第4話
そして、30分ほどが経過した。
かんかんかん、と作業場には軽快に金属を叩く音が響いていた。親方であるダン・レッドヒルが斧を叩いているところだった。普通のモノに比べて一回り以上も大きいそれは恐らく魔物狩りのハンターのものなのだろう。赤々と燃え、強い熱を発していた。
そして、それを叩くダンは恐るべき仏頂面だった。
「ねぇ、ダンさん。いい加減返事くらいしてもらえないかしら」
シャーロットはそんなダンに言った。しかし、ダンは応えなかった。
30分前ここに入ってきてからずっとこんな調子だった。
シャーロットがここへ来るとダンは今のように作業をしており、仕方なく今までどおりにシャーロットはこちらから一方的に要件を伝えた。コーヒーメーカーの図面が完成し、ここに発注する部品のリストも完成し、いよいよダンに仕事を頼みたいということをだ。そしてどんな部品があるか、大まかな流れ、そして報酬の関係も話した。
それで15分くらいが経過したがしかしダンはまったくシャーロットの方を振り返らなかったのである。正直マージンの話になると他の鍛冶師たちは明るいどよめきを漏らしていたがダンは無反応だった。なにを言っても無反応だった。ダンは閉じた貝のようにシャーロットたちとコミュニケーションを拒否しているのである。
シャーロットは困り果てていた。
竜が側に寄って言う。
「ちょっと、これはまずいんじゃないですか?」
「う、うーん。予想外ね。この前の感じだと手応えあったから話を聞いてくれると思ってたんだけど」
「ここに受けてもらえなかったらどうするんですか」
「ここ以外にこんなキワモノの発注受けてくれる鍛冶屋は無いわ。それこそあの大きな工場に行かなくちゃならないけどそれは嫌だし」
工場は基本的に大型からくりを製造しているので金さえ払えば対応してくれる可能性は高かった。しかし、シャーロットはものすごくあの工場が嫌いなので絶対に使いたくないわけである。
なのでなんとかダンのその閉じた貝状態をどうにかしたいとシャーロットは話しかけ続けているがまったく暖簾に腕押しなわけだった。
「親方、話だけでも聞いたらどうですか。だって金額聞いたでしょ。ものすごい仕事ですよ」
見かねた親方の隣に居る鍛冶師がダンに言った。他の鍛冶師たちも固唾を飲んで親方であるダンの様子を見守っていた。確かに仕事としてはこんな大仕事は中々無いだろう。レッドヒル工房はそんなに儲かっているわけでは無い。そのために工房の設備も必要なところ以外は中々オンボロなのだ。この仕事で大金が入れば工房の設備を新しくできるし、職人に支払われる給金も弾むはず。なので彼らも食いついているわけである。
「金が払われても仕方がねぇ」
そこでようやくダンが口を開いた。シャーロットも竜も顔を見合わせる。
「そいつと仕事してもろくなことにならねぇ。必ず俺たちの想像を超えるわけわからん事態が起きる。俺はそれが嫌で仕方がねぇんだ」
「それはそうですけど....」
「お前も謝肉祭のこと忘れたわけじゃねぇだろうが」
「ええ、忘れてませんけど.....」
謝肉祭、という言葉を聞くとその鍛冶師の顔も尋常でなく曇った。今までの浮き足立った雰囲気が嘘のようだ。それを見て竜も非常に不安になった。
「なにをしたんですかシャーロットさん」
シャーロットは冷や汗を流していた。
「カーニバル用に大きな山羊のからくりを作ったんだけどね。ちょっと、出来上がりが気にくわなくなって大幅に変更を加えたのよ」
「大幅じゃねぇ! 初めお前は最初から全部やり直すって言いやがっただろうが! それを俺たちが猛反対してようやく最低限の変更に抑えたんだ! あの時も今のと同じデケェからくりだった! あんなのはもうゴメンだ!!!」
