第2話 抱き枕との出会い

遠く都市を守る隔壁を超えていった二人の男たちを見送った男―――クロゥインは、やれやれと息を吐いた。


男の名はクロゥイン=キップ。

仮の市長であり、仮の冒険者ギルド長をしている。昼寝を確保するために条例を定めた人物でもある。

全身黒ずくめで、人相の悪い男だが、中身は小心者で気が小さい、と彼は思っている。周囲の意見が一致するとは限らないが。


そんな彼は、仕事の休憩の合間にいそいそと昼寝をしようと寝床にもぐりこんだとたんに、がらがらと響き渡る車輪の音に盛大に眉を顰め、すぐさまこちらにやってきたのだ。


地獄耳にも困ったものだ。

正確には『探究者の耳』というスキルだが、『探究者』の職業レベルを限界である99まで引き上げると得られる能力だ。獲得すれば常時発動しているスキルで、基本的にはフェーレンの市内ならどこでも音を拾ってしまう。

魔法で遮断しても、音を小さくすることくらいしかできない。ささやきくらいになるので、なんとかこのレベルに聴力を維持するため防音魔法を効かせている。

仲間に自分の魔法の上から、さらに防音の魔法を重ねがけしてもらっても、最上級の威力を持つ自身の魔法の効果を上乗せすることはできず、寝室に防音魔法をかけてもスキルの能力値のほうが強いので外を音を拾ってしまう。離れた場所での防音魔法ならば、集中すれば聞こえる程度の雑音だ。おかげで街中に防音魔法を施した魔道具を配る羽目になった。


繊細な心を持つクロゥインには、安眠は死活問題となる。

眉間の深い皺、半目が標準装備だ。ただ立っているだけで凶悪犯と間違えられて通報されたこともある。仮の立場といえど、市長や冒険者ギルド長がされる扱いではない。

人々は遠巻きにしかやってこないし、小さな時から年齢を10歳以上も上に見られている。


睡眠不足になった日は最悪で、凶悪さに磨きがかかると幼馴染みのダグラスは指摘する。市民やギルド利用者、各職場の職員一同に怯えられないためにも安眠は確保されるべきだ。


でないと、心が傷つく。立ち直れない。


そのため(仮)市長の権限で昼寝を確保するための条例を設けたのだが、外から来た者たちは門番の忠告を無視して騒ぐ始末だ。

結局、こうして昼寝の時間を削って対処するしかない。


そうして通りにぽつりと残された幌馬車に目を向けると、中から生き物の気配がした。警戒しているのか、呼吸は浅くて早い。


クロゥインは幌に近づくと、入り口を大きく開いた。

中にはぎっしりと荷物が入っている。積み上げられた木箱には果物の絵が描かれているが、飛ばした男たちが果物を売っているようには思えなかった。しかも果物の匂いは僅かばかりだ。はこにぎっしりと入っていればもっと強く香るだろう。


密輸犯の可能性が脳裏に浮かび上がる。

魔王城の近くにあるこのフェーレンには、ここでしか目にかかれない魔物が多数存在する。捕獲すればそれだけで一攫千金も夢ではないほどの価値ある生き物たちだ。


そのための力は必要となるが、勝手に捕獲して連れ出す者は後を絶たない。通常の魔物ならば問題はないが、時には魔族に連なる種族を攫う者たちも出てくる。魔物ならば文句は言われないが、魔族となると文句を言う知性もある。


結果としてクロゥインの肩書き上では無視することができず、(仮)市長の権限で、討伐または捕獲した魔物などの種類と数を申告することを義務付けた。

そうすると出てくるのが、密輸犯だ。

申請せずに大峡谷周辺の深淵の森からこっそりと魔物を捕獲し攫って行く。


ちなみに大峡谷に続く深淵の大森林には広範囲の結界が張られており、唯一の玄関口がこのフェーレン市になるため、魔物を狩るためにはこの都市を必ず通らなければならない。市の北門から大森林へとつながり、南門は街道へとつながっている。


ざっと探知魔法をかけると隠されるように一つだけ怪しげな反応がある。

手前の木箱を適当に外へ放り投げると、奥から隠されたように布の被った箱が出てきた。どうやら、これが反応のあったもののようだ。『探究者』が使えるチェックの魔法をかければ、『檻、魔力封じ、隠蔽の魔法は正常に働いている、その他の問題なし』と頭の中に言葉が浮かんだ。


隠ぺいの魔法がかけられているようだが、『探究者』の職業を上限まであげているクロゥインには魔法の気配を敏感に感じられるので効かない。トラップもないとの情報は得ているので、さっさと布をはぎ取る。時々檻の鍵や格子に罠が仕掛けてあり、触れると大規模爆発に巻き込まれたり、呪いにかかったりするが、そういうこともないようだ。


布をとると丈夫な檻が出てきた。チェックにひっかかった魔力封じの檻だろう。足枷をはめられた犬耳の少女がうずくまって俺を威嚇していた。年の頃は十歳くらいだろうか。

銀色の毛に覆われた耳をぴんと立て、金色の瞳をぴたりと俺に見据えている。


真白な絹のさらりとした高価そうな服はところどころ裂け、血がにじんでいるようだ。

犬の獣人のようだが、大層な魔法の檻に囲まれているほどの存在には思えない。こんな小さいのに、強大な魔法使いなのかと疑いたくなるが自身の勘は脅威を告げてこない。


「こんなツラだが、敵じゃないぞ。俺に攻撃してくるのは構わないが、責任はとらないからな」


できるだけ優しく聞こえるように言葉をかけると、檻に両手をかけた。そのまま力を込めて、左右に開く。ぐにゃりと鉄が曲がり、人ひとりが通れるほどの空間ができた。

少女は怪力に目を丸くしている。耳がぺたんと伏せているところをみると戦意は喪失したようだ。檻を素手で壊せる人間には敵わないと思ったのだろう。

様子を窺う視線を感じながら、中に入ると少女の足枷に手を伸ばす。

小さく悲鳴を飲み込む音がするが無視して、そのまま鎖を引きちぎった。

魔法で破壊することもできるが威力調整が下手なので、少女の足どころか下半身以上を吹っ飛ばしそうなので控える。


「立てるか? お前を保護するから俺と一緒に来てくれ」


少女は不思議そうに首をかしげただけだった。

まさか、言葉が通じないのだろうか。

魔族の知り合いは皆、言葉が通じたので深く考えたことはなかったが、通じない種族もあるのかもしれない。いや言語を共通にしたのは神話の時代の話だ。この世界の神は大陸に住まわせる生き物を創造する際に共通の言葉を与えたと言われている。つまり知性のある生き物は同じ言葉を話すはずだ。

それはないと、即座に否定する。


となると思い当たるのは自分に怯えている線だろう。これはかなり濃厚だ。怖くて口もきけないなら、納得できる。

どれだけ口で訴えたところで、恐怖が拭い去れないことくらい日常生活で経験済だ。愚かな説得に貴重な時間を割くのも馬鹿らしい。

クロゥインは実力行使にでることにした。


「きゃあっ」


少女の体を肩に抱きかかえると、そのまま檻の外へと出る。ついでにズタボロの少女に回復魔法をかけておく。息を呑む気配が耳元をくすぐる。


だが、驚くのはまだ早い。

内心でにやりと笑いながら、続けて魔法を唱える。


「『トランスフェレンス』」


空間転移魔法を唱えたのだった。

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