第6話 コック・オー・ヴァン
〇爺や
コック・オー・ヴァンは非常に有名な家庭料理です。
それぞれの家庭の味がある為、受け入れられるかどうかドキドキする料理でもありますな。
煮込み系として、本来は時間をかけて作るのでございますが、チキンブイヨンは他の料理中に作っていたのがありますし、今回は時間短縮版でお届けいたしましょう。
珍しくも、お嬢様のリクエストですしな。
さて、調理開始です。あくまで時短版ですので材料は小さく切る形になりますぞ。
玉葱、人参は食べやすい大きさを目安にして、だいたい親指の爪ぐらいの大きさに。
マッシュルームはやや大きめのスライス。
大蒜は薄めのスライス。
鳥腿肉は時短版ですので塊ではなく少し大きめに切る程度で。ざっくり目安を言いますと、女性の握り拳大の大きさに一度切って、それを半分にしたぐらいでしょうかな。
両面に塩コショウをしておきます。
本来は上記材料と共に一晩から二晩漬け込むのですが……まぁ、短縮でも美味しくできますので、腕の見せ所でございますな。
底の深いフライパンにオリーブオイルを入れ、鶏腿肉を焼きます。
皮目から焼くのがポイントでございますぞ。
両面に綺麗な焼き色がついたら一旦取り出し、フライパンに残っている油へ大蒜投入、次いで他の野菜を全投入。
野菜に火が通ったところで腿肉を戻し、赤ワイン、ローリエ、ブイヨンを入れて強火にかけます。アルコールを飛ばします故、必ず強火ですぞ。
なお、量は腿肉が漬かりきるぐらいでございます。徹底的に灰汁をとりますので、やや多めでも大丈夫ですぞ。
この灰汁を取り除く作業、面倒と感じる方も多くいらっしゃいますが、非常に大事でございます。他の煮込みでも発生いたしますが、これを疎かにすると味が何段階も落ちます故、しんどいからもういいや、などと思ってはなりませぬぞ。
さて、その灰汁が出なくなったら塩を二摘まみほど入れ、蓋をして弱火に変えて一時間煮込みます。
私、いつもはとある商会が発明した保温調理機に放り込んで作るのですが、今日は時間がありませんので弱火一時間でございます。
少々、ドキドキですな。
……。
……。
ふむ。一時間でもきちんと味が沁みている様子。
塩コショウで味を整えますが、ここで次のポイント。
一旦肉を引き上げ、ソースにとろみをつけます。
オリーブオイルと小麦を使う場合と、常温に戻しポマード状にしたバターと小麦粉を混ぜる場合とがございます。
とろみつけが終わった後に肉を戻し、パセリを散らせば完成。
付け合せはマッシュポテトにいたしましょう。
さて、新しいお友達を加えてのお食事会とのことですが、楽しんでいただけますでしょうかな……?
〇レティシア
「んんん! おいしー!!」
コック・オー・ヴァンを一口。しっかり噛んで飲み込んで後、アリス様が心からの声をあげられました。
ここは爺やのお店『レテ』。
アリス様はまだ訪れたことが無いとのお話でしたので、爺やとは初顔合わせですわね。
今日はお昼時からズレた時刻です。爺やの店はいつも混んでいますし、御昼時など長蛇の列ですから丁度良かったかもしれません。
……と思ったのですが、昼を二時間も過ぎているのにいまだに列が出来ていました。どうも私は、爺やのお店をなめていたようですわね。
「レティシア様! すっごく美味しいです!」
「まぁ……喜んでいただけて嬉しいですわ」
顔中を輝かせて喜ばれるアリス様に、思わず私も笑顔になってしまいます。
アリス様、本当に嬉しそうなお顔なんですもの。
ユニ様も本当に嬉しそうに食事をされるのですが、アリス様も負けていませんね。お二人でソースやお肉の話で盛り上がっておいでです。
「アリス様。もう少し小さめにお切りになったほうがいいですわ」
「あっ」
「あと、もう少しだけゆっくりと」
「はいっ」
ついつい大きく切って食べてしまうアリス様に、シュエット様がそっと忠告されます。
今日、アリス様をお誘いしたのは食べ方の練習のためでもあります。
そこまで堅苦しい感じにはせず、日常生活で少しずつ学んでいこう、ということで私達でお手本を。
でも、アリス様がついつい大きく切ってしまう理由も、私、分かるのです。あと、早くなってしまう理由も。
爺やの料理、美味しいんですもの。
本人にはあまり伝えませんですけれど。私、この料理の為なら世界も滅ぼせそうですわ。ええ、わりと本気で。
「楽しんでいただけますかな?」
「まぁ! 爺やさん!」
んぐ!?
