第6話

AM 11:20


ぼく達2-A組の男子生徒は保健室の前で列を作っていた。いつものようにぼくの後ろに立つ友人のタクが言う。


「あー、さみいなぁ。6月だってのにこの寒さはありえないぜ」


タンクトップ一枚で並ぶ生徒達の合間をすきま風がヒュー、と流れていく。「さみぃ」ぼくも思わず寒さを口に出す。


そこへ前の方からフラフラとひとりの男子生徒が歩いてきた。


「なぁ、モリア。あれ、すばるじゃね」「ああ...」


ぼくは目の前を歩いている同じ卓球部の後輩部員である赤星すばるの姿を眺めた。


すばるは苦痛で顔を歪めながら、銃で撃たれた衛生兵のように大げさに左肩のあたりを抑えている。


「あ、先パイ」「おう、すばる。1年はもう予防接種終わったのか」「...ひとつ、お二人に忠告しておきます」


「なんだよかしこまって」


ぼくが訊ねるとすばるは真顔でぼく達にこう告げた。


「今回の注射、まじで痛いっすよ」「嘘をつけ」「...ハーメン...」


「ハーメン、ってなんだよっ!アーメンだろうが!!」「フフ...ハーメン」


言うだけ言うとすばるは廊下をあてのない足取りで消えていった。


「たく、なんだよあいつは」「はーい、出席番号1番から10番までの人は教室に入ってくださーい」


「お、呼ばれたから俺、先行ってるわ」


そういうって出席番号9番のタクは保健室の中へ入って行った。その後、タクの甲高い悲鳴が廊下に響いたのは言うまでもない...



PM 0:20



「紅煉の、刃~♪」


昼休み、ぼくとタクは巷で人気のアニメ、「侵撃の巨人」のオープニングテーマを口ずさんでいた。


「侵撃の巨人」はコミック原作の超人気コンテンツで最新巻は2000万部を売り上げ、文字通りの巨大セールスとなっている(ステマじゃないよ)。


「いや~やっぱり『侵撃』は面白いよなぁ~!(ステマでない)」


「ホント、キャラの心理描写が丁寧に描かれてて引き込まれるよな!ヘヴァイみたいなオトナに憧れるぜ~(ステマじゃねぇっていってんだろ!ハゲ!)」


「タクくん、モリアさん!『侵撃』の話ですか!?」「うお!?田中ァ!」「まーためんどくさいヤツが口を挟んできやがったよ...」


ぼくら、少年の話に腐女子の田中いすずが割り込んで来た。田中は両手を背中に回してぼく達に何かを見せようとしている。


「ふふふっーん、今日は『侵撃』フリークのお二人にこんなモノを用意しました...じゃん!『侵撃』の最新巻コミックスです!」


「おー!すげー!...さっそく読んでみよーぜ!」「学校に漫画は持ち込み禁止だろ...竹岡センセに没収されんぞ」


「ふふっ、大丈夫ですよ、モリアさん!その本は特別ですから...それじゃ、すずはこれで失礼します~」


廊下に田中の姿が消えると、ぼくはすっかりページを開いているタクに顔を近づけて漫画のコマを覗き込んだ。


「あれ?ヘレンってこんなにアゴ尖ってたっけ?」

「そーいえばヘヴァイの眉間のシワがなくなってら。まあ、漫画なんてどんどん絵柄が変わっていくもんだしなー」


ぼくとタクは顔をくっつけて本を読みすすめていった。途中、世界観無視のシャワーシーンが出てきたが巨人が暴れまわる漫画なのでそのへんはスルーしておいた。


だが、遂に決定的な違和感を持つ描写が現れる。


「いい事おもいついた。おい、ヘレン...おまえ、俺の前で巨人になってみろ...」


「え、今ですかぁ?ヘヴァイ兵長」「早くしろ」「うひゃっ」


なぜか服を脱がされる主人公のヘレン。「何も下まで脱がす事はなくね...?」ここには思わずタクもツッコミを入れる。



PM 0:40



キーンコーンカーンこーん。頭の上で昼休み終了のチャイムが鳴る。ふと、横を見るとタクが真っ赤な顔をしてページを注視している。


ぼくが漫画に目を移すとこんな展開が繰り広げられていた。


「あっ、兵長...キモチイイ。。。でも、オレ、巨人になれません」「よし、じゃあ、これでどうだ...」「!?」


「で、出たァー!兵長のローリング愛撫だぁー!」「ナイス解説!オンジさん!」ビカァ!モザイク替わりの雷鳴がページを横切る。


そこには性欲の化身と化した、巨人化したヘレンの姿があった。


「フン、やっと本性を表しやがったか...おもしれぇツラしやがって。ほら。これが目当てだろ?」


「だ、出したァー!兵長のベイビー素肌、生尻だぁー!」「ナイス解説!オンジさん!」


「オ、オカシテヤル...」「さぁ、来いよ...」



がたん!タクが椅子の上から転がり落ちた。


「だ、大丈夫か!?タク!?」「お、おれの憧れのヘヴァイが変態に...」「しっかりしろ!タク!」


ぼくはタクにおでこに手を回した。急なショックで熱を持っている。


「だれか!手を貸してくれ!早く保健室に連れていかないと!...みんな、どうした!?」


ぼくがみんなに助けを求めるが、クラスメイトはぼくらに距離を置くように冷たいまなざしで見つめている。「!?」


ぼくは床に落ちた漫画の表紙を見て思わず叫んだ。


「これ、『侵撃』ちゃうで、『チン撃の巨人』やんけー!!」



後で先パイに聞いたところ、ぼくの叫び声は渡り廊下をはさんだ上の階の教室にまで響いていたという。



PM 0:45



「たく、田中のヤツ、BL本なんか読ませやがって...」


「へ、ヘヴァイがヘレンにオカサレ...」「しっかりしろタク。保健室は目の前だ」


ぼくはタクの肩を抱えながら保健室のドアを開けた。



「うーす、先パイ」「あ、ケンジじゃないか?」


ベッドの上でぼくに手をあげたのは卓球部の後輩の1年、豊田ケンジだ。コワモテだが、部のムードメーカーでみんなからはトヨケンと呼ばれていたりいなかったりしている。


「あれ?タク先パイ、どうしたんすか?腹イタっすか?」「いや、なんか、とてもショッキングな思いをしたみたいで」


「ヘレン、オシリ、マルカジリ...」「あー、こりゃ重症だ。俺のとなりのベッド、空いてるから使うといいっすよ」「そうさせてもらうよ」


タクをベッドに入れ、白目を直してやるとひとつ挟んだベッドで眠るケンジに訊ねた。


「ケンジもどっか悪いのか?」「え、いや、ね?」ケンジは戸惑いを見せたが理由をぼく達に教えてくれた。



「...そっかー。竹岡センセとあんまり仲良くないのかー」

「そう。ひどくないっすか?こないだなんかちょっと早弁しただけで弁当まるごと取られたんすよ。腹グーグーで。部活超キツかったっす」


「はは。そいつはひでーな」


「でもなー、ケンジ。授業はちゃんと出たほうがいいぜ」「おっタク」「起きてたんすか先パイ」咳払いをひとつしてタクが語り始めた。


「竹岡は卓球部の顧問だから何かと仲良くしておいた方がいいぜ。それに中学までは義務教育だが、ちゃんと勉強はしておけよ。その方が、未来の自分に納得してもらえると思うぜ」


