方が気に入らねーっつの。ぼくは苦笑いを咬み殺すと試合前に相手とラケットを交換した。
なんの変哲もないシェイクハンドの卓球ラケットだ。許可をもらってラバーを撫でたけど正直よくわからない。
ぼくはなるほどね、と呟いて相手にラケットを返した。
「すばるくん、お疲れ様~」「きゃー、かわいい、こっち向いて~」試合が終わったというのに能天気なすばるファンの歓声が客席から響く。
ショージは苦々しい顔で彼女らを見上げるとラケットを渡したぼくに言った。
「おい、」「あ?」「あいつら、黙らせろ」「そ、そんなこと言われたって...」
「あ!そろそろサッカー部の練習試合が始まる時間じゃない?」
「うっそー、矢貫くん見たーい!」「いこいこ~」
審判がピン球をショージに手渡すと女の子連中は席を立ち上がって去っていった。年頃の女の子というものは移り気なものだ。
「さ、やかましいギャラリーもいなくなったし、始めようぜ」
ネット越しにショージと目が合う。体の芯に『集中!』と号令をかけるように電波信号が駆け抜けていく。「レディ!ラブオール!」
夏の大会へ向けての、ぼくの始めての試合が始まった。
「サービスエース!得点、港内中!1-0!」「よっし!」
初球、サービス権を得たショージの打球をぼくが打ち返す事ができず、ショージが先制点をあげる。
「ドンマイ!」「集中、集中!」ベンチからの声援がぼくの背中に届く。「どんどんいくぜ!ほら!」
ショージのサービス2球目、「こんどは返す!」するとラケットを当てようとした瞬間、バウンドしたピン球は軌道を変え、ぼくのラケットを避けてコートの下を転がり落ちていった。
「サービスエース!得点、港内中!2-0!」「よっし」
サービスのみでショージが2点を先行。「モリア、慌てるなー!」ベンチのタクの声援が大きくなっていく。ぼくは汗を手で拭うと眼鏡のつるを指で押し上げた。
サーブ権がぼくに移り、審判からピン球を受け取ると、ぼくは前々から練習してきた横回転サーブを相手コートに打ち込んだ。「おっと」
ショージが前に出て打球を処理する。チャンスだ。すかさずスマッシュ!、、、、ではなく、ショージの腕の向き反対方向にドライブを打ち込む。
『そう、くると思ったぜ』。そんな笑みを口元に浮かべてショージがバックハンドでこの打球を打ち返す。3ー0。序盤で港内中の山破ショージがリードを広げた。
「おまえ、勝負を分けるポイントっていうのはなんだと思う?」
ネット越しにショージが話しかけてきた。ぼくは気にしないようにしてラケットのラバーにピン球を押し当てる。
「勝負を分けるのはちょいとした、ディティールだ。
勝者の理論によれば卓球というゲームは大きく2つのレベルに分けて考える事が可能だ。
ひとつは、少しの偶然、突発的な事件、圧倒的な個人能力とか、予見することも制御することも不可能な偶発性のレベル。
これをディティールのレベル。
もうひとつはシステムやプレーの優先順位、プレーの基準になる明確な戦術的原理を与えることによって組織し、制御し予見することができる
必然性のレベル。こっちは原則のレベルと呼ばれる」
「そ、そうか(なに言ってるか、全然わかんねぇ...)」
ぼくがサーブを打ち込むと、ショージがロビング(高め)でリターンし、ぼくはこの打球をネットに引っ掛けた。4ー0。ショージのリードが広がる。
「言ったろ?これはディティールによる得点だ」
点差が広がり、ぼくの胸に黒雲が立ち込める。「そしてこれが、原則のレベルによる得点だ!」ショージがぼくのコートにサービスを打ち込む。
打球のバウンドはまたしても急速に変化し、振りかざしたラケットを避けるようにピン球はテーブルの下へ転がり落ちていった。
「得点、港内中!5-0!」「おーい、モリア大丈夫かー?」両ベンチからどよめきが起き始める。ぼくは目をつむって大きく息を吐き出す。
「まず1本返していこう!」初台先パイ(ぼくは『はっさん』と呼んでいる)の声援が体育館中の不安を突き破るように響くと審判がピッ、とフエを吹いた。
「さ、このままラブゲームでいくぜ」
ショージがラケットをぼくに向けて宣言する(ラブゲームとは1点も取れずに敗北するとても屈辱的な負け方。スコンクともいう)。ぼくはそれを鼻で笑うと重心を低くしてレシーブに備えた。
「11ー0!港内中山破、ワンゲーム先取!」
