第87話 母との対峙
茶室のように少し高い位置にある入口から入るのに、俺の背の高さでは厳しいんで、滝川殿に両手を組んでもらってそれを踏み台にして上がる。
「母上。入りますよ」
一応声をかけてから入る。
座敷牢の中にはきっちり正座した土田御前―――母上がそこにいた。
「
「少し、お話を伺いたいと思いまして」
「そなたと話すことなど、何もない」
母上はそう言ってぷいと横を向いた。
予想よりも落ち着ているな。こんなところへ閉じ込められて、ヒステリー起こすかと思ったけど、落ち着いてるなら何よりだ。
「母上にはなくても、私にはあるのです。しばらく話にお付き合いくださいませんか?」
「……わらわは、そなたの母ではない」
「では、誰の子なのです?」
「知らぬ」
「知らないはずがないでしょう。私は確かに母上、あなたの子供です」
俺がそう言うと、母上は顔を戻してじっと俺を見つめた。
さすがに戦国市の美女と謳われる市姉さまの母親だ。年はとってても、怜悧な美貌は衰えていない。
「わらわが産んだ喜六郎はの。矢に射られてしんでしもうたのじゃ。いまこの目の前にいるのは、喜六郎ではなく、その体を乗っ取った悪霊じゃ」
うわ。びっくりした。
これが母の勘ってやつなのかね? 思いっきり正解してるじゃないか。
確かに俺には喜六郎じゃない男の記憶がある。それが喜六郎の前世のものなのか、この体を乗っ取った悪霊のものなのかは分からないけどな。
でも悪霊になるほど悪いことをした覚えもないから、ここは前世の記憶ってケースを押しておく。それに悪霊みたいにポルターガイストを起こしたり祟ったりできないからな。
「私が悪霊だとして……では、信長兄上は何だと言うのですか?」
「あれは鬼の子じゃ。わらわの子と、取り換えられたのじゃ」
……はぁ。
まあ、そんなことだろうと思ってたけどさ。
そもそもこの時代の不義密通は、男も女も死罪だからな。母上が誰かと不倫して信長兄上を産んだっていうのは考えられなかったけど、よりによって取り換えっこかよ……。
取り換えっこの伝説は北欧とかイギリスの方が有名だ。可愛い赤ん坊が、醜い妖精かトロールの子供と取り換えられる、って話だな。
シェイクスピアの「真夏の夜の夢」って劇でも、妖精王オベーロンと妖精の女王ティターニアが、綺麗な取り換え子をどっちが手に入れるかで喧嘩するのが、そもそものお話のきっかけだ。
例の女優目指してる従姉妹の舞台を見に行ったから、覚えてるんだけどな。劇の内容は、なんか大団円だったってことしか覚えてないけどな。
日本の場合は鬼の子だってことにされる。特に歯が生えて生まれてきた子供は縁起が良くないってことで捨てられたらしい。
あ、確か信長兄上って、歯がすぐ生えたから、乳母の乳首を噛み切ってたんじゃなかったっけ。
それで鬼子ってことになったのかね……
っていうか、信行兄ちゃんも素直に母上の言葉を信じるなよ。まったく。
一応、織田の血を引いてないって発言を聞いたのは信長兄上の馬廻りだけだったから別にいいけどさ。もし他のやつらとか他国の間者に聞かれでもしたら、大問題だぞ。
「鬼の子であるわけがないでしょう。信長兄上は、父上にそっくりではないですか」
「どこが似ているというのじゃ。殿のお顔は、あんな鬼子とは似ても似つかぬお顔であった」
信行兄ちゃんと同じこと言ってるよね。ていうか、亡くなるまでずっと父上と一緒に暮らしてたのに、何で気がつかないんだ?
「声がそっくりではないですか。特に笑い声や怒っている声は、瓜二つです」
「そなた……殿の笑い声や怒っている声を聞いたことがあるのか?」
え……なんだよ、その聞き方。まるで父上の笑い声とか聞いたことがないような聞き方じゃないか。まさか、そんなことはないよな?
あれ、でも確かにあんまり父上って喜と哀楽がなかったよな。怒はよくあったけど。
っていうか、スパルタ教育すぎて俺は父上についていけなかったからな。どこの世界に泳ぎの練習だっていって、いきなり子供を川に放り込む親がいるんだよ。信行兄ちゃんが助けてくれなかったら、今頃川底で冷たくなってたぞ。
そういえば、あれ以来、父上と一緒に鍛錬することはなかったな。蹴鞠とか、そんなのばっかりやってた。もしかしたら信行兄ちゃんが、何か口添えしてくれたのかもしれんね。父上に武芸の才能がないって見捨てられただけかもしれんけど。
それにしても、思い出してみると、鍛錬の時以外は父上ってあんまり感情を表に出す人じゃなかったかもしれない。
いやでも、夫婦なんだから、笑い声くらいは聞いたことあるだろう?
「母上もあるでしょう?」
そう聞いたら、母上はきっとまなじりを吊り上げて般若のような顔をした。
うわっ。なんだよこの変わりよう。あれだ、あれ。能で美人が一瞬で鬼女に変わるヤツ。
リアルで見ると、こえええええええ。
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コミカライズ決定いたしました!
詳細はまた後日お知らせします。
皆さまの応援、本当にありがとうございます!
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