いいね少なすぎ問題・あとがき

わたしは、自分の作品が受け入れられないことについて、理不尽さを感じているんですね。書き出してみてひしひしと思いました。


なんで駄目なのか。どこがいけないのか。

どうして受け入れてもらえないのか。


たぶん、自信過剰なところがある。自分ではそこまでの自信を持っていないつもりでいても、人に見せようとしている以上は、やっぱりそれなりの自信を携えて臨んでいる。


誰かしらには評価される。いいと思ってもらえる……人からの評価を期待しすぎなんですね。だから見てもらえない、読んでもらえないことに関してすぐに深く絶望してしまう。疎外感まで感じてしまうのだ。


わたしはそもそも、人気者だったか?

友達多かったか? ファンがいたか?


そう考えると、否ですね。否と言わざるを得ない。そんな感じの人間がいきなり自分の趣味をさらけ出しても、急に飛びつかれるわけないよなぁ。

あっ、いかん。また落ち込んできた。


学生時代、絵を描くことに関しては多少周囲に知られていて、わたしという人間自体はさておき、楽しんでくれる同級生はいました。でも、それも社会に出れば続かなくなった。


パソコンを使うようになり、意欲的にウェブで発表するようになってからは逆に下降線でした。それはなぜか。井の中の蛙だったからですよ。大海には自分よりも遥かにうまい人がごろごろといるわけです。


でも、逆に、それだけなんです。


自分よりうまく、人気のある人たちがいる。どうしようもない事実が存在しているのです。壁があった。なら、それをどうにかよじ登るなり壊すなりして、超えていけばいいだけなんですよ。


言うは易し、ですけど(苦笑)


絵の世界だけじゃない。文の世界もおんなじです。自分だけの世界で書いているときは、自分の好きなものだけをそのまま書いて、「自分結構いいかも」とか思いがちですけど、目線をあげてみると、それどころじゃないんですね。


世界は無情で残酷なんです。自分可愛いで進めていても限界が来る。本当に好きにやっていて人気が出る作家さんなど、ひと握りなんじゃないでしょうか。


戦々恐々としながら自分の表現したいものを守るために装備を固めていって経験を積んで、というのの繰り返しでレベルをあげていく、ぐらいで一般人にはちょうどいいのかもしれない。


甘くない。

でもやめられない。


表現の世界はひと筋縄ではいかないのが難しく面白いところなのだ、当たりまえのことなのだ、と開き直ることができれば、そう構えていれば、過剰に傷ついて筆を折ることを考えるような事態にはならないかもしれない。


まぁ、常にそうは考えているのだけれど、心の支えとしてね。自分なりの強い信念を持つなりしていれば、自分しか見えていない故の理不尽さを軽くできるかもしれない。そう考えるに至りました。


またぐるぐるしてしまうでしょうけどね。わたしの場合、これがないとのんびりしすぎて駄目なんでしょう。自分を見つめ直す機会として、またまとめることにします。

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