なぜ、「原作クラッシャー」が生まれるのか?
前ページで、作者が持っている著作権の一部を、企業が行使することを許諾することで出版などが行われている、ということを整理しました。
「出版だけはお前の好きにしてよいよ」、とこんな感じで契約書を取り交わすわけですね。
とはいえ、いくら「好きにして良いよ」と言っても限度ってものがあります。
カクヨムなので小説にしぼると、
・ハードボイルドテイストな作品のはずなのに、表紙がラノベ調の萌えキャラで溢れかえっていたりとか。
・あるいは魔法少女のゆるふわな日常を描いた小説なのに、「はらぺこあ○むし」よろしくサイケデリックなクレヨン画がぶちこまれたりとか(それはそれでアリ?)。
・もっといえば「絵師ガチャ外したな」とか、巷でネタにされる感じに仕立てられたり。
そんなことが起きた時に、「いやいやこの作品はこうじゃないから」と作者の意に沿わない編集や翻案、改変を止める権利があります。
著作人格権です。
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二次創作は作品を盛り上げる要素の一つとして受け入れられていますが、あれは「翻案権」と、場合によっては「著作人格権」を侵害する行為であることは覚えておくと良いかもしれません。
訴えられたら勝ち目がない。訴えたら差し止めできる。
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この著作人格権、たいていの企業はいい顔しません。
なんてったって作者が「これイヤ!」、と言ったら仕事が進まなくなるのですから。
モノ書きってのは自分の書いたものにこだわりがあるものですから、往々にして話が止まるのは目に見えています。
おまけにほかの著作権と違って、「使っても良いよ」と許諾を得るものでもない。
で、どうするかというと、契約書に「著作人格権は行使しない」とばっちり書いておくのです。
契約書に合意した内容となると途端に不利になります。
あとあと「こんな改変は認めない!」と訴えたところで、「それはいわない約束でしょ?」と言われればそれまでです。
一応、契約を破棄することもできるのかもしれませんが、前ページで書いたようにペナルティが大変なことになるのが予想できますし、何より「何かの拍子に契約を破棄する作家」となれば、次から仕事にならない可能性も存分にあるのです。
「著作人格権」が自分の作品を守る絶対の力であるとは、私は法律の専門家ではないので言えません。
あの手この手で企業側が有利な契約にしてくるでしょうから。
ただ、「著作人格権を行使しない」という一文は、しっかりと相手側の意図を確認した方が良いとは思います。
のちの惨劇を防ぐためにも。
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とはいえ、出版不況と言われるこの時代、なにかあれば作者が涙を吞むだけ、という関係も終焉を迎えつつあるのは確かです。
一人一人がスマホを持ち、誰もが手軽にインターネットで好きなものにアクセスできるご時世、自分の作品を世に広める手段として、紙の本を出版するという形にこだわらなくてもよくなってきています。
もちろん、盗作やらトレパクやら、そういったゴタゴタに巻き込まれることもあるのでしょうけれども。
寄らば大樹の陰、というように、大きな樹はときに雨風をしのぐ傘となります。
その一方で、自分が伸びる方向を制限する壁にもなりえるでしょう。
一つに固執せず、選択肢を幅広く持てる者が、この先大きく伸びていくのかもしれません。
……あれ、なんの話をしていたんでしたっけ?
(お付き合いいただきありがとうございました。)
著作権の話をちょっと一杯。 @S_kouji
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