第75話 末森より出る
とりあえず今は、俺にできることをするしかない。
信行兄ちゃんを止めることができれば一番いいけど、この状況じゃ無理だろう。だから一度、信長兄上の所へ行って、そこから講和の使者としてまた信行兄ちゃんの所へ戻るのがベストだ。
いや、でもこのまま戦になれば信行兄ちゃんの方が優勢なんだから、信長兄上から講和を持ち掛けるっていうのはありえないか。持ち掛けたとしても、聞く耳を持たないだろう。
とすると、一度は勝たなくちゃいけない。
だけど六百の信長兄上が、二千の信行兄ちゃんに勝てるのか……?
熊が動員する兵を足しても、信長兄上サイドは千にいくかいかないか、ってとこか。
しかも信行兄ちゃんが末森から清須に兵を進めるとして、途中の那古野城は林秀貞が支配していて、その西の城もほとんど林の与力の城だ。進軍しながら兵を集められたら、今以上に兵力に差が出るだろう。
北には岩倉城主の織田信安がいるし、後詰が期待できるのは、熊の下社城と佐久間信盛の御器所西城か。でも下社城は末森の東で、御器所西城は熱田方面だから、清須に後詰を期待するのは難しいかもしれないな。
荒子城の前田利昌は林秀貞の与力だけど、息子の前田利家は信長兄上の小姓上がりで馬廻りの一員だ。そっちの伝手で味方になってくれないものかね。そうすれば南側に、信長兄上に味方する城が一つでも増えるんだけどな。
「喜六郎様、こちらへ」
慌ただしく動いている兵の流れに沿って、厩へと向かった。見とがめられないといいけど、と思いながらも周りに注意しながら進む。
厩番は、熊と一緒に俺がいるのを不審そうに見ていたけど、何も言わずに熊の愛馬の夜叉鹿毛を連れてきてくれた。
だけど城の出入口である虎口まであと一歩という所で、門兵に止められた。
「申し訳ござりませぬが、喜六郎様と柴田様は、美作守様の許可がない限り、この門をくぐってはならぬと申し遣わされております」
「織田の若君に無礼であろう!」
槍を交差してゆく手を阻む門番たちに、熊が吠える。でも、門番たちも引こうとはしなかった。その目は心配そうに俺を見ている。
「これから戦が始まり、城の外は危のうござりますからな。それもこれも、若君の御身をお守りするためでございます。聞き分けてくださりませ」
くそぅ。林のジジイの手がもうここまで伸びていたのか。
しかも門番たちは親切で俺の身を案じてくれているみたいだからタチが悪い。これが悪意によるものなら、傷つけてでも強行突破するんだが。
でも身を案じてくれているのが俺だけなら……
「勝家殿。ここは私に任せて、兄上の所へ行ってください」
「―――ですが!」
「信行兄上を説得できるかどうかやってみます。勝家殿は信長兄上をお守りしてください」
「なりませぬ! それがしは喜六郎様の臣にござります。主君を見捨てておめおめと逃げられるはずなどございません」
まったく、この石頭め!
いいから早く、信長兄上の所に行きやがれ!
「私は大丈夫です。信行兄上もいらっしゃるのですからひどいことにはなりません。心配しないでください。さあ、行って!」
馬鹿野郎、ぐずぐずすんな。時間をかけたらここに人が集まってきて、もっと出て行きにくくなるだろう!?
一分一秒を争うんだ。とっとと行け!
「しかし……」
「ゆけ、勝家! 喜六郎が命ずる!」
「承知つかまつった!」
怒鳴り上げると、熊はやっと決心を固めた。
俺をかばう態勢から、意外なほどの身のこなしで馬にまたがる。そして愛馬の腹を蹴った。
「ま、待たれよ、柴田殿!」
慌てて熊を追いかけようとする門番たちの前に、俺は両手を広げて立ちふさがった。
「勝家殿を追いかけるのはまかりならぬ! どうしてもと言うなら、私を斬って進むがいい!」
そう大見得を切ると、門番たちはとまどったように槍の穂先を降ろした。
うえぇぇぇぇ。
足がガクガクするよ。
や、やりなれない事はするもんじゃないな。
でも、やるしかないんだ。俺が信長兄上を救いたいと思うのなら。
「ほうほうほう。これは喜六郎様。ずいぶんと勇ましいことですなぁ」
門番の前に立ちはだかったままの俺に、嫌味ったらしい声がかかる。
この声の持ち主は見なくても分かる。林のクゾジジイだ。
「はてさて。お優しい喜六郎様は、勝家殿に誉れある死を賜りたいということですかな」
「どういう意味だ」
「尾張の国人たちは、みな信行様を推挙なさっておいでですぞ。信長などに味方する者など、おりはしませぬ。味方したとして、無残に屍を晒すだけにござりましょう」
「お前などが、信長兄上の名前を呼び捨てにするな!」
「聞けば、信長に味方するのは大身ではなく部屋住みの三男坊や四男坊ばかりだとか。そのような烏合の衆が集まって、一体何ができるのやら」
その、三男坊や四男坊が集まって、いずれは比類なく強い軍団を作るんだよ。
お前には、一生理解できないだろうけどな!
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