第2話 キッシュ・ロレンヌ
〇爺や
キッシュ・ロレンヌは定番の料理といえるでしょう。
型より一センチほど余剰部分を残して切った後は、冷蔵庫にて二時間以上保管。寝かせている間に他の料理に浮気するのはご愛嬌。寝かせ終わった生地は紙を上に乗せてタルトストーンを乗せ、二百度のオーブンで初期焼き。六割ほどが焼けた時点でダクトを開けての乾燥焼きをし、七割程度で一度取り出して卵黄をハケで塗ってもう一度オーブンへ。表面が乾いた頃あたりで再度取り出します。
よい色ですな。
具材の一つはブランシールした
幅は一センチ程度で切り、塩と胡椒を。
薄切りにした玉葱はバターを使って炒めます。塩が少々いりますな。
グリエールチーズは長さ五センチ、幅三ミリぐらいですりおろしましょう。
八割焼け程度の先のパイ生地に具を敷き込みますが、中央はやや避けておくのがポイントでございます。他は均等に。
生クリームと牛乳、それと卵で作った
ふむ。良い出来です。
時刻はお昼前。
頃合いですな。
●
「爺や! 今日はちゃんとお話をしていただきますわよ!」
「いらっしゃいませ、お嬢様。今少しばかり混んでおりますから、こちらでお待ちいただけますか? 御学友の方々もどうぞ」
「あ、あら、そうなの? じゃあ待たせてもらうわね」
「お邪魔いたします」
ファーストダッシュから遅れてしまったお嬢様は、満席状態の店内にちょっと驚いたようにそわそわしはじめました。やや背伸びして店内を覗いておいでですが、公爵令嬢たる者、そんなはしたないことをしてはいけませんよ。
「あの、ね? 爺や。忙しいみたいだから、後で来ましょうか?」
「いえいえ。準備が整いましたので、こちらのお席へどうぞ」
「え? 大丈夫なの? ――あら、昨日と同じ席なのね」
ええ。お嬢様用の席ですとも。窓側の目立つ特等席ですとも。
「本日のオススメはキッシュ・ロレンヌでございます」
「ああ! やっぱり。いい匂いがしていましたから、きっとそうだと思いましたわ!」
流石お嬢様。匂いに敏感ですな。予定通りでございます。
「学園生活はいかがですかな?」
「そうですわねぇ……思ったより充実していますわね」
ほくほく顔で料理を食べているお嬢様達に話をむければ、日々を思い返すようにしながら答えられる。
あの授業は講義が楽しい。あちらの授業は先生が素敵。教科書が分厚くて持ち歩くのが苦痛。そんな他愛の無い話を小鳥が囀る様に娘さん達が笑いながら語るのは、目にも耳にも楽しいものでございますな。
「授業といえば、市井から上がって来ている方がとても優秀な受け答えをしていましたわ」
「ああ、パン職人の娘さんでしたかしら? どの分野でも活躍しておられるみたいですわね」
「王宮の料理長のご子息も、なかなか優れておいでのようでしたわよ」
「実技でしたら、騎士団長のご子息が素晴らしいと評判ですわね」
おや。他の方々の良いところを随分と褒めておられますな。嫉妬されている様子もなさそうですし、良い日常が送れそうではありませんか。
日常といえば――
「そういえば、ベルナール殿下もご入学されておいでではありませんでしたかな?」
第一王子の名を挙げると、娘さん達が顔を綻ばせました。お嬢様がちょっと身じろぎされたのは、ご自身の婚約者だからでしょうな。
「良い御顔立ちの方とお聞きしておりますが」
「ええ! それはもう!」
「素晴らしい方ですわ! ね、レティシア様」
「え、ええ、そうね。素敵な方ですわ」
ちょっと頬を染めて答えるお嬢様を見ながら、ユニ様達は微笑んで嬉しげに第一王子の噂を私に教えてくださいます。
ほぅほぅ。文武両道で正義感が強いお方、と。
おや、市井にも理解がおありですか。それは、それは。
ちゃんとお嬢様のエスコートもしてくださる? ならば、重畳。善きかな善きかな。
どうやらお嬢様も、あまり顔をあわせたことのない婚約者に興味と好意をもったご様子ですな。貴族の結婚はお家の為とはいえ、義務だけの生活では辛いものがありましょう。恋が出来るのなら、それが良いのです。お嬢様には幸せになっていただきたいものです。
ところでお嬢様、その婚約者、連れて来てはいただけないのですか?
え? 予定は無い、と?
殺生でございますな……おしめまで替えた私に会わせてくださっても、罰は当たらないと思うのですが。
まぁ、お嬢様が連れて来ずとも、いずれ顔を合わせることはありましょう。なければ場を作れば良いのです。
さて、明日はお嬢様の大好きなトマトのファルシでも作りましょうかな。
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