「そ、その節は本当に申し訳なかったわ。あんまり冷静じゃなくて。私没頭するとまともな視点が失われるから」
「とにかく! 前言ったとおりお前とこの仕事をする気はねぇ! 帰ってくれ!」
「う、ううむ....」
なにひとつ言い返せないシャーロットだった。非はシャーロットにあり、そして弁明のしようは無かった。ダンの言い分は全面的に正しかった。シャーロットが思っていた以上にダンの恨みは深いようだった。このままではおとなしく引き下がる他に無い。まずい状態である。
「どうして、きっちりと仕事をしないんですか。困るのはここの方々ですよ。いかにあなたが発注者で彼らが引受業者とはいえ守るべき礼儀はあるはずです」
「本当に申し訳なかったわ」
「まぁ、本当にひどかったのはあの時の一回だったけどね。その後はシャーロットさんも反省してシャーロットさんなりにしっかりした指示を出してくれるようになったよ。あの一回があまりに親方のトラウマになってるんだよねぇ。だから似たような発注は受けたくないんだろうねぇ」
鍛冶師の一人が言う。
「迫り来る謝肉祭の当日、変わる仕様、罵声の飛び交う作業場、それによって起きるトラブル。いやぁ、今思い返しても恐ろしい3日間だった」
鍛冶師は消え入りそうなほど遠い目をしていた。
「本当に申し訳なかったわ.....」
シャーロットは泣きそうになりながら頭を下げていた。なんというか、人間社会のルールはとても大切なのだなと竜は思った。それに逆らった結果が今のシャーロットであった。
しかし、このままではコーヒーメーカーの完成が遠のいてしまう。
シャーロットも実に困るがそれ以上に困るのが竜本人だった。この仕事は竜が依頼人だ。
竜は小さく溜め息を吐くとダンの側まで行った。
「ちょっと、今話しかけたら雷が落ちるわよ!」
シャーロットの制止も聞かずに竜はダンの横から話しかけた。ダンは斧を打ち終わり、水で冷やす見習い達を監督している。
「レッドヒルさん。つまり、あなたはシャーロットさんが途中で仕事を引っかき回すのが我慢ならないというわけですね」
「そうだが、お前は誰だ。この前も来てたな。シャーロットの弟かなんかか?」
「いえ、僕が依頼人の竜です」
「は?」
ダンはぽかんと口を開けた。目の前の子供が何を言ってるのか全然理解出来ないのだ。
竜は袖をまくった。
「これが証拠です」
竜がそう言うと、その幼子の右腕がみるみるごつくなり、白銀の鱗で覆われていったのだ。そして、その腰から白銀の尾も伸びた。ダン、並びに職人達は小さく叫んで後退った。
竜はすぐさまそれらをしまう。
「お分かり頂けましたか」
「じゃあ、本当にお前がこの前こいつの工房に殴り込んだっていう竜なのか」
「ええ、そうです。ここまで噂は届いてましたか」
「当たり前だ。白昼堂々街の真ん中に竜が現れたんだ。第二王都どころかアルビオンの国境も越えて他の国まで噂は届いてる」
「そんな大騒ぎになってましたか」
竜はちょっと考え無し過ぎたかと反省した。
しかし、今はそんなことを話したいのでは無い。
「話を戻しますが。あなたがシャーロットさんの仕事ぶりに我慢ならないのなら我慢なるようにすれば良いのではないですか?」
「何が言いたい」
「契約書に誓約の項目を加えるんです。『いかなる理由があろうとも当初の設計および仕様には変更を加えない』と。それにシャーロットさんがサインすればなにがあってもあなた方が不利益を被ることはないのではないですか?」
「ふん。竜のくせに人間社会のやりとりに頭が回るじゃねぇか」
ダンは見習いが冷やした斧の刃を様々な角度から確認しながら言う。
「まぁ、確かにな。それは全然有りだろう。腐ったやつならそんなことしてもいくらでも抜け道を見つけるが、そいつならそんなことも無いだろう」
「じゃあ、その方向で行けば良いですね」
「だがな」
