第25話 他国の利

「さて、では他に利がある者はおりますかな?」


 他に? 他にかぁ。うーん。


 腕を組んで首を傾げていると、月谷和尚さまは「では北御前様のご出身はご存知ですか」と聞いてきた。知るわけないがな、そんなもん。

 首を振ると、教えてくれた。


「松平宗家の三男として生まれ、桜井松平家を興した松平内膳信定公ですな」


 松平って言ったら……後の徳川家か。あれ、でも今は今川の子分じゃないっけ? 織田と今川が仲良くしてた時なんてあったか? 以前は手を組んでてその後に敵対なんて話はよくあるけど、その場合は普通は離縁されるもんだけど、どうなってるんだろうな。


「松平は織田と敵対しておりますよね?」

「さよう、さよう。ですが桜井松平家は松平宗家と敵対しておりましてな。権勢を求めて、松平信定公は亡き弾正忠様の妹君を娶り、自分の娘を織田信光様へと嫁されたのですよ」


 へ~。俺の伯母さんが松平にお嫁に行ってるんだ。身内がいっぱいいるから、誰がどこに嫁いでるかとか全部は把握してないよ……


「でも、そこまで関係が深いのであれば、信光叔父上を誅殺しようとはしないのではありませんか? むしろ利用したほうが得です」


 宗家を本格的に乗っ取る時の味方として縁組したんだろうしな。誅殺する必要がない。


 それか、尾張に侵攻してくる時の布石とする、とか。織田にとっての獅子身中の虫だな。

 あれだけ正室ラブな人だったからな。嫁に泣きつかれて松平に寝返るなんてことも、ありえない話じゃない。


 あれ? そーすると、寝返りを知った信長兄上がさっさと処分したなんて話もアリか? いやいや。寝返ったなら、それ相応の報復をしないといかん。見せしめにしないと、舐められて寝返りする家臣が増えるからな。

 こんな形で誅殺するとかはありえん。


「ふむ。しかしながら、松平宗家と和睦する為の手土産に、那古野城、もしくは信光様の首を欲したやもしれませんな」


 元々、那古野は柳ノ丸城と呼ばれた今川の城だったんだよな。今川から分かれた那古野って人が、築城した。で、その那古野って人の後に今川氏豊ってやつが城主になったんだけど、当時勝幡城にいた父上が城を奪って拠点にしたんだ。


 その那古野城を手土産にする、か。今まで敵対してた宗家へ帰参するための手土産としたら、十分価値があるだろう。


 那古野城を松平宗家に献上し、松平宗家が今川家に献上する。まだ家康って今川の人質なんだっけか? 

 えーっと。家康って今川のところに人質になって行く時に、裏切りにあって織田に送られたんだったっけ。それでまた今川のところに人質に行くんだよな。今の織田家に家康……ああ、元服してなければ今はまだ松平竹千代だっけ。竹千代らしきヤツはいないし、確か本拠地に戻れるのは桶狭間の後だから、きっと今は今川にいるはずだ。


 そしたら、松平が那古野城を献上して家康と交換してもらうってことも可能なのかな。


 って、あれ? そしたら今川が裏で糸を引いてる可能性もないか?


「そこにお気がつかれましたか。その通りですな。それに大和守様の家老であった坂井大膳が、今川方に逃げておりますな」


 清須城にいた大和守の家臣が今川に? それに坂井って名前を考えると……


「謀反人の坂井は、大膳の郎党でありましたか!?」

「さよう、さよう。おそらく今川と通じておったのでありましょう」


 うーわー。ここにきて、ラスボス今川がくるのかー。

 うーん。さすが大国。こんなやり方で揺さぶってくるのか。


 そもそも、今川家って超名門なんだよ。


 いわゆる県知事にあたる守護はお飾りで実権を持ってない家が多いんだけど、今川家は駿河国と遠江国の守護大名を務めてて、なおかつ領土も駿河、遠江、三河、尾張の一部を持ってるんだ。

 つまり、名も実もある、有力な大名だ。織田みたいな成り上がりとは訳が違う。


 しかも今川家は吉良家の分家なんだけど、その吉良家は室町幕府の将軍である足利家の分家にあたる。


 どうでもいいけど、吉良ってあの赤穂浪士の吉良なのかね? 江戸時代後半まで家が残ってたのか。なんだか感慨深いな。赤穂浪士の事件の後に断絶したのかな。そこら辺は詳しく知らないんだよな。


 御所が絶えなば吉良が継ぎ、吉良が絶えなば今川が継ぐ、っていう言葉がよく知られてるけど、これはつまり、足利家が断絶したら吉良家が室町幕府の将軍職を引き継ぐ、その吉良家も断絶したら、今度は今川が将軍職を継ぐってことだ。


 でも実際どうなんだろうね。御所、つまり足利家も結構一族がいるし、吉良だってそうだろうし。今川家が将軍職に就く可能性はかなり低いんじゃないかな。

 一族が末端含めて全滅するっていうのはあんまり考えにくいから、わざとそういう言葉を巷に流布して、今川が名門だってことを世間に知らせたいだけかもしれんね。


「おそらく信長様の動きが早すぎて後手に回ってしまったのでしょうが、今川の描いた絵はこうでしょうな」


 まず信光叔父さんを殺して信長兄上の勢力を削いだ。そして信長兄上が討伐に向かうのを見越して、調略しておいた林のジジイに後ろから襲わせる。その後、信長兄上が殺された混乱に乗じて尾張を攻め取る。


 それがうまくいかなかったら、次の手を打つ。


 信長兄上が命じたんだと悪評を流して、信行兄ちゃんに次は我が身かと警戒させる。そして疑心暗鬼にかられた信行兄ちゃんを調略して、尾張を攻める。


 月谷和尚さまの推測の通りだとしたら、このまま噂を放っておいたら今川が攻めてくるのか!?

 ちょ、それ、まずいじゃん!


「ではこの噂をなんとかしなければなりませんよね」

「ふむ。若君はどうすれば、この噂を消すことができるとお思いかな?」


 噂の元を絶つのが一番だけど……現状、誰が噂を広めているのか分からない。

 とすれば……どうすればいいんだよ。全然分かんないよ!


「月谷和尚様、教えてください。どうすればこの噂を絶てるのでしょうか」

「なに、簡単なことですな。もっと信憑性のある噂を流せば良いのですよ」

「今川の陰謀ということですか?」

「いやいや。たとえそれが真実であったとしても、今の信長様の噂を覆すまでには至らぬじゃろう」

「では、どうすれば―――」


 俺は唇をかみしめた。

 もっと賢かったら良かったのに。

 もっと前世で歴史を勉強してれば、こうなることが事前に分かったのに。

 もっと、もっと。俺は戦乱の世を無くしてくれるであろう信長兄上の役に立ちたいのに。


 こうして前世の記憶を持っていても、俺は、こんなに無力だ。


「つまりですな、天罰でございますな」

「は?」


 なにいきなり変なこと言いだすんだ。ボケたのか? 天罰のどこが信憑性があるんだよ。どっちかっていうと眉唾もんだろうに。


 でも、月谷和尚さまは真剣だった。


 え。本当に、天罰なんて理由―――効果あるのか?




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