第42話  誰の策なのか

 信行兄ちゃんが源氏物語を読んでた?

 そして読んでいたなら、柳色の反物が何を意味するかを知っていた?


 信長兄上が言ってる「末摘花」って、聞いたことがあるぞ。光源氏の奥さんの中でもめっちゃ不細工な女の人じゃなかったっけ。


 現代でもプレイボーイの代名詞になってる平安時代の超イケメン光源氏が、没落した名家の姫君の噂を聞いて、親友の頭中将とどっちが先に落とせるか競争するんだよ。で、落とした翌日かなんかに初めて顔を見たら、凄い不細工でびっくりしたとか。


 つまり、その光源氏が末摘花に送ったのが、柳色の衣装ってことか。


 それを、自分は美人じゃないって思ってる女性に贈ったとしたら……そりゃあ、千姫が怒るのも当然だよなぁ。


 でもって、そのエピソードを信行兄ちゃんは知っていた? 知っていたのに、わざわざその色の反物を俺に持たせってことは、俺が千姫を怒らせて破談になるのを狙っていた、……って事か?


 だけど、あの信行兄ちゃんが、本当にそんなことをしたのか……?

 だってもし俺が源氏の話を知ってたら、すぐに分かっちゃうことじゃないか。千姫ほど気性の激しい人じゃなければ、あんな風に激高はしなかっただろうし。


 ただ、もし、千姫の性格を知っていて。

 俺が源氏物語なんか一度も読んだことがないのを知っていたとしたら。


 いや、でも―――


「あの反物は、風呂敷に包んだまま、渡されました。今の時点では、信行兄上が私をたばかったとは限りません」

「……信じるか? 信行を」

「信じます。それにもし本当に信行兄上が私を陥れるつもりであったのなら、このような成功するかどうか分からぬ策に乗るとは思えません」


 俺がきっぱりと言うと、信長兄上は、ニイッと唇の端を上げた。


「勝家はどう思う?」

「……信行様が中身を見ておらぬのであれば、もしかしたら家臣の先走りかもしれませぬ」


 熊は眉をしかめてそう言った。それに信長兄上は軽く頷く。


 やっぱり、信長兄上も、信行兄ちゃんの陰謀とは思ってないってことかな。


「ほう。ではお主も、信行はこのような稚拙な策を取らぬと思うのだな」

「いえ、その……先ほどまでは、もしやそうかもしれぬと思っておりました。が、言われてみれば、確かに喜六郎様のおっしゃる通り、信行様の策だとすれば、あまりに稚拙でござりますな。別に、こたびの一件で千姫様の不興をこうむったとはいえ、それで何かが変わるわけでもありますまい。むしろ喜六郎様の支持を失う切っ掛けになるやもしれません。であれば、わざわざ源氏に当てつけて柳色の布を用意したのは、信行様ではございますまい」

「と、すれば、誰の策と考える?」

「怪しいのは美作守か津々木でござりますが……」


 黒幕は林のジジイか信行兄ちゃんの小姓の津々木かぁ。どっちもありそうだなぁ。


 うーむ、と腕を組んで考え始めた熊は、それにしても、と話を続けた。


「いずれにしても、今の末森には喜六郎様に害をなそうとする者が存在しているということにございます。ですから、しばらくは、この清須でお過ごしなさるのがよろしいかと思いまする」


 ああ、どうして急に稲葉城から清須に来たんだろうって思ってたけど、そういう理由だったのか。


「喜六。お前はこの城と末森、どちらで暮らしたい?」

「私が決めて良いのですか?」

「うむ。お前が、自分の意思で決めるが良い」


 信長兄上の試すような言葉に、俺も熊と同じポーズで腕を組んで考える。


 今回の事は、千姫の俺に対する感情がMAXで下がりきったっていう以外には、大した影響はない。いやまあ、俺には凄く大変な影響だけど、それで俺に命の危険が迫るって訳でもないからな。


 むしろ、千姫の母親の北御前サイドにしたら、俺に対して借りができたことにならないか? あんな失礼な態度を、大叔父さんもいる前で取ったわけだしさ。


 それに、いずれ信長兄上と信行兄ちゃんが和解したら、信行兄ちゃんと千姫の間を取り持ってあげるつもりだし、現状での好感度が最低だったとしても、いずれ俺が龍泉寺城に移動したら、会うこともないだろうから関係なくなるんだよな。


 あれ? じゃあ熊が一人で空回りして騒いでるだけとか?


 まあでも一度、信行兄ちゃんの真意は聞いておきたいところだよな。もしかしたら犯人が誰かも分かるだろうし。


「一度、末森に帰ります」

「で、あるか」

  

そう答えた信長兄上の、何かを飲みこんだような不思議なまなざしに、俺は末森に戻ったらきっと何かが起こるのだろうという予感を覚えた。







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