第89話 婚約の行方
信行兄ちゃんの謀反が収束して、尾張は束の間の平穏を得た。織田家のごたごたがちょっと片付いたからだろうか、今川も美濃も、尾張に大々的な攻勢をかけてくることはなかった。
ただ、今川も美濃もいずれは正面切って織田と敵対することが分かっていたから、これが今だけの平穏だってこともよく分かっていた。
でも尾張は平穏でも、俺の心はちっとも平穏じゃなかった。
母上のことで、色々考えさせられたのだ。
母上は、父上の正室になって、幸せとは言えなかった。
じゃあ俺は?
俺は、許嫁の千姫と仲良くできるんだろうか。
あんなに嫌われて、ちゃんとした夫婦になれるんだろうか。
確かにまだ俺は元服もしてないから、実際の結婚はまだ当分先だ。それまでに、千姫と仲良くできるんだろうか。
もし仲良くなれなかったら、母上のような女性を生み出してしまうことにはならないだろうか……?
そう考えた俺は、今回の戦を収めた功績に何か欲しいものを言ってみろと信長兄上に言われて、形じゃないものをお願いすることにした。
「好いた相手と祝言を上げる権利、だと?」
信長兄上は扇子であおいで涼を取っていた手をピタリと止めて俺を見た。八月も終わりでまだまだ暑いからか、湯帷子一枚でくつろいでいる。
俺と熊と、信長兄上の乳兄弟のツッチーしかいないからってさ、くつろぎすぎなんじゃないか?
「はい。母上は……正室でありながら顧みない父上に絶望して、あのようになってしまいました。ですから私は、私が心より愛する方とご縁を結びたいと思うのです」
「……格式ある武家で、好き勝手に縁を結ぶことなどできぬぞ。惚れたおなごがいるなら、側室にでもすればよかろう」
信長兄上と濃姫も政略結婚だもんなぁ。
親しく話したことはないけど、結構気の強そうな人だったよな。
本当かどうか分からないけど、信長兄上との婚儀の前に父の道三から懐剣を渡されて、信長兄上が本当にうつけ者だったらこれで殺して戻ってこい、って言われて、もしかしたら逆にこの会見で父上を刺すかもしれませんよ、って返したっていう逸話の持ち主だ。
うん。間違いなく気が強いな。
元々は美濃の守護だった
土岐頼芸っていうのはあれだ、義龍と濃姫の母親の深芳野様を側室にしてた人だ。でもって義龍が自分の実の父親だって主張してる人だ。
なんていうか人間関係が複雑に絡み合ってて、よく分からなくなるよな。
そのうち戦国時代相関図でも作るしかないな。
「好きな方はまだおりませんが……私は千姫には嫌われているようなので……なんとか仲良くしたいと思っているのですが、あちらにはその気持ちがないらしく、文の返事もなかなか来ません」
「であるか」
信長兄上は扇子をパチンと閉じると、おもむろに目を閉じた。しばらく経った後、カッと目を見開いて、俺を見据えた。
「表向きに論功行賞はできぬが、こたびの戦の第一の功労者が喜六郎であるのは確かである。であれば、喜六の願いをかなえてやるのが道理であろう」
「ではお許しいただけますか?」
正直、気の強い女の人はもうこりごりなんだよ。声を大にして言いたいけど、俺は癒し系が大好きなんだ! 巨乳ならなお良し! 胸の谷間で俺を癒してくれ!
もうほんと。リアル鬼女は勘弁してほしいんだよ。
「だが千姫はどこかに嫁がせねば、後ろ盾がなくなるからな。代わりの者がいるかどうか……」
そう言って腕を組むと、信長兄上はチラリと熊を見た。
え、ちょっと待て。
俺の手に負えないからってポイした縁組を、熊に拾わせるつもりじゃないだろうな?
信長兄上。熊にはもう心に決めた人がいるからな! 人身御供はやめてくれよ!
その願いが聞き届けられたのか、信長兄上は熊から視線をはずした。
ほっとしたけど、まだ犠牲者は残ってた。
「―――よし、恒興。そなたが
「……は?」
いきなり話を振られた池田恒興ことツッチーが、目を丸くして聞き返した。この人は信長兄上の乳兄弟で、いつも兄上の尻ぬぐいをしてる苦労人だ。
そして一番無茶ぶりを振られる事が多い人でもある。
今みたいに。
「さすがに俺の一族であるしな、そこら辺の男にくれてやるわけにはいかぬ。恒興であれば、俺の乳兄弟ということもあって家中の者も納得するだろう。喜六に比べて見てくれは落ちるが、なに、喜六が気に入らんと言うのだ。どのような男ぶりでも無理だということだろう」
うわぁ。さりげなくひどいこと言ってるな。
そりゃあ確かにツッチーは美形ってわけじゃないけど、性格が良さそうで親しみやすい顔をしてるじゃないか。
でもここで俺がツッチーの肩を持つわけにはいかない。また千姫を押し付けられるようなハメになったら、本末転倒だからな。
なんていうか、皆でババ抜きしてるような心境だな。
ジョーカーは千姫だけど。
うん。もちろん、ババなんて言わないさ。ハハハ。
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