「今回はいつもと違う手法で調理しておりますが、いかがですかな? ――おや、お嬢様。いかがいたしましたか」
「んく……な、なんでもありませんわ。そうね、いつもより肉の弾力が残っていましたが、これはこれでとても美味しかったですわ」
「左様でございますか。日にちを指定していただければ本式のコック・オー・ヴァンもご賞味いただけますが、いかがいたしましょう?」
「そうね……アリス様にいくつかのフルコースを召し上がっていただきたいですし、その一つに加えてもらえるかしら?」
「畏まりました」
「ふぇ!? レティシア様!?」
あら、アリス様。どうなさったの?
目が落っこちそうですわよ?
「ふ、ふ、フルコースですか!?」
「ええ。練習なさったほうがよろしいでしょう? 作法は慣れです。場数を踏むのが一番ですわ」
「え、で、でも、ここすごく人気で、お席とか、料理とか……」
あとお値段とか、ととても小さな声で呟かれてるのに、私達三人は思わず顔を見合わせてしまいました。
爺やのお店はそれほど値段が高くありません。私もこの学園に来てから初めて値段設定というものを見分いたしましたが、他の店の平均と比べても非常に良心的な、むしろ腕や材料を考えればかなり安めな設定になっています。
とはいえ、フルコースともなれば値は張るもの。
それに、アリス様は市井の出です。
ご飯を自炊で済ませておいでだったこと、お昼はずっとお弁当だったことを考えても、そうそう気軽く出費できるものではないのでしょう。
ですが――
「アリス様。私、アリス様のトラメッツィーノが好きなのです」
ここでの食事は、アリス様の勉強に必要だと判断いたします。
なので、取引を申し出ることにいたしました。
私がアリス様と知り合ったきっかけを持ち出して。
「爺やのお店が出来る前、私、学園のお料理に馴染めず、恥ずかしながらとてもお腹が空いていたのですわ」
あれは学園入りして三日目のことでした。
学園の食堂は、著名な料理人を招いていた素晴らしいもの――ということでした。周囲にも非常に評判がよろしかったですし、私、かなり期待していましたの。
ですが結果は――
……いえ、多分に私が我儘なのでしょう。
昔から食が細く、食べられない料理も多く、家の料理人も匙を投げかけた私です。爺やが料理を担当してくれるまで、ガリガリだった私ですもの。我慢して食べるということが出来ない、この私の我儘がまた出てしまったというだけなのです。
けれど、本当に食が進みませんでした。
お腹は空きますのよ? でも食べたくありませんの。
お野菜と果物のジュースをいただくぐらいが精々でしたわね。困った時は擦りおろしか生絞り。爺やの言う通りです。余計な味付けが混じらない分、普通に美味しくできますものね。
とはいえ三日目にもなるとお腹が空いてフラフラしてしまいます。
お休みする為に人気のない中庭にお邪魔した時に、アリス様にお会いしました。
沢山のトラメッツィーノを召し上がっておいででした。
ええ、沢山の、です。大きなバスケットに入ってました。
美味しそうだったのです。
とっても美味しそうだったのです。
思わず注目していたら、気軽くおすそ分けしてくださいました。
とてもとても美味しかったですわ。シンプルですが、だからこそ美味しいと言いますでしょうか……あと、パンが美味しかったのです。流石はパン屋の娘さんですわね。生地が荒く無くしっとりとして柔らかくて……
「時々いただいていた、あのお味が忘れられませんわ。ですから、私がここの支払いをもちますから、時々作っていただけませんかしら?」
「え……ええ!? でも、全ッ然、お値段違いますよ!?」
「あら。あのお味は、その価値があると思いますわ。うちの爺やにひけをとらないと思いますもの」
にっこり笑ってそう言った瞬間、
「……ほぅ」
とっても優しそうな怖い声がしました。
ひィ!?
「お嬢様がそう仰るお相手は初めてでございます。味にうるさ……いえ、舌の肥えたお嬢様が仰るのですから、アリス様、貴方のお料理はそれだけの価値があるということでございますよ」
爺や、怖い!
すごく怖い!
笑顔なのに、私に威圧をかけてくるのはおやめなさい!
なんで私、怒られてますの!?
「それに、アリス様……私が来るまでの間、お嬢様がひもじい思いをされなかったのはアリス様のトラメッツィーノがあったからでございましょう。心からお礼を申し上げます。いつでもおいでください。貴方の為に最高の料理を提供させていただきましょう」
「ふぁあああ!?」
爺やにそっと両手を握られて、アリス様が真っ赤になって声をあげられます。
爺や。
ちょっと爺や。
なにその熱い眼差し。
ちょっとそこ座りなさい!
私の前で何やってますの!?
そして私が食いしん坊みたいな言い方、おやめなさい!
何故か私にウィンクして離れる爺やに強めの一瞥をしてから、アリス様に向き直りました。
ああ……アリス様真っ赤になって頬を覆われておいでですわ。
爺や、あなた、無駄に美形なこと自覚なさい。年とってるのに。年とってるのに!!
