第88話 謀反の顛末

「殿はいつも戦で城を空けておったゆえな。夫婦らしき会話など皆無よ。たまに城においでだと思えば、側室の元に通う始末。わらわは……殿の笑った顔も怒った顔も、ついぞ見たことがない。なぜじゃ。わらわは正室なのに……やはり、鬼子を産んでしもうたからか。だがあれは赤子の時に遠ざけたはず。れっきとした殿のお子である信行がおるのだから、わらわの元へ通ってきても良いであろうに……」


 ぶつぶつと呟く母上は、なんかもう目の焦点が合ってなくて、この世の人とは思えなかった。


 これはもう、狂ってるとしか言いようがない。

 母上はいつからこんなに精神を病んでいたんだろう。

 信長兄上を産んだ時だろうか。それとも……


「あげくに娘ほども年の違う岩室次盛の娘などを室にして寵愛なさった。しかもわらわの可愛い三十郎が生まれて、ひと月も経っておらぬというのに男子を産みよった……ああ、口惜しや、口惜しやのう」


 ゆらりと立ち上がる母上は、まるで幽鬼のようだった。


 ちょっと待ってくれ。なんだよ、このホラー。


「殿がわらわを見てくださらないのは、あの鬼子のせいじゃ。あの鬼子を産んだから、わらわは殿に見捨てられてしもうたのじゃ。ええい、信長め! わらわの子供を隠したあげく、殿のお気持ちがわらわから離れるようにと、呪詛をしたに違いない」


 焦点の遭わない目が、俺を認めて止まった。

 赤い、紅を引いた唇が、にたぁと笑みを浮かべる。


 ぎ、ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁ。


 た、助けて、ドラ……じゃない、信長兄上ぇぇぇぇぇ。くまあああぁぁぁぁぁー!


「鬼の手下の悪霊を殺せば、呪詛返しができるかのぅ」


 情けないことに、リアルホラーに腰が抜けた。ずりずりと腰だけで後ろに下がるけど、ふふふと嗤う母上がゆっくりと近づいてくる。

 外で待機している滝川殿に助けを求めなくちゃと思うのに、はくはくと息だけを吐いて声が出ない。


 白い手が、俺の方に伸びてくる。体温を感じられないほど冷たいそれが、俺の首に触れた。

 でも―――


「そこまでです」


 滝川殿の、日に焼けた手が白い手を掴んだ。


 り、りいいだああああああああ。

 助けに来てくれるって信じてたよおおおおおおおお。


 滝川殿の背中に庇われ、その着物をしっかりと掴む。


 さすが剛腕でGOでも皆を引っ張って行ったリーダーだよ。ここぞという時に頼りになるよな!

 あ、でもリーダーはリーダーでも、滝川リーダーだった。でもリーダーなのは確かで……ええい、なんでもいいや。

 とにかく、助かったぁ……。


「かの鬼子母神さえ我が子を隠されて改心したというのに、大方様はその手で我が子を手にかけようとなさる。どちらが鬼か、分かりませんな」

「それはな、我が子ではない。鬼の手先じゃ。わらわが殺さねば、信行と三十郎に仇をなす。もうわらわには、あの二人しか残っておらぬのだ」


 信長兄ちゃんと俺は自分の子ではないと断言されて、滝川殿が気遣うように振り返って俺を見た。

 俺はそれに、軽く首を振る。


 もう、いいんだ。

 どうにかして母上と和解できないかなって思ったけど、もう無理だって分かったからさ。だから、もういいんだ。


 頷きを返した滝川殿は、母上の手を掴んだまま叫んだ。


「誰かある! 土田御前がご乱心じゃ! 誰かある!」







 結局、母上はずっと「鬼の子らを殺せ!」と叫び続けていた。そして末森よりもっと監視の目が厳しい、清須城の方へ移送されることになった。あっちには信長兄上もいるからちょっと心配だけど、この母上の姿を見たら、兄上ももう母上への思慕を止めるんじゃないだろうか。


 いやだって、これ、トラウマもんだよ……

 鬼女、こわい……


 それに、稲生で信行兄ちゃんの「信長兄上は織田の血を引いてない」って言葉を聞いた馬廻りの人たちも、母上のあの様子を見れば、鬼の子だって思いこんでたんだってことが分かるだろうしな。


 それを思えば、ああして狂ってしまったのは、信長兄上には僥倖だっただろう。




 後で聞いた話だけど、母上は信長兄上を産む時に、産み月を過ぎてもなかなか生まれずに、ひどい難産で死にそうになったんだそうだ。

 この時代の出産って本当に命がけな上に、多分、信長兄上がお腹の中で育ちすぎて、それで難産になったんだろう。


 死の淵をさまよって、ようやく我が子と対面したら、その子は体も大きく髪もふさふさで歯も生えていて、とても生まれたばかりの赤ん坊には見えなかった。

 それでも我が子と思って乳をあげたら、乳首を噛み切られてしまった。


 歯が生えて生まれてきた子供は鬼子と呼ばれ、捨てられることもある。

 もしかしてこの子は本当に鬼の子なのではないだろうか。


 離縁した前の正室の方はずいぶん長い間男子に恵まれなかったから、やっと生まれたこの子は鬼子であっても嫡男として認められたけれども、もし他に立派な男子が生まれたならそちらを嫡男にするかもしれない。


 現に、末森城を建てた殿は、信長に傅役だけをつけて、那古野城へと追いやったではないか。


 母上は、そう思っていたんじゃないだろうか。


 ……なんていうか、お腹の中で育ちすぎたゆえの悲劇だよな。

 

 それでも父上が母上を大事にしてフォローしてあげてれば良かったんだろうけど、戦で家を空けまくり、側室作りまくりじゃ、母上もノイローゼになるよな。


 しかも信長兄上だけじゃなくて、俺までおかしくなってしまった。

 このまま放っておけば、信行兄ちゃんも、三十郎も、鬼の手先と入れ替わるのではないか。

 そう考えたとしてもおかしくない。


 それで、信長兄上と俺を排除するために、信行兄ちゃんに謀反を唆したのかもしれないな。


 つまり、今回の事は俺にも責任があるってことだ。

 俺が前世の記憶を持って生き返ったから……


 だとしたら、俺は。


 俺は、織田家に不和をもたらすために、生き返ったんだろうか……


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