第90話 信長兄上の側室

「殿、わたしと千姫では家格が違い過ぎます」

「なに気にするな。お前が出世すればよい」


 結局、固辞するツッチーに、信長兄上が無理やり千姫を押し付けた……じゃなくて、縁談の話をまとめた。


 優しいツッチーが相手なら、千姫のツンドラも溶けて亜熱帯くらいにはなるんじゃないだろうか。希望的観測にしかすぎないけど。


「ところで喜六。篠木の様子はどうだ?」


 信行兄ちゃんが挙兵したことで、篠木村の田んぼは刈田されちゃったところが多くて、塩水選して等間隔で田植えをした結果どれくらい収穫が増えたかっていうちゃんとしたデータが取れなかった。


 かろうじて残ってた田んぼの様子を見ると、他よりも穂がついてた気がするけどな。

 くそー。戦がなければ目に見える結果が出たはずなのに!


 ただあんまり抵抗しなかったみたいだから、住民に被害がなかったのが不幸中の幸いだ。

 稲はまた来年作ればいいけど、人の命はなくしたらそこで終わりだからな。村人たちが無事だったんだから、それで納得しないとな。


「刈田をされてしまって、今年の収穫は厳しいですね」

「そうか。今年は仕方あるまい。農民たちは年を越せそうか?」

「篠木は直轄地なので、備蓄米もいくらかあるようですからなんとか年は越せそうですけど、今年の年貢は、厳しいと思います」

「ふむ」


 ただ年貢の代わりに那古野布団を作るっていうのも手だよな。

 藁はたっぷりあるし、冬の間の仕事を前倒ししてやるんだって考えればいいか。


「今年は米の代わりに那古野布団を作らせてはどうでしょうか?」

「それが良いかもしれんな」


 頷いた信長兄上は、ふと思いついたように爆弾発言をした。


「そうだ、喜六。子が生まれるのでな、那古野布団を一組用意せよ」

「……へ?」


 え? 子供が生まれるの?

 って、濃姫様って子供いたっけか? 確か信長兄上は正室との間に子供が生まれなかったって聞いたことがあるような気がするんだけどな。


「出来上がったら生駒屋敷へ送っておけ」


 ……え?

 生駒屋敷って……

 …………え?


「おお、ご側室がご懐妊なされたのですか。これはめでたいですなぁ。殿、およろこびを申し上げまする」

「うむ」


 え? 熊も知ってたのか?

 でも、生駒って……娘は美和ちゃんしかいないよな?

 ってことは、美和ちゃんが側室になったのか!?

 でででも、俺は何も聞いてないぞ! 熊だって何も言ってないし……


 だって俺、この間も生駒屋敷に行ったぞ。戦が始まる前だったけど、仔猫が生まれたから見に行ったんだ。津島の商人のところの猫と掛け合わせた、って言ってて、ちっこいのがいっぱいいてさ。もう少し大きくなって乳離れしたら一匹もらう約を束したんだ。

 黒と白のぶち模様の子で、名前もセロにしようかなって考えてて。


 その時には何も言ってなかったぞ。


 ええええええ!?


「喜六。何をそんなに驚いておる」


 いやだって驚くよ!

 いつの間に美和ちゃんと……

 はっ。もしかして無理やり美和ちゃんを側室にしたとか!? もしそうなら信長兄上といえども、許さないからな!


 あ、いや待て。側室っていうからには、この清州城に迎えてるはずだ。ってことは、生駒屋敷にいる美和ちゃんが側室になったわけじゃないってことかな。

 頼む。そうであってくれ!


「あ、いえ。兄上。いつの間にご側室を迎えられたのですか?」

「覚えておらん」


 覚えておらん、ってなんだよ。そのテキトーな答え!


「ではご側室はすぐにこちらの清州にお迎えせねばなりませんな」


 ツッチーの言葉に側室がまだ清州に来てないことを知った。

 ってことは、やっぱり……


「そうだな。ああ、喜六は吉乃きつのに会ったことがあるか?」

「誰ですか、それは」


 きつのなんていう人はどうでもいいんだよ。

 それより美和ちゃんが信長兄上の側室になったっていう事実に、俺は思いのほか、打ちひしがれていた。美和ちゃんをかっさらっていった信長兄上の顔を見ることができず、畳の網目をただ見つめるしかない。


「美和の姉でな。夫を亡くして生駒の家に戻っていたのだ」

「はぁ、そうですか」

「俺よりも年上だが若々しくてな、なかなかの美人だぞ」

「はぁ、そうですか」

「生駒の屋敷で見かけたのだがな、良い尻をしていたゆえそのまま押し倒した」

「はぁ、そうで……って、何やってるんですか、兄上!?」


 あんまりな物言いにびっくりして顔を上げると、ニヤニヤ笑っている信長兄上と目が合った。


「子ができたのはな、その吉乃よ」


 えっ。

 じゃ、じゃあ美和ちゃんが兄上の側室になったわけじゃないのか!?

 まだフリーなのか!?


「喜六、お前、誰と勘違いしていたのだ?」


 分かっててそう言う信長兄は、思いっきりいじめっ子の表情をしていた。

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