第38話 婚約の裏事情

 神様。リセットボタンはどこですか。

 どこを探してもないんですけど。机の中にでもあるんでしょうか?





 肉肉肉~、と浮かれていた行きと違って、末森への帰り道は、どんよりとした空気だった。

 熊は俺の顔色を窺うようにチロチロ見ていて、玄久は、まあいつもの通り無口だな。


 あ、ムクロジ石鹸、信長兄上に渡すの忘れたなぁ。

 あと圧搾機ができたかどうか聞くのも忘れた。


 俺から二人に話しかける余裕もなく、どんよりとしたまんま末森城に帰って玄久に馬を渡す。すまんね。世話を頼むよ。


 熊は俺の部屋までついてきて、そして部屋の中に入るなり平伏した。いわゆる土下座だな。


「も、申し訳ありませぬっ」


 ど、どうしたんだ、熊。乱心したか!?


「此度の縁談。それがしのせいでござる」


 熊のせい? 熊がこの縁談を進めたとでも言うのか?

 でも、熊は千姫と関りがないだろうに。


「実は、その、末森で噂になっていることがありまして……」

「うん」

「……噂にはござりますが、信行様が、千姫様をご側室に望まれた、と」

「信行兄上が?」


 へー。信行兄ちゃん、正室いて側室いて、アーッな小姓もいるのにまだ増やそうとしてたのかー。元気だなー。

 ならもう、信行兄ちゃんが結婚すればいいのになー。


「その噂を殿の耳にお入れしたのはそれがしでござります。それゆえ、殿はこたびの縁談を喜六様に勧めたのでありましょう」

「千姫が信行兄上の側室になると、何か障りがありましたか?」

「豊後守さまは殿のお味方でしたゆえ、ご息女が武蔵守さまに嫁がれますと、殿のお味方が……」


 ああ、そういう事か。

 っていうか、信行兄ちゃん、まだ織田の当主の座を狙ってるのか? それとも林のジジイとかに唆されてるのか、どっちだろうな。


 もうホント。いい加減、仲良くしてくれればいいんだけどな。そしたらこんな急な婚約なんてなかったんだぜ?

 俺は八男だから政略結婚なんかじゃなくて、可愛い嫁さんと恋愛結婚して、なんて想像してたのにさ。


 でも。

 なるほど。そうか。

 信行兄ちゃんが側室に望んでるってことは、それ以上の相手との婚姻でなければ断れない。でも俺と結婚するんだったら、角が立たずに断れるってことか。


「それならば信長兄上も一言言ってくだされば良いものを……」

「殿も、不器用なお方でござりますれば。お傍近くに控えるまで、それがしも分かりませんでしたがな」


 信長兄上のため、か……

 でもなぁ。あんなに嫌われてる相手と結婚っていうのはさ、やっぱり気が重くなるよ。

 もうちょっとお互いに知り合えば、何とかなるのかな。


 あの気の強さじゃ、結婚したはいいけど閨は別とかありそうだな。そしたら俺、また魔法使い決定か?

 いやいやいや。ちょっと待て。それじゃ男としてどうなんだ。


 あっ。そうだ。そしたら可愛い側室をもらうって手もあるぞ。


 問題は、八男に側室が持てるのかどうか、って事だよな。甲斐性的な問題で、実現が可能かどうか分からんなぁ。


 でも元服したらお城もらえるんだっけ。それに知行もついてくるよな。そしたら側室も持てるのか?


 だけど。そもそも、お城もらわなければ正室も押し付けられなかったんじゃないかな。

 ってことは、今日俺が信長兄上のところに行ったのって、もしかして鴨ネギだったんじゃないのか!?


 っていうか、何で千姫にあんなに嫌われてるかも分からないんだよな。孫三郎叔父さんの法要を台無しにしたからじゃないかとは思うんだが、直接聞いたわけじゃないしなぁ。


「それがしも死んだ妻とは家同士の縁談ではござったが、それでも幸せでありましたよ」


 暗くなる俺に、熊が静かに声をかけてきた。


「美人とは言えませなんだが、気立ての良いおなごでござった。それがしには、もったいないほどでござりましたよ」


 失った過去を思い出すかのように目を細める。決して美男とは言えない熊だけど、その表情は凄くかっこよく見えた。


「勝家殿は、継室の方はお迎えにならないのですか?」


 熊の家は元々、譜代、つまり特定の主家に代々仕えてきた家臣で、力のある一族だ。だから継室を持とうと思えばすぐに新しい縁談が持ちこまれるだろう。


 でもなぜか熊はずっと独り身なんだよな。後継ぎとかはいらないのかね。


「それがしは不器用なたちでしてな。死んだ妻への義理立てをしているわけでもないのでござるが、どうしても継室を持ちたいとは思えぬのでござるよ。幸い、姉の子もおりますしな。家督を継ぐのに問題はありませぬ」

「では、亡くなった方よりも大事にできる方がいれば、継室にお迎えされるのですか?」

「さようですなぁ。いや、それがしのような男に嫁いでくださるおなごがいればの話でございますがなぁ」


 少し照れて頬をかく熊の未来を思う。


 史実で熊はこれから先もずっと独身で、市姉さまのことを思っていた。

 市姉さまが浅井長政に嫁いでもずっと。


 なんかさ。この時、ふっと思ったんだ。

 市姉さまがもし、熊の事を嫌いじゃないなら、熊と結婚したほうが幸せになるんじゃないかなって。


 多分、今のこの時期が最大のチャンスだ。市姉さまと結婚できるなら、完全に信長兄上の味方になりますって言えばいいんだから。


 現状では、熊の立場はまだ信行兄ちゃん寄りだ。俺の傅役で、俺が住んでるのは末森だから、基本的に出仕するのは末森城だからな。


 熊の心情として、そんな取引みたいな感じで市姉さまと結婚したいとは思わないんだろうけど、でも、多分、この機会を逃したら駄目だと思う。


 俺の結婚はまだまだ先だし、まずは熊のためにひと肌ぬぐか!







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