第4話 ホットミルク


〇爺や



 最近、お嬢様が気鬱そうな顔をしておられます。

 五月病でしょうかな?

 予想外ではございますが、考えてみたらお嬢様も思春期のご令嬢。青天の霹靂ではございますが、全く無いとは言い切れません。

 今までとは違う新しい環境へと御移りになり、心も多感になられたのかもしれませ――おっと、素晴らしい眼力で睨まれてしまいましたな。くわばらくわばら。


「……爺や。何か失礼なことを考えていませんでしたか?」

「お嬢様のお心を煩わせている何者かについて考えておりました」


 私はしっかりとお嬢様を見つめて答えました。コツは不自然に言葉を考えないことでございます。無論、目を逸らすなど論外です。


 そんな私達がいるのは、いつもの私の店『レテ』の一角。

 いつもの場所と違い、私がこっそりサボ――いえ、休憩する為に拵えておいた小部屋でございます。

 お心の優れないらしい様子でしたから、衆目に晒される特等席は控えておきました。


 いつもより感情がハッキリ顔に現れておいでなのは、御学友の方々がお傍におられないからでしょう。お嬢様はわりと見栄っ張りですので、他の方々の目があると色々と取り繕ってしまうのです。さっきの眼力とか。


「何か気になることでもおありですかな?」


 私の誠意ある瞳に納得してくださったのか、お嬢様はため息をついて射殺さんばかりの眼力を消されました。いやはや。相変わらず悪魔でも殺せそうな目でしたな。


「……たいしたことではありません」


 そっと目を逸らしてため息一つ。

 どうやら隠匿することを選ばれたご様子。

 こうなると普通に尋ねても絶対に答えてくださいません。お嬢様は我々、執事一同からから常に『がまんづよいおこさまです』『でもすこしまわりをたよることをいたしましょう』という評価をもらっていた方です。礼儀作法から剣の手ほどき、裁縫からダンスまで、ありとあらゆる教養に携わった我々からそう言わしめたのですから相当です。


 頑固なのです。

 強情ともいいます。

 あと意地っ張りです。そこが可愛い。


 ――失礼。脱線いたしましたな。


 そんなお嬢様が『喋らない』と決めたのでしたら、正攻法では無理です。

 なので私はいつもの方法に出る事にしました。

 そう――お嬢様が拗ねた時、ご両親と喧嘩した時、夜なかなか寝付けない時、そっとお出ししていたホットミルクをさしあげるという手段を。


「! ……ありがとう」


 お嬢様は一目見るなり、ちょっとお苦笑(わら)いになりました。受け取られるお姿が、小動物のようでございます。

 おや、形の良い眉が情けない「へ」の形になっていますな。胸がキュンとします。


「……爺やがコレを出してくるほど、私は参っているように見えますか?」

「お嬢様は頑張り屋さんですから」

「その評価はどうかと思うのですけれど。……そうですか。頑張りすぎているように見えますか」

「ご自身のことだけでなく、周りのことまで引き受けようとすれば、そうなってしまうものかと」

「!? ……爺やにはいつも見抜かれてしまいますわね」


 ええ、それはもう。お嬢様は人一倍分かりやすいですから。

 お嬢様はホットミルクに口をつけられると、目元をそれと分かるほどに和らげて微笑まれました。

 私もホッとしたものです。


 本日のホットミルクには蜂蜜を加えてあります。懐かしいですかな? 学園に行く前の日に出したのと同じでございますぞ。

 ニコニコしながら眺めていると、お嬢様がカップを置いて静かな眼差しで私を見上げました。

 迷うような目で、こう問われます。



「ねぇ、爺や。礼儀作法や、宮廷作法って、無用なものなのかしら?」




〇レティシア




 私の名前はレティシア。

 国王陛下の姪にして、アストル公爵家の長子という立場にいる者です。

 貴族として生まれた限りは、与えられた立場に応じた振る舞いをしなければなりません。それは例え学生という身分を与えられ、同年代の子女に混じって学問を学ぶ学び舎であっても同じでしょう。

