第41話 武士のたしなみ
散々な対面の後、俺は熊に勧められて、なぜか末森城じゃなくて清須に向かっていた。熊は、ただでさえ強面の顔をさらにしかめていて、まるで悪鬼の面構えだ。
同行している他のお供の人たちも、皆無言だ。
あの千姫の暴言の時、熊たち数人は部屋の中にはいなかったけど、稲葉地城の家中の人と一緒に廊下で待機していた。だから全部筒抜けだったらしい。
まあ、あれ聞いてたら怒るのも無理はないけど。
でもなぁ。千姫にも同情の余地はあるし、できればここは穏便に済ませたいところだ。
ちなみにイタチ似の玄久は末森に俺が今日は帰らないことを伝えに行ってくれている。さすがにこの時間じゃ清須に行った後に末森に戻れないからな。冬至はまだだけど、だいぶ日が落ちるのが早くなってるしな。この時代、街灯なんかはないから、戦でもない限り日の落ちた後に遠出する者はいないんだ。
先触れも清須に行っていたから、俺たちはスムーズに清須城の中へと入った。そして部屋の中には既に信長兄上が待っていた。
「勝家。報告をせい」
急に来ちゃってごめんなさいと言う間もなく、信長兄上は熊に事の次第を尋ねる。
話を聞いているうちに、信長兄上の眉間に皺が寄ってきた。
うーん。これは千姫との縁談は破談か? でもなぁ。政略的には俺か信長兄上のどっちかが結婚しなくちゃダメなんじゃないのかな。
側室腹の織田信時、つまり信時兄さんあたりでも大丈夫なのかな。信時兄さんは信長兄上派なんだよな。
ここで俺たち家族の旗色を明らかにしてみよう。
側室腹で長男の織田信広は信行兄ちゃん派。
次男が我らが織田信長だ。
三男が織田信行、つまり信行兄ちゃんだな。
四男が、信広兄さんと同腹の織田信時で、この兄は信長兄上派だ。
そこから下の、五男の織田九郎兄さんと六男の織田彦七郎兄さんは俺の一歳年上でまだ元服してないから、旗色はまだ明らかにされてない。っていうかまあ、結構どっちでもいいっていうか。側室腹だしな。
七男の織田彦七郎は俺より数か月年上の兄だ。もちろん、側室の子だな。
で、八男の俺、織田喜六郎は信長兄上派だ。それより下の弟たちは小さいから考えなくてもいいだろう。
つまり、まとめると、信長兄上派が、四男の信時兄さんと八男の俺で。
信行兄ちゃん派が、長男の信広兄さんくらいか。
ってことは織田弾正忠家では、信長兄上の方が支持が多いのかね。家臣の支持は断トツで信行兄ちゃんの方に軍配が上がるけど。
そんなことをぼーっと考えていると、熊が例の絹織物の話をしていた。
でもそれを聞いていた信長兄上は、それがどうした、という顔をしている。
ですよねー。男が源氏物語なんか読まないから、そんな事言われたって分かんないよね!
なんて思ってたんだけど、熊が何やら言いたそうにしていた。もちろん、信長兄上もそれに気がつく。
「勝家。何か言いたいことがあれば遠慮なく申せ」
「はっ。武士の手習いといえば、
「それがどうした。さっさと用件を言え」
庭訓往来というのは、師匠と弟子が手紙を往復させることによって、衣食住・職業・領国経営・建築・司法・職分・仏教・武具・教養・療養とかの一般常識を学ぶことを言う。現代で言う、個人用にカスタマイズされた通信教育みたいなもんか。
実語教は道徳の教科書ってところだな。
でもって四書五経は「四書」が「大学」「中庸」「論語」「孟子」、そして「五経」はそれより難解になる「易経」「書経」「詩経」「礼記」「春秋」だ。
戦国時代の武士って、これを全部覚えるのが推奨なんだぜ。現代だったらこれ全部暗記する頭があったら、軽く東大に現役合格できるような気がするんだけど。
しかも元服した後は、こういう本をおおぴっらに読むんじゃなくて、こっそり持ち歩いて暇な時に読むのが良いとされている。
別に堂々と勉強したっていいと思うんだけどな。
俺も一応、四書のさわりくらいは勉強してる。もちろん信長兄上も、そして熊も勉強してるだろう。
んで、それがどうしたんだ?
「それがしは、それに加えて、源氏物語も読み申した。伊勢物語もですな」
「……おなごの読み物ではないか」
信長兄上が熊の意外な趣味にびっくりしている。
いやー。熊、その顔でそんなコテコテの恋愛小説読んでたのか。すっごい意外だ。
「そうとも申せません。連歌会や歌会などでは、必要な素養でござりますれば」
あ~。確かに和歌とか連歌の教養って武士にも必要なんだよな。信長兄上はそういうのは好きじゃないから、それ系のものを勉強する暇があったら鍛錬の時間にあててたみたいだけど。あ、鷹狩りは今も好きみたいだけどな。
これから茶の湯も好きになるっぽいけど、なんか茶の湯が好きっていうより単に茶器コレクターって気がする。
まあ、コレクションは男のサガみたいなもんだからなぁ。俺も某ロボットアニメのプラモを集めてたもんだ。もちろん集めるだけじゃなくて、ちゃんと作って色塗りまでして飾ってたぞ。
「なるほど。それで?」
「信行様もまた、源氏物語への造詣が深いものと思われまする」
「末摘花の由来を知っておったと見るか?」
「源氏の物語の中でも衣配りの節は、知られておりますゆえ。おそらくは……」
「で、あるか」
え? 信行兄ちゃん、あの布の色がアウトだって知ってたってことか?
え? あれ? つまり、どういうことなんだ?
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