第3話 うるさい独白
別の場所に転移するつもりだったが、クロゥインの体は今、上空にあった。
「え、わわ、空?!」
肩に担ぎあげた少女が驚きで目を白黒させている間に、俺は素早く浮遊魔法を唱える。彼女を宥めている時間も、ゆっくり説明している時間もない。
目の前にいる不審者に声をかけるほうが大事だからだ。
「失敗したか、ってどういうことだ?」
上空の青を背景に、上下白の貴族が着るような恰好をした悪魔が漆黒の羽を広げて、空中に浮かんでいる。短く刈り込んだ白金の髪の色をした身長160センチほどの小柄な悪魔だ。
クロゥインは、その背後に転移した形になった。
数秒前に悪魔がつぶやいた言葉まで拾ってしまう自身の耳もたいがいだとは思うが、フェーレン市内が豆粒のように小さく見える位置で、監視しているこいつの視力も驚嘆に値する。
人間と悪魔という種族の違いだろうか。
「は? あ? 人間?! どうやって、ここまで…」
振り返って距離をとった悪魔は、錆色の瞳を真ん丸にして驚いている。美少年は驚いていても様になる。羨ましい話だ。
ちなみにクロゥインが驚いた表情をしても、悪だくみをしているようにしか見えないらしい。困惑しても同様だ。
幼馴染みからのありがたい助言には涙が出てくるほどだ。ちくしょう。
「転移魔法だが。お前らだって使うだろう? なんで、そこまで驚く?」
「現れて浮かんだままでいられるっていうのは初めて見たよ。飛べる羽があるわけでもないし、どういう原理なわけ?」
「これはまあ、あんまり使えるやつはいないな」
『時空魔法士』がレベル30で獲得できる『フローティング』という魔法だが、そもそも『時空魔法士』は『時間魔法士』と『空間魔法士』をレベル50以上にしなければ得られない上級職業だからだ。
『空間魔法士』の職業を持つ人は多いが、『時間魔法士』の職業が珍しい職業になるのでその希少性は言わずもがな、だ。
だが、懇切丁寧に解説する気は毛頭ない。
「はあ、ついてない。なんで、こんなヤツにみつかっちゃったんだ? というか、お前が抱えてるのを僕にくれれば問題は解決なんだけど」
「条例違反を見逃すほど不真面目でもないんでな。人の俺の頭の上で偉そうに独り言なんかいうからだろ。うるさいんだよ」
「僕、そんな大きな声では言ってないんだけど…っ」
少年悪魔は、ぼやきながら研ぎ澄まされた爪で飛びかかってきた。それを瞬時に空間から出現させた剣で受け止め、弾き返した。
「どれだけ非常識!! 話には聞いていたけど、本当にあり得ないねっ」
イライラとしながら再度攻撃してきた悪魔の爪を今度はしっかりと剣で受け止めるとびりびりとした衝撃が腕に伝わる。また弾き返すが、抱えた少女の小さな尻に爪がかする。
何かを抱えて戦うには少々不利ではある。
どうやら相手は自分のことを知っているようだし、隠して戦うのも時間の無駄のようだ。そもそも眠たくて思考が散漫になっている。
「きゃあ、わっ」
「黙ってないと舌を噛むぞ!」
慌てて口を閉じて小さくなろうとする少女をかばいながら、鋭い爪の攻撃を剣裁きでなんとか耐えた。
「俺の睡眠時間を削っているんだ。きっちりと説明してもらうからな」
剣に魔力を流して水を纏わせる。
「水、に見えるけど単なる水なわけないよね…」
「正解、聖水だ」
「っ聖水?! 空間から出したようには見えなかったけど、まさか『悪魔払い』?」
「残念だが、別に俺は悪魔退治に特化してるわけじゃないんだ」
「もうほんと、驚きすぎて疲れる…」
聖水は『神官』が祈祷して作る聖なる水だ。魔除けの力があり、悪魔退治や呪いの解除に使われる。『悪魔祓い』は悪魔を100匹以上斃した時に得られる特殊職業だ。職業は生まれ持った才能から決まる職業と条件を満たせば得られる特殊職業の2つに分けられる。
ちなみに昔やらかしたせいで『悪魔祓い』の職業もきっちりと獲得している。
だが、別にそれだけに特化しているわけではない。
「そっちのほうがよっぽど悪魔みたいな凶悪な顔しているくせに、えげつないな!」
「うるさい、俺だって好きでこんな凶悪ヅラに生まれたわけじゃない!」
どいつもこいつも人を見かけで判断して好き勝手に騒ぐ。悪魔にまで凶悪と言わしめる自分の顔にへこみつつも、空中を飛んで一気に間合いを詰める。
「今は準備不足だが、覚えていろ! お前の魂は僕が食らってやる。『コール』サンド・バット」
少年が召喚魔法を唱えると、空中に無数の茶色の塊が現れた。砂のように蜉蝣うコウモリの大群だ。ざっと見ただけでも数十匹はいる。一度の召喚で低級とはいえモンスターを群で喚べるのだからあの悪魔はなかなか力がある部類なのだろう。
サンド・バットは剣で斬り捨てても細かい粒の集合体なのですぐに元に戻ってしまう。厄介な相手だ。
代わりに捨て台詞を吐いて、少年の姿は消えてしまったようだった。
「あーしまった。空間切り取っておくの忘れてた…」
悪魔は転移魔法も使える。逃げられる前に、空間を切り取って魔法が使えないように対策を立てておく必要があるのだが、寝ぼけている頭ではそこまで気が回らなかった。
そもそも少女を抱えている時点で、あまりやる気もないのだが。
残ったコウモリの群れに、はあああっと盛大なため息を吐いて剣をしまう。
「剣はしまっちゃうの?」
「あんな小さなものをちまちま切るつもりはないな」
目を丸くしている少女に、ふんと鼻を鳴らす。しかしこの少女はやはり言葉が通じる。話せるのならさっさと話してくれればいいものをと恨めしく思いながら魔法を使う。
「『インタイア』『サブスタンス・コンバージョン』」
明らかに砂の塊のようなコウモリたちが一瞬にしてドロドロの液体のコウモリへと変わる。
『錬金術師』という職業の最上級魔法である『物質変換』だ。思い通りの物質へと変換させることができる。
「なんか、色が違うよ?」
「砂じゃなくなったからな、ちゃんと口閉じてろよ。『ファイア』」
小さな火を投げ込むと、コウモリにあっさりと火がつく。そのまま連鎖的な大爆発を起こす。熱い、熱いとしきりに文句をいう少女を抱えなおして、やれやれと息を吐く。
敵がいなくなったのだから、やることは一つだけだ。
クロゥインは未だ燃え続けるコウモリを残して転移した。
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