第79話  救出

 市姉さまが手配してくれたからなのか、座敷牢生活は思ったよりも悲惨なものにはならなかった。


 そして懸念していた夜這いはなかった。良かった……座敷牢に入ってるとはいえ、さすがに織田の一族だしな。無闇矢鱈に手は出せないよな。


 この時ほど、名のある家に生まれたことに感謝したことはない。うむ。


 食事は一日に三回届いたし、体を拭く為の水を張った桶と手ぬぐいも届けてくれたから、汗でベタベタになった体もさっぱりした。

 さすがに昼は蒸し暑いからな。汗の量が凄い。それに窓は高い所にしかないから役に立たんしな。熱中症にならなくて良かったよ。夕立が降ってくれたから、気温が下がって夜はなんとか寝られたけど。


 食事については、この時代では一日二食が普通なのに、ちゃんとお昼におにぎりが届けられた時は、ちょっと感動して泣きそうになった。

 だってさ、おにぎりのご飯が炊きたてだったんだよ。俺のために、わざわざ炊いてくれたんだな、って思うと心が暖かくなって、これからもがんばろうって思える。


 書物なんかも差し入れしてもらった。兵法の本はダメだったけど、「方丈記」は貸してもらえたんだ。だけど隠居してるおじいちゃんの書いた話だからか、悟りを開きなさい、っていう内容が多かったんで、これは出家フラグかって、ちょっと怯えた。

 この年で寺へは行きたくないからな。一度くらいは好きな子と結婚してみたいし。


 残りの時間は少し体を動かすようにしていた。槍も弓もないから鍛錬はできないけど、腕立てとか腹筋はできるからな。ここを逃げ出す時に、足が弱ってて逃げられませんなんてことにならないように、しっかり運動しておかないと。


 っていうか、そんなに長期間ここにいたくないけどな。


 そんな日を二回繰り返すと、さすがに俺も焦ってきた。


 だって信長兄上の助けがこないんだよ!

 助けに来れないほど、末森の警備が厳重なのか、それとも信行兄ちゃんとの戦で忙しくて来れないのか。


 それとも監禁されただけで殺されないからいいや、って放っておかれてるとか!?


 あり得る。あの合理的すぎる兄上なら、それもあり得るぞ……


 でも信長兄上はともかく、熊は絶対に助けにくるはずだ。

 というか、助けにこなかったら傅役はクビだ! クビにするぞ!


 ここに入れられてからまだ二日だし、そんなに焦ることはないのかもしれないけど、逆に言うと、もう二日過ぎたって考えることもできる。


 出られた時には全部終わってて、信長兄上か信行兄ちゃんのどちらかがもう死んでいました、って事態だけは絶対に避けたい。


 でもなぁ。どうやったらここから脱出できるんだろう。


 あれから市姉さまも来ないし、外の状況がどうなってるのかさっぱり分からんし。

 俺一人で脱出する良い方法はないものかと、畳の上をゴロゴロしながら唸っていると、カタンと小さな音が響いた。


 俺はすぐに身を起こして、袂に入れた懐剣をすぐ抜けるようにしておく。それから恐る恐る音のした方を見た。


 でも、何もない。人もいなければ鼠もいない。


 あれ? 気のせいだったのかな、って思いかけた時。

 ガタってさっきよりも大きい音がした。


 上かっ!?


 見上げると天井の羽目板が少しずれていた。そこから顔が―――

 って、その朴訥とした良い人そうな顔は、リーダー!?


 俺と目があった滝川殿は、唇に人差し指を当ててしーっと合図すると、羽目板を完全にはずしてそこから縄梯子を降ろした。


 うわぁ。まるで本当の忍者みたいじゃないか。

 うわぁ。凄い凄い。


 するすると縄梯子を降りてくる滝川殿は、忍者の頭巾をかぶってないだけで、その黒装束はどこからどう見ても立派な忍者だった。

 いやでも、確か滝川殿に忍者の事を言ったら、一気に冷たい空気が漂ってきたよな。ここは知らんぷりしてスルーが正解なのか!?


「遅くなって申し訳ありません。助けに参りました」

「あ、ありがとうございます、滝川殿。それで、あの、その恰好は……」

「動きやすいですからな。こういった隠密行動にはもってこいです」

「そうですね。まるで―――」

「まるで、なんでしょう?」


 ぎゃー。俺のバカバカ。スルーしようって思ったのに、なんで突っこんじゃうんだよ。滝川殿の笑顔が怖いよ。目が笑ってないよ。


「いえ。なんでもありません」


 もごもごと言い訳をすると、滝川殿はさらににっこりと笑った。


「賢明なことですな。私も手ぶらで帰らずにすむようです」


 ってことは、迂闊な事を言ったら、ここで見捨てられてたってことだよね。ひいいい。


「あ、あははは……」


 乾いた笑いをする俺を、滝川殿はよいしょっと肩に担ぎ上げた。え!? まだ子供とはいえ、もう十一だから結構重いぞ!? なのに何でこんなに軽々持ち上げるんだ?


「舌を噛みますからな。お静かに」

「は、はい」


 そしてそのまま片手だけで縄梯子を登って行く。


 うん。もう、深く考えちゃいかん。


 天井裏に上がって縄梯子を回収した滝川殿と一緒に、匍匐ほふく前進をして進む。ここからどうやって外に出るんだろうと思ってたけど、意外と屋根と壁の間が空いているから、ちょっとだけ壁を削って、そこに人一人がやっと通れるくらいの隙間を作ったみたいだった。


 そして俺の前を進む滝川殿が、警戒しながら外の様子を窺った。


「今なら兵も近くにはいないようですな。ちょうど篠木を押収したのに浮かれているようです」


 そっか。なるほど、そのタイミングなら、末森の兵も油断してるよな。

 でも、篠木を押収し終わったのなら、これから清須に進軍するってことだ。俺も早くここから出ないと間に合わない。


「私が先に降りて受け止めますので、喜六郎様も後から飛び降りてください」

「分かりました」


 滝川殿が降りた後に、俺も思い切って飛び降りた。

 中二階程度とはいえ結構高さがあったけど、なんとか無事に滝川殿にキャッチしてもらえることができた。


 うん。俺には忍者は向いてないな。うん。

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