「おいおい、まじかよ」「どうなってんだよ一体」
1ゲーム目終了。ぼくは額から流れ落ちる汗を拭うと得点ボードの数字を見つめた。
試合開始当初と同じように、ぼくのコート側には一度も得点表が重ねられる事もなく0の数字がきれいに表示されていた。
体育館中のどよめきが大きくなっていく。
「ショージの対戦相手、穀山中のエースじゃねえのかよ」「アイツ、このまま1点も取れないまま終わるんじゃねぇ?」
「おい、コートチェンジだ」「えっ?」「ボサっとすんなよ」「悪い」
ぼくがラケットを見つめているとショージがぼくの肩を叩いた。卓球は1ゲームごとにコートを変えるルールがある。
「ラケットのせいにしたってなんも変わんねぇよ?」
ショージがあざけるようにして反対側のコートに立つ。「モリア、気にすんなー」「じっくり打球、見ていこう!」
タクとマツ部長も声援をおくってくれてる。なんとしてもこのゲーム落とすわけにはいかない。ぼくは手のひらで顔をぱち、ぱちと叩くとショージのサービスに集中した。
「11ー0!港内中山破、ツーゲーム先取!」
「まじかよ...」「うわーーーー」
思わず天井を仰いでいた。このゲーム、またしてもショージのサーブを打ち返す事が出来ず、その度にエースを取られてぼくは一度も相手のコートの打球を返す事ができなかった。
ぼくがラケットを振ると、その逆方向に打球がバウンドするのだ。まるでピン球が意識を持っているようにショージはサービスを自由に操っている。
「はは、その顔だよ。オレが見たかったのは」ショージがぼくを指差して笑う。
「相手の主力の精神を折る、っていうのはいつやっても快感だぜ!オレのサーブを見て、空振りして『アレ、なんで?』ってマヌケヅラを見るのがオレの楽しみなんだ。まぁ、おまえはエースの域には達してねーけどな」
「ちょっと、キミ。さっきから口が過ぎるよ」審判がショージに注意を促す。
「おまえはエースじゃない。ただの穀山中4試合目の選手だ」ショージにそう言われるとぼくは審判から渡されたピン球をテーブルの上にこぼしていた。
頭をハンマーで殴られたように視界がグワングワンと揺れる。親や、怖いセンセイに怒鳴られて説教されているような、そんな恐怖と焦りと恥ずかしさ。
ぼくは震える膝を抑えると、ゆっくり息を吐いたあと大きくサービスを打ち込んだ。
「得点!10-0!マッチポイント!」
この試合、何度目かわからないぼくの空振りでの失点が重なると体育館は失意と期待が混じった異様な雰囲気に変わった。
「モリア、どんな形でいいから1点とってくれ...」「おいおい、ショージのヤツ、本当にラブゲームやるんじゃないのか?」
「次でいよいよ終わりだな」ネット越しにショージが汗を拭う。まさかこんな展開になるなんて。ぼくは2年次になってから、メンバーの繰り上がりもあったけど念願だったシングルスのポジションを勝ち取った。
なのにその自信はこの試合で、山破ショージによって簡単に壊されてしまった。
「モリア、ヤケになるんじゃねー!」「ラケット、おお振り過ぎっすよ、先パイ!」
不甲斐ない試合展開にベンチの声援も怒気のこもったものに変わっていく。心の奥がキリキリと傷んだ。ごめん、俺のせいでこんな白けた試合になってしまった。
「いくぜ!これで終わりだ!」
ショージがピン球を宙に放り投げた。その瞬間、ぼくは後方に飛んだ。ショージの目に一瞬の動揺が走る。が、ショージはいつも通りぼくのコートへサーブを返した。
いつものと同じ、同じ回転の打球だ。この試合、色々なやり方を試してみたがラケットに当てるのが精一杯で、当たったとしても前に飛ばない事がほとんどだった。
「モリアは諦めてない!」タクの声がぼくの背中を押す。ぼくが生み出した解決策はこれだ。
サービスの回転が弱くなった瞬間を狙って打ち返してやればいい。野球の変化球をバッターボックスの一番後ろで捉えるのと理屈は同じだ。
ワンバウンドして卓球台を滑るように落ちていくピン球をぼくはすくい上げるようにして打ち返した。
コン、ラバーとピン球がぶつかって弾ける音。まっすぐに飛ぶ予感は現実に変わり、打球は一直線でショージのコートに返った。
「モリアが返した!」ベンチの熱を一身に感じる。「うおっ、そう来たかよ!」完全に裏をかかれたショージは飛び跳ねるように打球に飛びつく。
