第19話 予想されうる出来事
クロゥインが朝ご飯を食べていると、マヤが食堂に入ってきた。どうやら彼女はぐっすり眠れたようで、表情は昨日より明るい。
結局昨日はしばらくの間はマヤの眠った顔を眺めながら、明け方まで彼女の部屋に突っ立ていた。
大きく寝返りをうった隙を見て、転移魔法で自室に戻りベッドに転がったのだ。
時間は恐ろしくて確認していないが、寝たと思ったら自分を起こしにきたデミトリアスの顔があった。
物凄く眠たい。
今すぐに目を閉じれば眠れるほどには。
だが彼女はそうではないらしい。明け方頃までは悪夢にうなされている様子もなかったからちゃんと睡眠がとれたのだろう。ほっと胸を撫でおろしつつ、自分は何をそんなに安堵するのかと不思議にも思う。
「おはよう、マヤ」
声をかけると、マヤは目をしばたいて、驚いたように目を丸くした。
じっとクロゥインの顔を凝視している。
「どうしたんだ?」
「クロは眠った? 顔ひどいよ」
ひどいのはお前の言葉だ。しかも、マヤのせいで寝不足になっているのに、当の本人に自覚がない。本当にひどい。
「寝具に不都合がありましたか?」
なぜか、ベッドメイキングに心血注いでいるデミトリアスが、くわっと目を見開いて尋ねてくる。
牛乳が入ったピッチャーを持っている手がぷるぷる震えている。ドキドキするから、とりあえずそのピッチャー机に置いてくれないかな。
「いや、ベッドには問題ないから。それより、これはなんだ?」
「野菜です」
「何で朝からそんなもん食わなきゃいけないんだ」
割と頻繁に起こるやり取りだが、飽きもせずにデミトリアスは大仰に空を仰ぐ。
「ああ、マイ・ロード! ちゃんと食べないと大きくなれませんよ」
「俺の身長はもう十分だと思うんだ」
「コックが悲しみます」
コックってあの牛の大男だろ?
ここ市長館の住居部分で働いている者はデミトリアスの配下の悪魔だ。
コックは牛の頭をしたマッチョの悪魔である。
あいつが悲しんだところで、自分の心はちっとも痛まない。
むしろ、ちょっと泣いているところを見てみたい。
「クロは野菜キライ?」
「肉があれば生きていけるからな」
キョトンと少女が瞳を瞬いた。フワリと尻尾が揺れる。
それだけで、何だか癒される気がした。
マヤが席に着くと小柄なメイドが、ワンプレートに盛ったパンやサラダ、茹で卵、焼いた腸詰めといった朝食を運んできた。デミトリアスが、コップに牛乳を注ぐ。
「じゃあマヤが食べてあげる」
「ありがとう!」
残していたサラダをマヤに渡そうとすると、デミトリアスがあからさまなため息を吐く。
「いい大人なんですから、子供の前でくらい恰好つけてください」
「いい大人でも、嫌なものは嫌なんだ」
「全く。『トランスファ』」
「むぐっ」
皿の上にあったはずの野菜が、クロゥインの口の中に突如現れた。
デミトリアスは召喚術と幻術を得意とする。幻術は以前に野菜は美味しいと暗示をかけられそうになったが、クロゥインのほうが魔力耐性が高すぎてかからなかった。
そのため、今回は召喚術で物理的にねじ込むことにしたのだろう。
お前はどこの母親なんだ!
口に入れたものは出してはならないと小さな頃から母親に言い含められていた自分としては、仕方なく飲み込むしかない。
野菜の何が嫌かというと、味だ。食感も嫌だが、圧倒的にとにかく、味。
なんとか咀嚼して飲み込んで牛乳を流し込むと、傍らに立つデミトリアスを見上げる。
「デミトリアス、ちょっと話し合おうか」
「ええ、よろしいですとも。そもそも野菜がなぜ体に必要かと申しますと、人間の体を構築している成分に必要不可欠だからです。そもそも」
お前なんだってそんなに人間の体に詳しいんだ。種族違いなくせに。
そして、何を目指しているんだ。
望んでいたのは話し合いであったが、デミトリアスの無限講義が始まってしまったので、仕方なく沈黙の魔法を唱える。
「『シャット・アップ』」
『呪術師』の中級魔法だが、魔力耐性の高いデミトリアスにもかけられる。クロゥインの方が魔力が高いためだ。
低級魔法くらいだとさすがに弾かれてしまうのだが。
自分の声が出なくなったのを確認したデミトリアスが感激したように口をパクパクさせながら見下ろしてくる。
手にしていたピッチャーを思わず放り投げるほどの歓喜を浮かべている。
どうも、デミトリアスは魔力耐性が高いため自身に魔法がかかるという体験をあまりしたことがないらしい。たまにクロゥインが魔法で攻撃すると高確率で喜ばれる。
ということを、今思い出した。
つい勢いで魔法を使ってしまって、後悔する。
そして、牛乳の入ったピッチャーは、無情にも床にゴロンと転がった。
中身を盛大にマヤにかけながら。
だから、ピッチャーを机の上におけって思ったんだよ!
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