すべりこみアウト

眞壁 暁大

第1話

どんでん返し。

そう言われてなにを思いつくか。

俺は大逆転とか、そういうことしか思いつかない。

本当か?

もっとちゃんと考えれば、違う答えが見つかるかもしれない。

しかし、今はそんなことはどうでもいい。

刺された傷口はすごく熱い。まだ脈打つたびに火が着いたような痛みが響く。

なのに手足、そして頭はやたらと冷える。首筋が特に寒い。まだ動く左手で触れてみて、指先の冷たさと首筋の温度があまり変わらないのにぞっとする。

いや、本当にどちらの体温も低いのか? それすらもう分からない。

分からないのはなぜここで死ぬのかということ。


オッさんは死にゆく俺を見下ろしていた。

「こうなるはずだったんだろう。ただ死ぬのは俺だったはず」

「だがそうはならなかった。しかし、これで死体は一つ用意できたし、帳尻は合う。そうだろ?」


俺は答えられない。もう寒くて寒くて。

オッさんは何を勘違いしたのか俺の頭を爪先で転がす。仰向いていた俺の顔が横になる。口の端から少し血が漏れた。


「溺れて声が出ない、てわけじゃないみたいだが…?」


オッさんは訝しげに俺の頭を何度か蹴る。蹴とばすというよりもつつく感じで、左右に俺の頭が振られる。


「まあいいか」


そういってオッさんは俺の傍から離れていく。


違うだろ!


