第5話 パニーノ・インボッティート
〇レティシア
アリス様はとても頭の回転の早いお方です。
市井の出ということで少々浮いているところもおありですが、学園ですからさほど気にもなりません。
……いえ、気にされる方は気にされるのでしょうけれど、少なくとも、私、爺やから口を酸っぱくして言われていますの。
学園とは、同じ学び舎の中で共に学び合う為の場である、と。
知らないことは教え合えばいい、そのためにあらゆる場所から集まってきているのだから、と。
ならば、市井から出てきて貴族社会を知らない方には、私達の知りうることを。
逆に私達が知らない市井のことは、その方から学べばいい。
爺やが言いたかったのは、きっとそういうことだと思います。
Aクラスは貴族が多く、完全に市井の方というのはアリス様ぐらいしかいません。それで最初、ずいぶんと緊張していたそうです。
……そういえば、お食事も一人で目立たない場所でとっておいででしたわね……
その場所で私達は初めてお会いしたのですが……今考えますと、居心地が悪くてあのような場所にいたのかもしれません。私とアリス様が初めて会ったのは、人があまり寄らない中庭の端でしたから。
「合成魔法はこう、影響を考えあってやるとスムーズに出来る気がします。相性のいい魔法もありますし」
「アリス様は合成魔法が得意でいらっしゃいましたものね」
「えへへー。合成魔法は浪漫ですからね!」
「ろ、浪漫?」
授業への道すがら、私とアリス様は魔法学について話し合います。
魔法学は、この学園で学べる授業の中で、もっとも有名かつ特徴的なものでしょう。
かつては魔法使いに弟子入りしたり魔導書で独学しなくては学べなかった魔法が、専門の教師の下で学べるのです。学園に入りたがる人々が、最も希望している学問でもありますね。
なかでも人気なのは、二種類以上の魔法を合わせて行う合成魔法でしょうか。
私、あれ、苦手なのですよね……
「んー。風が吹くと炎が強くなりますよね? あんな感じで、二つの要素をあわせたほうが強くなるものをイメージすると、上手くいくと思うんです」
「ああ、成程。まず効果をイメージするのですね?」
「そうですそうです。元素とか考えるよりはそっちのほうが分かりやすいしイメージ掴みやすいと思うんです。水と雷で効果あげるとか。ほら、水って感電しやすいから」
な、成程。勉強になりますわね。
「アリス様は魔法の才がおありなのですね」
「そうだといいんですが……合体魔法が苦手で……」
「合体魔法が、ですか?」
合体魔法というのは、二人以上の術者が同じタイミングで術を放ち、高い効果をあげるというものです。
タイミングさえあえば出来るので、合成魔法ほどの技能は必要ありません。練習を重ねれば――……
……あ。
「その……一人で出来ませんから」
練習には、二人以上の術者がいります。
アリス様は、そのお相手に恵まれていらっしゃらないのです。
「では、今度私達とやりませんか? 私も、是非合成魔法を習いたいですし」
「本当ですか!? あ、でも、その……いいんでしょうか……私、礼儀作法とか、全然ダメダメですよ……?」
「先の話でも言いましたが、学園にいる間はさほど目くじらをたてる必要はないと思いますわ。互いに相手を思いやっているのがわかれば、そう気にするものでもないかと。アリス様はちゃんとお相手のことを思いながら話されておいでですから、言葉遣いや仕草が出来ていないからといって、どうこう言うのはおかしいかと」
――って、アリス様!?
口がポカンとあきっぱなしですわよ!?
「な、習った方がいい仕草は多そうですけれど、そ、それは今から習えばいいだけのお話ですわ?」
おそるおそる手を伸ばして顎をそっと上に押し上げてあげると、パクンと口を閉じたアリス様が目をいっそう真ん丸にされました。
「レティシア様……すっごく優しい……!!」
え。
ええ!?
「あの……普通のこと、ですわよ?」
「いいえ! だって私、ずーっと……レティシア様は優しいです!」
「そ、そうなの……?」
アリス様は首をぶんぶん振ってますが、そ、そんなに他の学園の方は意地悪なのかしら……?
「市井から出ていらっしゃると、偏見が酷いのですね……」
「アリス様、大変でしたのね……」
ユニ様とシュエット様が心もち顔を暗くしてしみじみ呟かれます。
「うちのクラスは、特に貴族が多いですから……ごめんなさい。私達、今まで自分達のことばかりで、クラスメイトのことに目を向けれてませんでしたわ」
「え……え!? いえ、その……普通のことですから!」
「いいえ! 普通のことではありませんわ!」
慌てるアリス様に、シュエット様がガシッと手を握って力説されます。
「今日から一緒に魔法も勉強いたしましょう。合体魔法なら、任せてください!」
「私、風魔法が得意ですわ。アリス様は確か、水と大地の魔法が得意でいらっしゃいましたよね? 対抗魔法模擬戦、出来ません!?」
「レティシア様は氷と雷が得意でしたわよね? 私は炎なんです。連続連携魔法で五大合体とか試せるのではありませんか!?」
きゃあきゃあと盛り上がる二人に、私もアリス様もポカンとしてしまいましたが……ええ、それは楽しそうですわね?
「連続連携魔法はかなり高度ですから、先生に許可を得てからのほうが良さそうですわね」
「そ、そうですね。……あ、でも、ちょっとワクワクしますね!」
「分かりますわ」
「浪漫ですよね!」
アリス様は握り拳で力説されておいでです。
ろ、浪漫なの?
でも、そうですね、確かにこれは……
「魔法使いの浪漫、ですわね」
「です!」
ニコッと笑ったアリス様は、それはそれは可愛らしかったですわ。
その直後にキューと泣き声が聞こえたのも、なかなか可愛らしかったですわね。
「……!」
「……そういえば、次の授業、お昼時に行われるのですよね」
真っ赤になったお腹を押さえたアリス様に、私はしみじみ呟きます。
「今日の実験、お昼の時間にかぶりますでしょう? 正午でないと出来ないからですけれど……何か先に食べてから参ります?」
私は、学園の食堂は苦手ですけれど……
「爺やさんのお店には行っている時間、ありませんものね……」
「そうね……。待ち時間もあるから、授業が終わってからにしましょうか」
「そういえば、今日はコック・オー・ヴァンが仕上がる頃だと仰ってましたわ……ああ、でもきっともう、売り切れてしまってますわね」
「二時ぐらいには授業も終わりますし、予約してみましょうか」
ユニ様はとても残念そうなお顔をされています。
なので、ちょっとお願いしてみましょう。
アリス様のテーブルマナー勉強にもなりますし。
ええ。アリス様にもぜひ食べていただきましょう。
「予約が出来るのですか?」
「お父様からのプレゼントで、爺やとの連絡がとれるようにと魔道具をいただきましたの。メッセージを送り合うぐらいしかできませんけれど……ああ、返事がきましたわね。売り切れてしまっているようですけれど、即席のでよければ作ってくれるそうですわ」
「え!? コック・オー・ヴァンを即席で!?」
「爺やはわりとそういうアレンジが得意なのです。二時半までに作っておく、とのことですから、楽しみにしていましょう」
爺やからのメッセージには、お待ちしています、との文字がありました。
声を送りあえる通信魔道具があればもっと詳しい話が出来てよかったのですけれど、あれ、ものすごくお高いのよね……
「あ、あのぅ……」
あら、アリス様、どうかされまして?
「お弁当ならあるんですけれど……よかったら……」
「!」
アリス様の声に、私はとっさにその両手を握りました。
アリス様のお弁当。
私、知っています。
味わったことがありますとも。
あれはそう……爺やが学園都市に来る前のこと……お腹を空かして私を癒してくれた、美味しい美味しいトラメッツィーノ!
「トラメッツィーノ……ですか!?」
「い、いえ、今日のは違うんです。パニーノ・インボッティートです」
●
パニーノ・インボッティートは、やや固い生地のパンで具材を挟んだサンドウィッチのようなものだと言えば、分かりやすいでしょうか。
トラメッツィーノは柔らかい食パンのようなパンで挟んでいて、こちらは他の国ではサンドウィッチと呼ばれていたと思います。
使われているのはチャバッタですね。
バゲットより皮が薄めてサクッとしています。クラムはもちもちしていて、もうこれだけで何個も食べられそうですわ!
中に挟んである具はシンプルですが、だからこそ美味しい。
チャバッタは生野菜との相性も最高ですわね。
私はこの生ハムのが大好きですわ。
バターは無塩のものですね。生ハムの塩気がより引き立ちます。ルッコラとのハーモニーが素晴らしいですわ。それに、このチーズがさらに美味しさを引き立てていて……
ん? これは、バターにも工夫がある感じかしら……?
「分かりますか!? ドライトマトとバターをあわせたものも使ってるんです。ドライトマトペーストと無塩バターを一対四の割合であわせました」
「まぁ!」
それで味わいが一層深いのですわね!
「私はこのウィンナーとクリームチーズのが好きですわ!」
「サルサソースの効いたサラミとチーズのも最高です!」
私達が絶賛するアリス様のパニーノ・インボッティートは、アリス様がいつもお昼に持ってきているお弁当の中身です。
今日はご自身へのご褒美に、ちょっと豪華にしていたのだそうです。
「アリス様のご実家もきっと素晴らしいパン屋さんなのでしょうね……」
美味しくてついついじっくり味わっている私に、アリス様はそれはそれは嬉しそうに顔を綻ばせます。
「えへへ。そう言ってもらえると、嬉しいです。前にレティシア様に褒めてもらったこと、家にも伝えたんですよ。皆すっごく喜んでて! 私も嬉しかったなぁ……」
「そういえば、あの時のパンはご実家のパンでしたわよね。あのトマトとチーズの味、今も覚えていますわ」
「公爵令嬢に食べていただけるものじゃなかったんですけどね……ほ、ほら、全然豪華じゃないっていうか、庶民的というか……!」
「私、爺やに夜食で作ってもらったトラメッツィーノが、トマトとチーズでしたの。シンプルで好きなのですわ」
「本当ですか!? 私もアレ好きなんです!」
思わず手に手を取って共感を表していると、ユニ様がとても怖い笑顔で私の真横に立ちました。
「レティシア様。そんなに美味しかったのですね?」
ひィ!
「お、お、美味しかったですわ! あ、あの、アリス様? 今度、あのトラメッツィーノ、購入させていただけませんかしら!? 是非皆で味わいたいですわ」
出来れば、私の非常食にも、是非。
「明日、お昼用に作って来ますよ」
私はアリス様の両手を握る力を強くしました。
あのトラメッツィーノが、明日。
あのトラメッツィーノが、明日。
私の、あの時の感動が、明日に!
「アリス様。授業が終わったら、是非ご一緒に私の爺やの店に行きましょう。実は先程連絡入れておりますの。テーブルマナーの練習を兼ねて。是非。是非お話したいこともありますし!」
アリス様は目を白黒させていましたが、しっかりと頷いてくださいました。
ちなみに授業もご一緒させていただき、私達の班は先生に最高の点数をいただきました。
何故かマリア様が目を剥いておられましたが、ベルナール殿下がいらっしゃるのに自分達が最高得点で無かったから、でしょうか?
それにしても、ベルナール殿下ってば……いえ、私が表だってどうこう言うことではありませんわね。殿下はご自身の立場をちゃんと分かっていらっしゃるはずですから。
……はずだといいのですけれど……
なんだかまた、頭痛の種が増えそうな予感がいたしますわ。
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