第3話 トマトのファルシ
〇ユニ
目の前のトマトの縁で、じわじわと肉汁が踊っています。
私の名前はユニ。モティフ家の長女で、この春から学園都市『フルール』で過ごしております。
私が入ったのはAクラス。全教科で優れた成績を残したメンバーの集まる所です。人数は四十名ほどで、流石にAクラスなだけあって、皆様非常に素晴らしい才能の持ち主ばかりです。
そのおかげもあって、授業は充実しております。優先的に素材を使わせてくれる等の優遇措置もあります。家には無い資料もあって、学ぶことに関しては非情に素晴らしい環境と言えるでしょう。
ですが、最近、少しばかり気疲れが……
いえ、いけませんね。美味しい料理を前に浮かない顔をしては料理人の方に失礼というものです。
私がいるのは、つい数日前にオープンしたばかりの『レテ』というお店です。
驚くべきことに、その支配人かつ料理長をしていらっしゃるのは、御学友となってくださったレティシア様のお知り合いの方でした。
レティシア様とおっしゃるのは、王位継承権をお持ちのアストル公爵様のご息女で、今年学園に入られた方々の中でも、第一王子であるベルナール殿下に次いで二番目に高貴なお方です。
ご本人はご自身の『目』が気に入らないと常々仰っていますが、大変お美しい方で、私どもですら時々うっかりと見惚れてしまうほどです。
知らぬは本人ばかり、とは、このことなのでしょうか?
そのレティシア様ですが、入学からしばらくお元気がありませんでした。
お食事もあまりなさっておらず、美味しそうな料理を前にしても困ったような落胆したようなお顔で少し啄む程度です。食事こそ人生最高の娯楽と思う私には信じられないようなご様子でしたが、今ならその理由が分かります。
レティシア様は、今まで最高の料理を食しておいでだったのです。
レティシア様が折につけ口にする言葉に、『爺や』という呼び名がありました。
レティシア様の教育係であり、公爵家の執事であり、食の細かったレティシア様の為に料理を振るわれていた素晴らしい料理人であったそうです。
「私の爺やでしたら、鳥のお肉もパサつかせず調理してしまいますのに……」
レティシア様が食堂で悲しげに呟いておられたのを耳にした時から、いつかお会いしたいと思っていたものです。
その『爺や』さんが、学園都市でお店を立ち上げられました。
理由は仰っておりませんが、きっとレティシア様の為に違いありません。そのお体を気遣って、わざわざ出ておいでになったのでしょう。公爵家の本気を感じましたわ。
その『爺や』さんですが――なんということでしょう! 私、これほど美しくお年を召された老紳士を見たことがありません!!
私のお父様より頭一つは高いだろう長身の、胸の厚みも肩の幅もそれは立派なお方です。御年七十二歳とのことですが、とてもそうは見えません。その辺にいる青年と比べても、遜色ないどころかほぼ勝利間違いなしの逞しさなのです。
それでいてスタイルが良く、決して肉ダルマのようにはならないバランスの良さ。
偉丈夫、いいえ、美丈夫と言うべきでしょう。
筋肉は至高、と豪語されておられるシュエット様が、こっそり握り拳を掲げられていたのは、ここだけのお話です。
しかも、『爺や』さんの風采の良さは逞しさだけにとどまりません。
優しい微笑みをたたえた目元も、穏やかな微笑みを絶やさない口元も、すっと通ったお鼻も、品よく整えられたお髭も、全てが完璧に整っておられるのです。深く刻まれた皺までも味わい深く、魅力は増すばかりです。
嗚呼! お若い頃はどれほどの美男子だったのでしょうか!
今でも充分に魅力的で、お店に来られている方々がうっとりと見惚れて時を忘れてしまうことも。
ええ、ええ! よくわかりますとも!
しかもお料理が素晴らしく美味しいのです。私、この世で最も美味しい料理は何かと問われれば、「レティシア様の『爺や』さんがお作りになる料理」と答えますわ。
お店のお客が女性ばかりなのも頷けるほどです。……ええ、ひっそり殿方も混じってますが、とても居心地が悪そうにしていらっしゃいますから、見なかったことにしてさしあげるのがマナーですわね。
そんな『爺や』さんが本日出してくださったのは、トマトのファルシ。
肉詰めトマトのオーブン焼きです。これがまた非常に美味しくて! 嗚呼! 口の中で混ざり合うトマトと挽肉のハーモニー……!! 玉葱の甘味も舌を蕩けさせてくれます。なんて憎いお味。『爺や』さん……罪なお方……!
お料理の合間にそっと視線を向ければ、私同様、最近お心が晴れないご様子だったレティシア様達も、幸せそうなお顔でトマトを味わっておられます。
やはり美味しい料理は最高のお薬です。
ですが、問題は日常の中にデンと居座っていますから、幸せに浸れるのは今だけなのでしょう。
願わくば穏やかな日々が来ますように、と祈りつつ、あともう少しだけ、この素晴らしい時間を味わっておきましょう。
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