俺はオッさんを呼び止めようと無駄に意識を集中する。身体はそれに応えない。

もうこうやってものを考えているのも億劫になってきた。痛くて熱くてしょうがなかった傷も、あっという間に冷え切った。

オッさんは勘違いしている。ものすごい勘違いをしている。

そう伝えようと思ったが、もうどうにもならない。



羽振りの良いオッさんが居ると聞いたのは、およそ半年前だ。


俺は金が欲しかった。

聞けばオッさんは俺もよく知る居酒屋の常連らしい。今まで顔を合わせたことがないのが不思議なくらい。

いや、そうでもないか。

オッさんはほとんど毎日のようにやってくるそうだが、俺が外食できるようなことはそうそうない。

というよりも、外食じたい、自ら望んでするものではない。


金貸しに呼び出された時に、俺はそのオッさんのことを教えられたのだ。

金貸しは取立てに俺の家まで来ることはない。

家に来ても取れる金がないことは分かっているからだ。老親はどちらも身動きできない。搾り取ろうにも搾り取れない。

金貸しは俺を呼び出して、俺に身の覚えのない借金をとりたてていく。親の借金を子が払うのは道理だという。

もう何年もそうだ。仕事に就いてからはずっとそれが続いている。


金貸しはいつもと違ってどこかそわそわしていた。

いつものように俺を居酒屋に呼び出し、安酒を呑み、勘定を俺に預けて管を巻いていたが、すこし様子が変わっている。

俺から金を取り立てたら飲めるだけ飲んでさっと帰るのが常だったが、その日は何かを待って時間を潰しながら飲んでいるように見えた。

ダラダラしながらちびちびと飲む。明日の仕事もあるので、と何度か席を立とうとすると引き留める。

いつもなら金の用事が済めばそんなことはなかった。


そうして過ごしていると、店が急に活気づく。

「きたか」

金貸しは呟いて、店の入り口を見やった。そして

「あの男の顔を覚えろ」

と言った。捉えどころのないぼんやりしたツラのオッさんだった。全体に雑な作りで〇と◇の中間くらいの体型。

オッさんの周りに人だかりができる。隣りの席の奴も皆オッさんを囲む。

うんうんうなずいていたオッさんが、最後に一つうなずくと小さなどよめきが上がった。

店長が喜色満面で店内の全ての客に「今日はこの方のおごりです!」と宣言する。

オッさんはまたうんうんうなずいて、そのまま店長に連れられて奥まった個室へと消えて行った。


「いつもああやって周りにおごってる」

追加の注文をしながら、金貸しは言った。

「親の遺産で食ってるって話だが、本当のところは分からん。気がいいようでいて、人を寄せ付けない」

なんとなく雰囲気は察した。おごりにのった客が店を出る前にオッさんのところに顔を出そうとして店長に止められている。

「それでだ」

金貸しは酒臭い息を吐きながら身を乗り出した。

「お前、あいつのカネの在り処を探ってこい」

「はあ」

「お前くらい抜けた奴なら、あいつも警戒せんだろう」

そういって金貸しはにやりと笑った。欠けた前歯が間抜けだった。


そうは言われたものの、オッさんとはしばらく接触点がなかった。

だいたい金貸しもおいそれと近づけないのに、俺がどうやって近づけるというのか。

バカバカしいと思いながらも金貸しから借りたカネでしばらく居酒屋通いを続けた。

そうしていたある日、閉店ギリギリにノルマをこなすつもりで居酒屋に入ったところ、オッさんが一人で酒を飲んでいたことがあった。

店長はばつの悪そうな顔で俺を追い出そうとしたが、オッさんはいいよいいよ、と手を振って俺が店に入るのを許した。


その日はそれだけだった。会話を交わしたわけでもない。

しかしその日以来、なんともいえないオッさんとの縁ができた。

深い会話をするわけではないが、オッさんは他の客との接触は避けるのに、俺が顔を見せるのは拒否しなかったし、店を出る前でも二言三言かわすくらいは平気。

最初は店長が止めていたが、そのうち間に入ってこなくなった。

そんなふうにして付き合いが続いて一月ほど経ったころ。

オッさんの家に呼ばれた。

酷いボロ家だった。普請の程度は俺の家とさほど変わらない。

しかし長屋仕立ての俺の家と違って戸建てのこじんまりとしたその家は建ててから一度も掃除したことがないかのような悲惨な外観を呈していた。

ここまで無頓着であれば、俺の集合住宅なら大家から追い出されている。おそらくオッさんの持ち家なのだろう。

オッさんはその家の掃除を頼みたい、と言った。

業者を呼べばいいと俺は応じたが、オッさんはいくらでも払うから俺にやってほしいという。業者に見られたくないのだと。

俺になら平気なのかと不思議だったが、それでもオッさんの提示した金額は魅力だったので、俺でやれるなりにやってみた。


以来、オッさんは俺のことが気に入ったようで、ちょくちょく呼び出されるようになった。

金貸しはそのことをことのほか喜んだ。

家に入れるようになったのなら遺産がどこにあるのか、どこに預けてるのか知るのはたやすい、と俺をけしかける。

オッさんと深く付き合うようになるにつれ、金貸しの言葉は鋭さを増していくようだった。

さっさと探せ、奴をころして二人で山分けだ、と血走った眼で迫ることも珍しくなかった。


カネならおれも欲しかった。当たり前のようにそれを望んでいた。

しかし、オッさんと付き合っているうち、オッさんには遺産などないのだということを思い知らされた。

オッさんは投機家だった。

ふらふらと適当な銘柄を見つけてきては、山を当てて儲ける。その繰り返しだった。

まるで魔法のようにカネを掘り出すオッさんを見ていると、オッさんはそうして得た札束を一つ、俺に渡していった。

「ものすごい目をしているね。それ貸してあげるから増やせばいいよ」


オッさんの指示通りに株を買う。

オッさんが買う銘柄ほどではないが、どれも儲かった。

オッさんの買うのを真似したいといったこともあったが、オッさんはやんわりと拒否した。

「教えてる銘柄なら10割当たるから、それでいいだろう。俺の推し銘柄を教えて外れて恨まれるのはごめんだよ」

じっさい不満はなかった。オッさんのおかげで身動きの取れなかった両親にささやかな介護サービスを受けさせる余裕もできた。

だがそれと歩を合わせるように、金貸しの圧力も強まっていく。


オッさんは資産家などではなく、投機家だと言っても金貸しは信じようとしなかった。

あんな男に投資ができるわけがない、そう言って聞く耳を持たず、さっさとカネの在り処を突き止めろ、と俺を脅してくる。

誰のおかげでお前の親がいい思いをしているのだ、と凄まれる。金貸しは雀の涙ほどの借金をカタに、俺を脅し続けた。

カネがないうちは気付かなかったが、金貸しの理屈は道理に合わないものだった。


俺は金貸しと縁を切ることを決意した。まさか本気とも思えないが、オッさんを殺すという剣呑な相手とは付き合いきれない。

だからオッさんを匿うべく、あれこれと動いてみた。

後悔しても遅いが俺は金貸しにオッさんのだいたいの居所や行動パターンを教えてしまっている。

金貸しが自分で手を染める前に、オッさんをどこかに逃がさなければならなかった。



オッさんは俺の体を、自宅の庭に埋めた。

俺が必死に片づけた庭だ。ガラクタの転がっていた殺風景な庭。

オッさんは少しだけ残念そうな顔をしていたが、すぐに仕方ない、といった体で溜息をついた。

呼び鈴が鳴る。

金貸しがくる。

逃げろと俺は言った。金貸しはオッさんのカネを産む能力を信じない、そう言った。

伝わるはずもない。どんでん返しなど起きなかった。土の中で俺は虚しく呟いた。

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すべりこみアウト 眞壁 暁大 @afumai

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