 ところが――


「だーかーらー! 学校で身分だの礼儀だのおかしいって言ってるの! 私達は学生でしょ!? いちいち同級生にへりくだらないといけないなんて、おかしいじゃない! そもそも、そんな『身分制度』を続けてることじたいが発展を妨げるのよ! 非効率じゃない!」


 どうして分からないかなぁ、と声を張り上げるのは、この学び舎で共に学ぶことになった子爵令嬢のマリア様です。

 かりにも子爵位を賜った方のご息女だというのに、何故か貴族社会のなんたるかについて一切お考えにならないという、少々変わったところのあるお方です。

 意志の強そうな目をされた、可愛らしい御令嬢なのですが――最近、この方のおかげで礼儀作法の授業を真面目に受けない方が出るなど、少々無視できない状況となっています。

 目下、私共の頭痛の種ですね。


 そのマリア様の前に立っているのは、私――ではなく、市井から優秀な成績で入学を果たされたパン屋さんのご令嬢、アリス様です。

 優しげな目元のふわふわした愛らしいお方で、なおかつ非常に優秀な成績を収めておいでの方でもあります。情けない事に、算術に関しては私でも勝てません。


 そのアリス様ですが、学問にとても意欲的で、あらゆる分野に対して徹底的に学ぼうとする学生の鏡のような方です。

 私達がいるクラスは、通称『Aクラス』と呼ばれる成績上位四十名で構成されるクラスなのですが、アリス様はその中でも三指に入ります。

 ちなみに一位は第一王子であられるベルナール殿下。私は総合では二位となっております。


 積極的に学ぼうとしているアリス様にとって、マリア様のお振舞いは理解できないこと。なにしろ、授業を馬鹿にして疎かにするような発言をされるのですから、当然でしょう。私達も理解できませんとも。アリス様、あなたは間違っておられませんわ。


「ですが、実際に現実で必要となっている作法であるのは確かです。学校である、という枠組みに胡坐をかいて、それを疎かにするのもどうかと思うんです」

「ちょっと! 誰が枠組みに胡坐かいてるって言うのよ! あなた失礼じゃない!?」


 マリア様が目を剥いて怒り出しますが、私達はため息をつくしかありません。

 アリス様が真っ向から対峙されるせいか、マリア様もアリス様に対して攻撃的な言動になることがしばしば見受けられます。

 ……いえ、思い返すに、マリア様はアリス様に対して妙に隔意を示されていますね。そのわりに非常に言動に注目されているような……?


 ちなみに、マリア様の言葉に一定数の人が感化されている理由は、マリア様のお力ではなく、別のことに起因しています。

 それが、マリア様のすぐ近くにおられる方――


「流石に聞き逃せれないな。それは暴言では無いのか?」


 ――ベルナール殿下です。

 第一王子ともあろう方が、何をされていらっしゃるのやら……


「事実を指摘しているだけです。それを暴言と言われるのは心外です」

「ちょっと! 王子に対して失礼じゃないの!?」


 ……はぁ……


「……身分だの礼儀だのは、おかしいのではありませんでしたの?」


 あまりにも頭の痛い遣り取りに、流石に我慢の限界が来て声を出してしまいました。マリア様に睨まれましたが、私、あなた程度の睨みでは怖くありませんの。爺やに鍛えられましたから。


「マリア様、あなたが授業や世の中の仕組みやこの先の未来で必要になってくる技能について、どのような考えでいらっしゃるのかは、あなた自身のことですからどうとは申しませんわ。ですが、それを吹聴して他者を巻きこむのはやめていただきたいですわね」

「なんですって!?」

「ここは『学び舎』なのですよ。何の為に、皆、王国中からここに集まっているとお思いです? 知識を、技能を、学ぶ為に来たのではありませんの? そのなかには、礼儀作法も必要なものとして含まれているのですよ」

