第78話 牢の中
「信行兄上は、篠木を押収した後は清須に向かうのでしょうか?」
俺がそう尋ねると、市姉さまはゆっくりと首を横に振った。
「わらわには分かりませぬ。けれど、おそらくは……」
だよね。篠木を押収して信長兄上と敵対することが決まってるんだから、次は清須に向かうよね。
どうにかして止められないのかな。
本当は、この争いを止められる人が一人だけいる。
母上だ。
でもきっと母上は、信行兄ちゃんの肩を持つんだろう。
今回、信行兄ちゃんが出陣する決意をするに仕向けた黒幕は母上だったんだって言われても、俺は驚かないぞ。それくらいは、やるだろうなと思ってるからな。
まったく……実の母親なのに、息子同士を争わせてどうするんだよ。普通は仲を仲裁するもんだろ。
「かわいそうに。そなたはまだ幼いのに、このような場所で過ごさねばならないとは……。でも、しばしの辛抱ですよ。いずれ兄上が良きようにしてくださいます」
ふわりと抱きしめられる。そして耳にささやかれた。
「柴田様はどうしました?」
「信長兄上に知らせに行きました」
今頃はもう清須に着いているはずだ。そしてその後は信長兄上のために兵を集めていることだろう。
「ではいずれ兄上の手の者が喜六を助けに参るでしょう。それまでこらえるのです」
「なんとかして戦いを止めたいのですが……」
「策はあるのですか?」
「……ありません」
俺ができるのって、とりあえず信長兄上のところへ行って、まだ去就を決めかねている家臣たちに信長兄上への恭順を促すくらいだよな。
村井、島田、花井とか、そこら辺が全部信長兄上に味方してくれれば、兵の数はもう少し拮抗するんだけどな。現時点では様子見の態度を崩してないんだろうしなぁ。
そういえば、熱田神社の千秋季忠はどっちについてるんだろう。信長兄上についてくれてるといいんだけどな。神社は寺みたいに僧兵がたくさんいるわけじゃないけど、それでも信仰は集めてるからな。熱田さまを信仰する人たちの参戦も期待できるんだよ。
「でも、多分、大丈夫です」
だって信長兄上はこんなところで死なないからな。むしろ心配なのは信行兄ちゃんだ。歴史オタク山田の話によれば、謀反を起こした兄弟のうちの一人は、信長兄上に殺されてるって話だからな。
現時点でそれに当てはまるのは、長兄の信広兄さんと三男の信行兄ちゃんくらいだ。どっちも死亡フラグが立ちまくってる。
俺が断言すると、市姉さまは心配そうに俺を見た。
「そなたがそう言うのなら、うまく収まるのかもしれません。けれど、喜六も無理をしてはなりませんよ?」
「はい。市姉さまもですよ?」
今この末森には、林通具っていう
それにあの俺を見た昏い目。
もしかしたら信行兄ちゃんを傀儡にして、自分が実権を握るつもりかもしれない。一番いいのは自分の娘を信行兄ちゃんの側室にすることだな。男子が生まれれば、千代義姉さんの生んだ御坊を廃嫡にして、その子供を後継ぎにすれば、林のジジイが外戚として権力を握れる。
そんな話はこの戦国時代じゃなくても、どの時代でもゴロゴロしてる。
平清盛だって娘を帝に嫁がせて、生まれた子供を思いっきり
けどもっと最悪なのは、あのクソジジイが市姉さまを妻にして、生まれた男子を織田の後継者に仕立て上げるってパターンだ。その場合、邪魔な信行兄ちゃんを筆頭に、織田の直系男子は皆殺しにされるだろう。
そんな未来は絶対阻止するけどな!
そう心の中で誓っていると、入口の外から戸を叩く音がした。
もうタイムリミットだ。
市姉さまは名残惜しそうに俺から離れると、優しく俺の頭を撫でた。
「また来ます。今度は犬も連れてこれればいいのですけれど。喜六、くれぐれも無理をしないようになさい」
「はい。犬姉さまにもよろしくお伝えください」
名残惜し気に市姉さまが去った後、座敷牢には静寂が戻った。
俺はそっと着物の
柄には鮫皮が使われているんだろうか。ザラリとした独特の感触がある。
ってことは、鞘も鮫皮を研いだものかもしれんね。
とりあえず懐剣でどこまで戦えるかは分からないけど、何も武器がない状態よりはいくらか心強い。
ないとは思うけど、ないとは思うけど。
うん。大事な事なんで二回言いました。そしてもう一度ダメ押しで。
ないとは思うけど。
もし万が一、ここに夜這いしてくる奴がいても、この懐剣で返り討ちにしてやるからな!
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