「う……うう……おかしいなぁ……爺やさんみたいなキャラ、いなかったと思うんだけどなぁ……」
「?」
アリス様が不思議なことを仰ってますわ。
ああ、学園には爺やみたいな強烈な人、いませんものね。しいて言えば、ベルナール殿下ぐらい?
けど殿下も、爺やの個性に比べれば……ねぇ。
「ごめんなさいね、アリス様。うちの爺や……その……こんな感じで」
「申し訳ありません、アリス様。うちのお嬢様も、こんな感じで」
「爺や!? どういう意味なの!?」
「お嬢様。言われて嫌なことは人に言ってはなりませんぞ?」
「く……っ!」
「んく……っ!」
私が呻いた途端、アリス様が同じく呻かれました。
あ、あら?
笑いをこらえてらっしゃる!?
まぁ! ユニ様とシュエット様まで!?
「レティシア様って、レティシア様って……すっごく可愛らしい方なんですね……!」
ま……まぁ!?
ちょっと聞きまして!? 爺や!
私、可愛らしいそう……ちょっと爺や! その優しい眼差し、おやめなさい!!
「画面だけじゃ、分からないもんですよねぇ……! なんでゲームじゃ扱いああなのかな……」
「? ???」
よ、よく分かりませんわね?
何のお話なのかしら。
まさか、私を題材にした何かの遊戯がありますの?
劇とか??
「あっ……え、ええと……その、なんて言うかな……綺麗で高貴な人を題材にした、こう、シンデレラストーリー? みたいなこう、物語が……そう、物語があって」
「そういうのが、流行っているのです?」
「そう、そうなんです。私もずっと昔にやった……いえ、チラッと見たぐらいですから、だいぶもう忘れちゃってるんですけどね!? 身分の高い方々のことが、そのー……描かれてまして」
ああ、なるほど。
そういう物語の中の令嬢と、私がだいぶ違うということかしら?
貴族を題材にした物語って、ハーレクインがほとんどですものね。
……あら……それだと私、恋愛的な要素が……い、いえ、そういう意味ではきっとありませんわ。元々道化師の意味ですし。娯楽恋愛は、そういえばしておりませんわね。
……婚約者がいるのに、どういうことかしら……
「アリス様は、ご本がお好きなの?」
あら、シュエット様がわくわくしたお顔になってますわね。
そういえば、シュエット様は大の本好きでいらっしゃいました。特に恋愛小説がお好きだったはずですわ。
「大好きです! 学園に来られて一番うれしかったのって、図書を自由に閲覧できることなんです!」
「分かりますわ! 学園の図書、素晴らしいですものね! と、ところでアリス様はどのようなジャンルがお好き? 恋愛小説は読まれます?」
「読みます読みます! 子供の頃は、語り部の話がすごく楽しみで。聖夜祭のたびに朝から晩までこっそり聞いてたんです。覚えておいて、自分でいつでも読めるようにノートに書いて……」
「アリス様……! そ、それで、どのお話が……た、例えばこう……」
あら。小声で聞こえませんわ?
「わ、分かります! そ、それでこう…… ……とか!」
「まぁああ!」
な、何を話していらっしゃるのかしら。
お二人とも、顔が赤くてよ?
すごく楽しそうなのですけど……
「ユニ様……お分かりになりまして……?」
「あ、えぇと……なんとなく、ですが。レティシア様も、もしかするとお好きかもしれませんわ?」
「そ、そうなの? ど、どんなお話?」
「え、えぇと……」
あら。爺やを気にしていらっしゃるの?
何故?
殿方がいては話しにくい内容?
乙女の秘密的な感じかしら?
私達の視線に、爺やは心得た顔で頷きました。
「喉が渇いておられませんかな? 新作の準備をしているのですが、味をみていただけると嬉しく存じます」
「ええ、是非いただくわ」
「まぁ、新作!?」
パッと顔を輝かせたユニ様に微笑んで、爺やが丁寧にお辞儀して席を外す。相変わらず、動作が洗練されてますわね。
「爺やさん、素敵ですわよねぇ……」
「そ、そうかしら……あれでわりと、意地悪なところもありますのよ? でも仕草は殿方のお手本のように美しいですから、行儀作法を学びに来る者もいましたの。父の教師でもありましたし」
「まぁ! 公爵様の!?」
「ええ……」
考えたら、爺やって不思議ですわね。
私は生まれた時から一緒でしたから、あまり気にしていませんでしたけれど……
「ところでユニ様。先程からシュエット様達が話題にされているお話というのは……」
爺やのやたら爽やかな笑顔を思い出しつつ、気になっていたお話を尋ねた時、
「えー!? お昼過ぎてるのに列、長すぎ!!」
穏やかな昼下がりを無理矢理引き裂くような、そんな大声が響きました。
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