バックハンドで返した打球はネットすれすれを超え、台のエッジと呼ばれる角の場所に当たってそのまま床に着地した。
その瞬間、勝負は決した。
「...得点!11ー0!ゲームトゥ山破!シングルス3、港内中、勝利!」
「すげぇ!ショージのやつ本当にやりやがった!」「ラブゲーム達成だ!」
「...最後の打球はしょうがない...」「ありがとうございました」
ぼくは震える体を押し殺しながらショージに握手を求めた。1点も取れなかった事が恥ずかしくて、早くこの場所から消えたかった。
するとショージは少し悔しそうな顔をしてぼくに訊ねた。「おまえ、名前なんだっけ?」「えっ?本田森亜」
「オレに体育館の床舐めさせたのはおまえが始めてだ。油断してたとはいえ、オレのサーブを試合中に打ち返すなんてよ。
アレか?オレが油断するような展開に持ってったのも演技か?まあいい。次にやる時にはまともに試合出来るように練習しとけよモリア」
意外な言葉によってぼくは頭は真っ白になってしまった。「ああ、うん」差し出された日焼けした手を握った。そのときのぼくの焦点はきょろきょろとあてのないものだったに違いない。
なんだよ。なんでそんな事言うんだよ。笑えよ、馬鹿にしろよ!この際、試合中と同じようにショージにののしって欲しかった。
しかしショージは熱のこもった瞳でぼくの手を握り返した。悔しさと怒りがこみ上げていた。
「次、ダブルス2、選手、前へ!」
ぼくのシングルス3が終わり、ダブルスのマツ部長と初台先パイが入れ替わりで卓球台の前についた。ぼくはベンチにどかっと座ると頭の上からタオルを被った。
ぼくが負けたせいで、ゲームの勝者は港内中に決まった。練習試合ということで最後のダブルス2まで試合は続けられる。でもぼくはその試合をとても見る気にはならなかった。
この試合で勝っても穀山中は2勝3敗で港内中の勝ち星を上回る事ができないのだ。ぼくのせいで負けた。ぼくのせいで、ぼくのせいで!!
「ゲームセット!ダブルス2、穀山中、勝利!」
消化試合になった試合でも先パイふたりは手を抜くことなく勝利し、穀山中対港内中の練習試合はトータル勝利数3の港内中が勝利した。
「カントク、カントク!終わりましたよ!」「ふがっ!もうそんな時間か!」
眠っていた両カントクを生徒が起こすと全員が集まって整列をした(なんで寝ているのか全く意味がわからない!)。「お疲れさまっした!」体育館に少年達の声が響く。
「卓球っていうのはなあ、ニャンニャンと同じなんだよ!こうやってアレを、ゴムにこすりつける!」「カントク、ゴムじゃなくてラバーです」「もー、やだーこのひとー」
港内中の茸村カントクが下ネタを交えながら意見交換としてぼく達ホモ中にアドバイスをくれる。タクが笑いながら周りを見渡して言った。
「あのカントク、テレビ中継とかで晒し者にしてやりたいよなぁ、モリア」
モリア、と呼んだところでタクはあっという顔をした。ぼくは大丈夫、落ち込んでないからと声を返す。それを聞いて他の部員達がほっとしたように息をつくのがわかった。
ぼくが負けたせいでこんな風にみんなに気を使わせてしまうのが申し訳なかった。その後、軽くラリーと柔軟を終えるともう一度整列してカントクが声をあげた。
「それじゃ解散!次は全国大会であいましょう!」
茸村カントクが少年漫画のような事を言うと部員達に笑いが起こった。「本日は、ありがとうございました!」「こちらこそありがとうございました!」
「いやー、終わったな合宿ー」「バスケ部はどうだったー?」「鹿、観にいってた」「練習してねーじゃんか!」
2日の合宿日程が終わり、卓球部とバスケ部全員がバスに乗りこんだ。ぼくはいつもの席に座るとポケットからイヤホンを取り出して耳に押し込んだ。
誰とも話したくなかった。誰にも顔を見られたくなかった。
浮かれる部員達の横でぼくはひとり暗い顔をしてるんだろう。そのことがとても嫌で、やりきれない気持ちで胸がいっぱいだった。
バスが発進してみんなが静かになると隣に座っていたタクがぼくの頬をぺろりと舐めた。
「この涙の味は...全中でリベンジを誓っている味だぜ!」
ぼくは強く目をつむった。そして今よりももっと卓球が上手くなる事を心に誓ったのだった。
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