第29話 七枚起請

「そのようなお話をされている間も、叔父上の苦しみは続いているようでした。私がどうやったらお助けできるのですか、と聞きますと、自分は起請文の誓約を破った罰を受けているので、助けようがないだろうと申されました」

「起請文というと……大和守と交わした七枚起請か」


 腕を組んで唸る信長兄上に、俺は頷いてみせる。


 信光叔父さんは、いよいよ本格的に信長兄上を排除しにかかってきた大和守を逆に潰すために、もうあんな大うつけの下につくのは我慢ならんと、大和守に鞍替えしたふりをして清須城の内部に入った。その時に、大和守に七枚の起請文を渡しているのだ。


 起請文っていうのは、誓約内容を書いた「前書ぜんしょ」、誓約する神仏の名前を書いた「神文しんもん」、誓約を破った際にどんな神罰を受けるかを書いた「罰文ばつぶん」の三つからなる誓約書だ。

 

 特に熊野牛王神符の裏に書いた起請文は、誓約を破ると熊野権現の使いである鴉が三羽死に、誓約を破った人も血を吐いて死んで地獄に落ちると信じられている。


 神の使いの鴉が三羽死ぬのが神罰に含まれるっていうのがちょっと謎だけど、その分、熊野権現の神力が減るから世の中にとっては良くないってことなのかもしれんね。


 熊野牛王神符っていうのは、熊野三山で配布される特殊なお札というか、一枚の紙に木版で刷った護符だ。鴉の絵が描かれ、朱印が押されている。鴉の絵は守りの字の代わりに描かれているらしい。


 その起請文を七枚書いて渡せば、大抵の相手はその誓約が破られないって思うだろうな。


 だけど、信光叔父さんは、信長兄上に性格が良く似ていた。ちょい悪オヤジだったしな。神罰なんていうものを全く信じていなかった。だから大和守に七枚起請を渡せたんだろう。

 守るつもりなんてない、起請文だったにも関わらず。


 結局。信光叔父さんは清須城に入った翌日に、起請文の誓約を破った時の祟りなんか少しも恐れずに、大和守を追い詰めて切腹させちゃったんだけどな。


「私はその場で熊野本宮大社の主祭神であられる家都美御子大神様けつみみこのおおかみ、もしくは阿弥陀如来様と呼ばれますお方にお祈りいたしました。どうか信光叔父上をお助けくださいと。すると目の前に光り輝く尊きお方が現れたのです」

「なんと、それは阿弥陀如来様の降臨ではないのですか」

「私には分かりませんが、あるいは、と思っております」


 ここではっきり否定しないで、阿弥陀如来様かもしれない、って思わせるところがポイントだ。俺がはっきり断言しないで言葉を濁しているからこそ、かえって阿弥陀如来様が降臨したんじゃないかと思わせることができるのだ。


 住職さまが興奮したように畏れ多いことですと言って、数珠を持ち直してお経を唱え始めた。

 信光叔父さんの悲惨な状況に青ざめていた皆も、突然現れた救いの手に安堵の息を吐く。


 さすが月谷和尚さまだ。こんなに荒唐無稽の与太話なのに、皆すっかり信じ込んでる。

 っていうか、月谷和尚さまもこんな作り話を考るとか、仏に仕える身とは思えんな。いやまあ、おかげで俺は助かってるんだけどさ。


「光輝く尊きお方は、信光叔父上には凌雲寺を開いた徳があるので預修よしゅと致しましょうと仰ってくださいました」


 預修というのは、生前に仏様に祈っておいて、死後の罪を軽くしてもらうことだ。


 つまり、本来なら七枚起請の誓約を破ったんだから、死んですぐに地獄に落とされても仕方がない。万が一にも運よく閻魔王たちに審判を受けられることになっても、結局は地獄界へ落とされるほどの罪を犯している。でもここに凌雲寺を建てるっていう良い行いをしたから、ちょっと罪を軽くしてあげましょうってことだな。


「そして地獄の中でも最も罪の重い者が行く無間地獄に堕とされるところではあるが、この者が書いた七枚起請と対になる起請文を奉納すれば許しましょうとおっしゃいました。どのような誓約をすれば良いのですかと尋ねて、この日ノ本の護国と安寧を望むと誓約をなさいと言われたところで、目が覚めました」


 俺はいかにも心細くどうしたら良いか分からないという風情を作って、住職様を見上げた。

 一応、俺の外見は美少年らしいからな。効果は抜群だ。


「住職様。この夢はまことのことなのでしょうか……?」

「それはまさしく夢告むこくでありましょう」


 今の時代では、夢っていうのは無意識のうちに見るからこそ、神仏からの何かしらのメッセージが含まれていると考えられているんだな。いつもの、不思議な事は全部神仏の仕業、ってやつだ。

 だからこそ、古来から夢で吉兆を占う夢解ゆめときなんて職業が生まれるわけだ。


 でも夢の中に直接神仏が現れたら、そのメッセージをそのまま受け取ればいい。それが夢告だ。有名なやつだと、一向宗の開祖、親鸞聖人が聖徳太子から受けた夢告だな。何て言われたのかまでは知らんけど。


 あれ。そしたら俺、親鸞聖人と同じくらい偉くなるってことにならないか? うわあ。やめてくれ。俺はただの八男坊なんだよ。


 まあ夢自体が真っ赤な大嘘なんだけどな。

 あれ、これって、俺が神罰受けるフラグなんじゃ……


 いやいやいや。神罰を受けなくて済む方法を、ちゃんと月谷和尚さまが考えてくれたから大丈夫さ!

 それは俺も、日ノ本の護国安寧を望む誓約を書くっていう方法だ。

 それでもって、建前上は信光叔父さんの神罰も救われるっていう一石二鳥の手だな。


 信光叔父さんが誓約した七枚起請と対をなす、七人による起請文のメンバーは、言い出しっぺの俺、信光叔父さんの家族である北御前とその子供の信成、信昌、千姫と、合計五人は決まっている。


 月谷和尚さまも書いてくれるって言ってくれたから、残りはあと一人だ。ただ残りの一人については、信光叔父さんが起請文の誓約を破ったことで天罰を受けてるって話になってるから、怖気づいちゃってなかなか決まらないかもしれんな。


 まあ、いざとなったら熊にでも頼むか。あいつ、案外信心深いところがあるから嫌がるかもしれないけど、甘い所もあるから、叔父上の為だとかなんとか言って一生懸命頼みこめばなんとかなるだろ。


 あ、護国安寧のために、謀反などを起こさなければいいのですよ、とでも言っておけば将来の牽制になるかもしれんね。熊にはそんな心配は無用かもしれないけど。

 基本的に情に厚い男だから、こっちが信頼してるのが分かってれば謀反はなさそうだよな。


 うん。そういう奴が一人でも身近にいるっていうのは、安心できていい。

 別に単細胞だから扱いやすいなんて、思ってないからな。ほんとだぞ。



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