ダンはすっ、と立ち上がる。その巨躯で見下ろしながら竜を見る。すさまじい威圧感だった。生物として圧倒的に勝っている竜にはなんとも思えなかったが。
「そいつは抜け道なんか無くても勝手に反故にする恐れがある」
ダンはシャーロットを睨んだ。シャーロットはすくみ上がる。ダンはマジだった。
「どういうことです」
「さっきそいつ自身が言ってたろうが。そいつはからくりへの熱中が極まるとからくり以外が目に入らなくなる。常識だの倫理観だのが全部吹っ飛ぶんだ。そうするとどうなるかというと普通ならあり得ない展開が平然と発生する。堅く結んだはずの契約を平然と破ったりな」
「う、うう....」
シャーロットは思い当たる節がありすぎて何も言い返せなかった。
竜も呆れるしかない。交渉はシャーロットの前科により圧倒的に不利だった。
竜は溜め息を吐く。さっきよりも大きかった。
シャーロットを見る。シャーロットは罪悪感で脂汗を流していた。
「シャーロットさん。どうやってもそうなるんですか」
「う、うーん」
「.....無理なんですね」
「じ、自信無いわね」
「分かりました」
竜は再びダンを見た。
「では、こうしましょう。もし、シャーロットさんが約束を破ったらその時点であなた方は仕事を辞めて頂いて結構です。その場合でも報酬は全額払います。これならあなた方が被る損は最小限で済むはずです」
つまり、ダンたちには仕事がどうなっても、シャーロットが暴走してもしなくても報酬は必ず入るということだ。しかも、シャーロットが提示した報酬は普段に比べるとかなりのものだった。相当の好条件だと言えるだろう。なんなら、仕事をしなくても済む分、シャーロットが暴走した方が良いくらいだ。
「良いですね、シャーロットさん」
「え、えーと......うん、分かったわ。それでOKよ」
シャーロットは竜の言い分をゆっくりしっかり飲み込むと応えた。罪悪感からという部分が大きい。が、どのみちこうでもしなければ交渉にすらならないのも事実だ。シャーロットはこの条件を飲むしかない。というか、シャーロットが暴走さえしなければいい話なのである。
対するダンは変わらない仏頂面だった。
「なるほど」
そのまま顎をさすった。しばし、熟考する。竜もシャーロットも固唾を飲んでダンの言葉を待った。
「分かった。まぁ、その条件なら受けても良い」
「本当に!?」
シャーロットは驚くやら嬉しいやらで叫んでしまった。
「本当に、お前が謝肉祭の時みたいになったらすぐ手を引くからな。それは絶対だ」
「分かったわ。分かったわよ。もちろんよ。あんなことにはならないわ」
「期待はしないぜ」
ダンはしかめ面だった。シャーロットの言葉はいまいち信用していないようだ。
「ありがとうございます。良かった。これで話が進む」
竜も嬉しいのだった。
「よっぽど嬉しそうだな。どんだけコーヒーメーカーが欲しいんだよ」
「僕はコーヒーが大好きなんですよ」
「ほう」
竜は即答し、ダンはそれになんだか感銘を受けているようだった。竜には良く分からなかった。
「なるほど、分かった。仕方がねぇ、仕方がねぇな。受けるとするか」
ダンは渋々といった感じだったがそう言った。
つまり、本当に承諾したということだった。
「本当の本当に良いのね」
「ああ、良い。条件は申し分ない。ちゃんと保険もある。なら受けるさ。報酬が良いしな」
「ありがとう、ダンさんありがとう」
シャーロットは若干うれし泣きしながらダンに握手を求めた。ダンはそれには応じなかった。
「次あんなことになったら本当に金輪際お前とは仕事しねぇからな」
「う、うう...。分かってるわよ」
ダンとシャーロットの冷戦状態はすぐには収まらないようだった。
