羅刹と修陀(一)
「待たせた」
悪びれぬ様子で入ってきたのは、四十ほどの町人であった。髷尻も控えめな小銀杏と、炯炯とした眼差しがおそろしく釣り合わない。
──相変わらず、落ち着かぬ男だ。
有馬左京吉継は思った。
とまれ、猛々しい。戦国の
なによりも、町人にしては頭が高い。
「松寿。近頃、美形の女を囲っていると聞いたが、宗旨替えでもしたのか」
その男の無礼な物言いに、しかし有馬は薄く嗤ったのみである。
「変わらぬな。何を思うておるのかわからん。そこが堪らぬのだがな」
「くだらぬ」
一言に斬って捨てた。
松寿とは、有馬吉継の幼名である。
そして、男の名は井筒屋権右衛門。元の名を大久保五郎太。三河以来の名門、旗本大久保家の分家筋だ。
知行二百石ほどのの五男坊であったため養子先に困った父親は、乞われるまま町家へ出した。十五の年だ。
支度金でかつかつの家計が潤い、さらに井筒屋の本家筋は両替商だった。長年小普請組に甘んじてきた大久保家にとって、百万の味方を得たようなものであった。
大久保五郎太はまた、松寿丸にとって忘れ得ぬ念兄でもあった。
もとは夭折した兄の友である。幼い頃より精悍な面立ちと生気あふれた様に、松寿は憧れをもって物陰から眺めていた。
しかしある日、兄と五郎太が木陰で抱き合い、音を立てて口吸いしているのを見た。足が地に吸い付いたようにその場から動けず、身体の芯が熱り、震えた。ちらりと五郎太がおのれを見た──と思った途端、松寿は逃げ出した。
やがて、流行病で兄が死んだ。松寿は知行七百石の嫡男となり、兄の友をも引き継いだ。世の中のなにも知らぬうちに、肉の愉悦を教えられ、のぼせ上がった。
ほどなく、五郎太は商家の養子となった。二人は長い間、会うことがなかった。
ところが、一昨年のことである。
松寿は、五郎太と再会した。
それが松寿──有馬吉継の転落の始まりだった。
転落と云っても、すでに衆道に溺れる年ではない。互いに思い出話に興じるような間柄でもなかった。
世を拗ね、何事にも飽いていた有馬にとって、五郎太は悪所に溜まった汚穢のようなものである。
五郎太の、井筒屋権右衛門の思いつきは、格好の退屈しのぎとなった。
二人は、まさに悪所と汚穢であった。混ざり合うことで、さらに悪臭を放つ。
そのような間柄なのだ。
(続く)
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