第61話 長良川の戦い・出陣

 でも平穏無事に過ごしたいなんていう俺の願望は、当然、この戦国時代に適えられるはずもなかった。


 事態が動いたのは4月18日。北の美濃。

 斉藤道三が、義龍との決着を着けるために、大桑城おおがじょうから稲葉山城に近い鶴山まで進軍したのだ。


 それを末森で聞いた俺はびっくりした。だって大桑城は山城で防衛に優れてる城だ。わざわざそこから出る理由が分からない。


 月谷和尚様とも、どうやったら味方の少ない道三が義龍に勝てるかっていうシミュレーションを何度かしたんだが、そのどれもが籠城戦を想定していた。


 だけど、進軍したってことは野戦をする覚悟でいるってことだ。でも、ただでさえ道三軍は義龍軍より数が少ないんだ。普通なら野戦をして勝てるとは思えない。


 そもそも、城っていうのは攻めてくる敵をいかに殲滅するかを重視して建てられている。だから力攻めで落とそうと思ったら、それなりの被害が出るのが普通だ。

 攻める側は籠城する側の三倍の兵力が必要だっていうのは、この時代の常識だしな。


 それに大桑城の場合は北に道三の父の長井新佐衛門尉のゆかりの地がある。そこから兵糧を補充することも可能だっただろうから、籠城するとなればかなり長い間持ちこたえられたはずだ。


 第一、籠城していればもうすぐ農繁期になる。兵士の大半を占める足軽は農民だから、攻城側も撤退を余儀なくされるだろう。そうすれば大勢を立て直すなり、どこかに逃げるなりができるはずだ。


 そう。娘婿である信長兄上を頼って尾張に来ることだって―――。


 と、そこまで考えて気がついた。

 大桑城は稲葉山城よりも北にある。尾張に逃げてくるなら、南に逃げれば良かったんじゃないか? そうしなかったって事は、尾張に逃げるつもりがなかったってことか。


 信長兄上が援軍を出すにしても、北の大桑城じゃなくて母上の生家である東の土田城にでも逃げていれば、尾張から近い分援軍を出しやすいし、兵も今より集まっていたに違いない。そこから尾張にくることもできただろう。


 なのに北に逃げた。

 それは、なぜだ?


 ……そう、か。道三が尾張に逃げてくれば、義龍に道三をかくまっている尾張を攻める大義名分ができるからか。


 しかも父上の時ですら、美濃との戦には負けが続いているんだ。まだ家中をまとめ切れてない信長兄上が美濃と正面衝突すれば、勝てる可能性は低いと言わざるをえない。


 それにそうなれば、これが好機と東の今川も攻めてくるだろう。


 でも、そこまで道三が考えるか? だってマムシと呼ばれた男だぞ? 主君を殺したり追い出して成り上がった、戦国時代の梟雄きょうゆうって呼ばれた男なんだ。そこまで信長兄上を気遣うものか?


 きっと俺の考えすぎだ。いくら信長兄上と道三が信頼関係にあったからっていっても、あのマムシなんだ。実の子でもない兄上に、そこまでの思い入れはないだろう。


 ああ、でも、そうか。信長兄上が道三の後詰めに行ったら、本格的に美濃と対立するわけだな。義龍は武将としてはどうなんだろうな。暗愚ならいいけど、名君なら厳しいぞ。


 ただ、尾張を統一した後に美濃は併合してるはずだから、そのうち勝つとは思うんだが。

 道三は確か討たれるんだよ。どこだっけな。どこかの川だったかな。


 つまり、この後、どうなるんだ?






「喜六郎様。これより出陣いたします」


 末森からも、熊と佐久間信盛が信長兄上と合流する予定だ。熊と佐久間信盛は信長兄上にあらかじめ戦支度をしておけって言われてたから、知らせが来てもすぐに戦に行ける。


 戦か……熊は今までも何度も行ってるんだよな。戦で、人を、殺すのか……

 殺さなければ、殺される。

 分かってるけど、俺は、本当の意味でそれを分かっているんだろうか?


「勝家殿。必ず生きて戻ってください」

「わっはっは。御仏のご加護がある喜六郎様が祈ってくださるのですからな。矢も槍も、この勝家を避けて通りますわい!」


 熊は胸をドンと叩いた。

 まあ、熊は信長兄上が死んだ後で秀吉に殺されるからな。この戦で死なない事は分かってるんだが、やっぱり戦となると、心配にもなる。


「勝家、信盛。気をつけて参れよ」


 信行兄ちゃんも、熊と佐久間信盛に激励をする。ちょっと前までなら、信長兄上が出陣しちゃったら、その間に尾張で信行兄ちゃんが謀反を起こすんじゃないかって不安があったけど、今は落ち着いててその心配がなくなったから良かったよ。


 そして歌がるたを贈られて、ちょっと熊と仲良くなった市姉さまも心配そうに熊を見ている。


 熊は、市姉さまをじっと見つめた。そして熊みたいな顔でニカッと笑った。


「市姫様、ご心配めさるな! この勝家。殿にはかすり傷一つつけさせませんからな!」


 え、いや。市姉さま、普通に熊のことも心配してると思うんだけど。でも熊は全然気がついてないようだった。


 うん。さすが熊クオリティーだよ。

 これが本物の、朴念仁って言うんだな。


 とりあえず、市姉さまを泣かせないためにも、ちゃんと生きて帰ってこいよ。

 あと、信長兄上が無茶しないように気をつけてくれ。頼んだぞ。

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