「出た!未来の自分!」「まー、そうっすけど...」


冷やかすぼくと頭をかくケンジ。偉そうに鼻をさするタクを見てぼくは続けた。


「タクは人の心配よりも自分の成績を心配したほうがいいんじゃないか?」

「それは言わないお約束だろ」


「『未来の自分』ってなんすか?漫画のネタっすか?」「あー、それね」


ぼくは含み笑いをして天井を見上げる。1年前の出来事を振り返るようにタクは笑った。


「いやー、俺もこのガッコに来た時はお前と卓球やってるなんて夢にも思わなかったぜー。

部活に入る前は卓球部のヤツらなんて、陰気くせーオタクでピチピチパンツの変人連中だと思ってたからさー」


「おまえ、このタイミングでそれ言うか...」


「でも俺、卓球部に入って考え方変わったよ。一生懸命努力する姿に、かっけーも、カッコワルイもないんだって。


一緒にゼンチュー目指して、やってやろうぜ!」「ああ、そうだな」


「いいっすねそれ...アツイっす!おれも早く先パイ達みたいなピチパンキノコ野郎になりたいっす!」



ガラガラ!その時、急にドアが開いた。「やべ!隠れろ!」タクの言葉でぼくは体をベッドに滑り込ませた(隠れる必要はまったくないのだけれども)。


三つ並んだベッドの横のカーテンをコツコツ、と人影が歩いていく。影の主が椅子に座ると左端のタクがぼくらに小声で言った。


「誰だろ。こんな時間に」「もう予防接種の時間は終わったはずっすよ」「あっ!」


その時、ぼくの頭に雷鳴のように答えが浮かんだ。


「なんだよモリア。大きな声だすなって」「も、もしかしてだけど...!」声のトーンを落としてぼくはふたりに言った。


「午前中、予防接種を受けられなかった女子生徒じゃないかな?!」

「なんで女子、限定なんだよ...」


「だって、女子は色々あんじゃん。気分悪くなっちゃっとかさ」

「ああ、セーリってヤツか」「なんの話をしてるんすか、先パイガタ...」


するとカーテンの向こうからスルスル、と衣擦れの音が聞こえてきた。


「ほら、上着を脱いで医者の先生を待ってんだよ。そしてふたりだけになった医者と女生徒は秘密の授業、すなわち、プライベートレッスンを...!」


「モリア、最近おまえ、田中に似てきてねーか?」「んなっ!?」

「ちょ、ちょっと!先パイ」


ケンジがカーテンの隅の方を指差した。絹のカーテンにぽっかりと小さく穴が二つ、くり抜かれている。


「あー...偉大なる先人達に、感謝」「ケンジ、そっから覗いてみろ」

「な、なに言ってんすか!?」「バカ、声がでけーよ」


思わずベッドから起き上がってしまったケンジだったが、しばらくすると意を決したように拳を握りしめてぼく達に向かって宣言した。


「よ、よーし!漢、豊田ケンジ!一世一代の大勝負、この穴からのぞき見てやらぁー!!」

「よっ!さすが漢!日本一!」


とても漢とは思えない卑怯なやり方でケンジは秘境の向こうを覗くべく、穴に顔を近づけた。


「...どっ、どうだ!?」「そこからナニが見えるっ!?」


静寂する保健室内。低い音でふんふふーん、と鼻歌が流れてくる。


「いやー、A組の生徒から没収したこのエロ本だが...このカルミンというヤツが男か女かわからん。

最近のマンガはこういうのが流行りなんじゃろーか...まぁよい。久しぶりに我が息子に獲物を与えてやるとするか...」


「獲物をホフる、イェーガー!!!!!!」「うおおお!なんじゃぁ!いきなり!!」


発狂したケンジがカーテンを引き破るとズボンをおろしていた竹岡センセが大声でいきり立った。


ぼくとタクは布団を頭から被り、他人のフリをすると、その後の展開を拒絶するように頭の回路をシャットダウンさせはじめた。


「...ハーメン...」無意識にぼくとタクはその言葉を呟いていた。





PM 5:20


「ま、まぁよかったじゃねーか竹岡センセと距離が縮まっただろ?」

「そ、そうだよ。あのセンセイに『頼むからここでの出来事は忘れてくれぃ』なんて頭下げさせるのなんておまえしかできないって」

「キョーイクシャがショタ好きホモシコなんて世間にしれたら懲戒免職どころじゃすまねーからな...」



部活の帰り道。ぼくとタクが必死にフォローを入れるが、ケンジは真っ白な顔をし、口からエクトプラズムを吐いている。


海に溶けかけた夕日を見てタクが感慨深げに呟いた。


「俺達、こうして見たくもないセカイを見せられてオトナになっていくんだな」


「ああ」「そうかもしれないっすね...」


夕日をバックに振り向くとタクはケンジにひとかけの包みを差し出した。


「これ、やるよ」「?、キャラメルっすか?」それを手に取り、口に放り込むとケンジの顔が一気に燃え上がった。


「辛ーーーーーーー!!先パイ、なんすか!これは!!」


「コンソメだ。疲れてる時に食うと、キクぜ?」「げほっ!ごぐっ!やりやがったな!ヘタクソ先パイ!」


笑いながら走って行くタクと、口から火を吹きながら追いかけるケンジ。吹き抜けていく風。過ぎていく時間。それを見てぼくは、青春だな、なんて呟いたりするわけでありました。

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