「だから、それがおかしいって言ってるの!」

「何一つおかしいことなどありません」


 頭痛を堪えて、私は小さく嘆息をつきました。

 そうして、爺やとの話を思い出しながら胸を張り、背筋を伸ばします。

 不思議ですね。爺やの顔を思い出すと、否応なく背筋が伸びてしまいます。


「何故、礼儀作法を学ぶのか。――それは、必要な時に必要となる技能だからこそです。そのために、今に至るまで綿々と受け継がれているのです」


 目に映るのは、顔をしかめているマリア様。

 けれど思い浮かべるのは、いつも通り真っ直ぐ堂々と立つ爺やの姿。


『学校とは、ある意味、これから出る社会の縮図なのでございますよ』


 そう言って微笑んでいた爺やは、いつだって自信満々で、だからこそ思い浮かべるだけでこちらもどっしりと構えられます。


「作法とは本来、人の生活における対人的な言語動作の法式にあたります。人が生活する以上、場にはルールがありますわ。食事然り、挨拶然り、ダンスも、廊下の歩き方一つにしても、場所場所によって求められる姿があるのです」


 青空の下で大声をあげることは禁じられていないでしょう。

 けれど、それが大聖堂であったなら、どうか。


 街から街への道で走ることは禁じられていないでしょう。

 けれど、それが王宮であったなら、どうか。


「そのルールが、いかなる時、どのような場所で適用されるのか。それを守らなければどういう風に判断されるのか。失敗をした先達達が知識として纏め、後の者達が苦労しないよう残した『約束事』とも言えるでしょう。故にこれを学ぶことは、他者と接する時の最低限必要とされる知識となります」


 ルールが適用されるのには、そのルールが必要となった土壌があり、経緯があります。

 無視してよいものでは無いのです。少なくとも、たかだか一個人の思想や感情で。

 

「『何故礼儀作法そのようなものがあるのか』――誰の目にも分かりやすい形で、相手の方のフィールドに礼儀をもって臨んでいることを示す為だと私は認識しております。――『会う』『話す』。ただそれだけですら、おいそれとできない相手、時、場所というのは存在するのです。それをクリアする為の第一関門、必要な手順とも言えるもの。絶対的に必要なものではありませんし、緊急時には免除されますが、それは非常時に限るものです。そうでないならば、相手に対して『あなたの為に割く労力も手順も無い』と言っているのと同じですわ。礼儀の無い対応をされて『侮られた』と憤る方がいるのも、その為でしょう」

「そんなの、思う方がおかしいんじゃない! それこそ身分に胡坐をかいてるって言うのよ!」

「では、マリア様は世の中に出た後もそうされるのですね? 他国の王族の方がお相手でも、思う方がおかしいのだから、と」

「そ、それは……」

「あなたが仰っているのは、そういうことです。学校の授業でそれを習うのは、世の中に出た時にその知識が身を助けることになるからですわ。学校の中で家の身分に対する礼儀を表に出すのは、ここが社会の縮図だからだと思っています。他者に礼儀を尽くすのは当然のこと。同時に、何が失礼にあたって何が失礼でないのか、実体験として学べられます。世に出てからでは取り返しのつかないことであっても、こちらは学校ですからね、教え合い学び合うことも出来るというものです。違いまして?」


 マリア様は何故か私を睨みあげておいでです。

 何故、睨まれるのでしょう?


「それと、マリア様。殿下に対してのみ身分を貴び、他の方々に対してはそれをしない、というのであれば、あなた様は殿下以外の方々を差別していることになります。御自覚をおもちください。矛盾しているのですわ」

「な……ッ!」


 真っ赤になったマリア様を一瞥して、私はアリス様の肩に手を置いて微笑む。


「次の授業に参りましょう。私、アリス様にお尋ねしたい問題がありますの。お教えいただけますかしら?」

「あ、はい。私でよければ――いえ、よろしければ」

「もちろんですわ」


 アリス様はちょっとびっくりした顔をされていましたが、すぐに笑って快諾してくださいました。

 マリア様はまだこちらを睨んでおられますが……とりあえず、これで少しは授業をないがしろにしなくなるといいですわね。

 それにしても、殿下はいつのまにマリア様に懐柔されてしまったのやら……頭の痛い日々はまだまだ続きそうですわ。





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