だが、なにはともあれこれで作業の目処はしっかりと立ったわけだ。これでようやく本当の仕事の話を始められる。その前の段階でずいぶんな足止めをくらい、竜はずいぶん頭を働かせたわけだが本題はここからなのだ。
シャーロットはダンに持ってきた書類を渡す。ダンは仏頂面でそれを眺めた。
「ふぅむ。なんだこりゃあ。メチャクチャにでけぇじゃねぇか」
「そりゃあそうよ。竜のコーヒーメーカーなんだから」
「これ作るとなると他の仕事出来ねぇな」
ダンはぼりぼり頭を掻きながら言う。隣の鍛冶師にも見せ二人で相談を始めた。他の仕事との兼ね合いなどを相談しているのだろう。
竜は改めてシャーロットに聞く。
「上手くいくんでしょうか」
「いくわね。腕は間違いないから。引き受けた以上ダンさんは仕事をこなしてくれるわ」
シャーロットははっきりと言うのだった。さっきまで恐ろしい声で怒鳴られていたというのにシャーロットはどこ吹く風だった。
「なんでそんな平然としてられるんですか。ダンさんあんなに怒ってたのに」
「まぁ、こっちが悪かったのがあるし。あとは正直もう慣れてるのよねぇ」
「そんなもんなんですか」
竜には謎な心境だった。
「それに仕事がすごいしっかりしてるし。ダンさんのことは信頼してるのよ」
正直あんなに怒声を上げる以上、竜にはダンが荒くれ者であるようにしか思えなかったがシャーロットにとっては違うようだった。自分に非があってもあれだけ怒鳴られたら竜は一瞬で相手のことが嫌いになるように思われたのだが。少なくとも竜ならそうだった。怒りで全身から炎を上げてしまうだろう。同じ竜相手ならそのままその炎を相手に吹き付けるところだろう。その山ひとつを瞬く間に溶かし尽くす炎を怒りのままに吹き出しまくっているだろう。
しかし、シャーロットはそうではないらしく良く分からないところだった。
「あんな、もう仕事しないって言われてましたけど」
「ああ、大丈夫よ。あれ言われるのもう5回目だから」
「それはそれでどうなんですか」
やはり、なんというかシャーロットに対してダンがあれだけ怒り狂うのは仕方が無いのかもしれないと竜は思った。
「おい、他の部品はどこに発注するか決まってんのか」
「ああ、今から頼みに行くんだけど多分大丈夫よ」
「本当だろうなおい」
「大丈夫大丈夫。必ずどこかには依頼するから」
「決まったら教えろよ。こっちからも連絡を取りてぇ」
「了解了解」
そう言うとダンはまた相談に戻る。かなり真剣な表情だ。どうやら、荒くれ者のならず者で適当な仕事をするというわけでは無いらしい。
とりあえず、竜はコーヒーメーカーの製作が無事進行されそうで何よりなのだった。
「それじゃあ、ここの話が纏まったら次行くわよ」
「あ、はい。あとどれだけあるんですか」
「あと3件回るわ。魔法炉の材料の業者と魔法伝導材の業者、あとは少しだけ使うガラスの業者ね。全部いつもの業者だから大丈夫よ」
「は、はぁ」
シャーロットは得意げに言ったが竜には『いつもの業者』という言葉に不穏なものを感じずにはいられないのだった。
だが、ここでそれを言っても仕方が無いし、悩んでいても仕方が無い。とにかく回るしか無い。そして、ここのようになったら下手すればまた竜が助け船を出すしか無いのかもしれなかった。
「おい。ちょっと聞きてぇことがある」
「ああ、はいはい」
ダンに呼ばれシャーロットは話し合いの輪に入っていった。
とにかくこれで一件目をなんとか終わらせにかかっているわけである。
しかし、竜はここですでに精神がどっと疲れてしまっているのだった。心が疲れるなどということは山奥の秘境で暮らしている時にはあり得ないことなので竜には新しい体験なのだが全然喜ばしい気分にはなれなかった。
長い一日になりそうだと竜は思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます