バカのバレンタイン
本、嘘、チョコ
バレンタインの本命チョコで一悶着する男子高校生たちのはなし
「チョコを貰った」
朝のホームルームが始まる前のざわついた教室の一角、三人で一つの机に集まっていた友人たちが一様に静かになった。
「わかった。義理だ」
「本命だよ」
沈黙を破ったのは、いつものことながら遠慮という言葉を知らない涼原だ。しかし義理ではない。俺が持っているのは間違いなく本命チョコだった。
「見ろ、メッセージカード付き。中には告白っぽいのまで書いてある」
二つ折りのメッセージカードをひらひらと見せびらかす。もう片方の手には水色の包装紙でラッピングされた箱を持っていた。
涼原は半笑いでパックのバナナジュースをすすり、代わりに温井が晴れやかな笑顔を浮かべる。
「おめでとう。やったね」
「ありがとな、温井」
「ちっ、フルコン逃した」
「お前はゲームやめて人の話聞こうな、冷川」
そう言ってもまるでやめる気配を見せない冷川はひとまず放っておいて、隣の空いている席から椅子を拝借し、自分も円陣に加わる。
「ただ惜しむらくは、このチョコが学校のロッカーに入っていたことなんだよな……」
窓の向こうに見える青い空を眺めながら呟く。一同に再び沈黙が落ちた。この時もやはり一番最初に口火を切った人物は、いっさい空気を読まない涼原だった。
「ここ男子校」
「皆まで言うな」
「熱田は男から本命貰っちゃったか」
「黙れ! シャラップ!」
「そっちの道に行くとしても俺は止めないぜ」
「何で? 止めろよ!」
いろんな意味で泣きたい気持ちになる。絶望しきって机に突っ伏した俺の肩を誰かが慰めるように叩いてくれた。おそらくこの四人組の中でもっともまともで心優しい温井だろう。
「本題はここからだ。お前らのイタズラじゃねえだろうな」
むしろ誰かのイタズラであってほしい。バレンタインに本命チョコを貰ったという事実が消えるのは痛いが背に腹は代えられない。
「俺じゃない」
「俺でもないよ」
冷川、涼原が首を横に振る。冷川に至っては依然フルコンボチャレンジ中でこちらを見る気配もない。
「意外と温井だったりして」
「え、僕?」
涼原がにやにやと笑いながら温井を見る。熱田も思わず彼の方を見やった。温井は変わらず温厚な笑顔を浮かべているだけで、動揺は見せない。
「うーん、渡すにしても相手はもうちょっと選ぶかな」
「えっ、もしかして俺いま振られてる?」
「振ってないよ。お断りしてるだけ」
「振るのと断るのって何が違うんだ……?」
温井は確かに比較的まともで心優しいがはっきりノーと言える男だ。おかげでもともとズタズタだった俺の心は完全にトドメを刺された。朝のホームルームまではまだ時間がある。もっと言えば一日の授業が終わるまでは更に時間があるというのに、もうほとんど気力が残っていなかった。
「まあまあ、バレンタインにチョコ貰えたんだしいいじゃない。それが誰から貰ったものでも、ちゃんと感謝して食べないとね」
「温井……」
やはり彼は良い奴だ。今しがたこっぴどく俺を振ったことは水に流そう。
「そうだな、俺が間違ってた。くれたのが男でも女でも、そんなのたいした問題じゃないよな」
「いや、男か女かはかなり重要でしょ」
バナナジュースをずるずるとすすりながら成り行きを見守っていた涼原がここにきて口を挟む。できればずっと黙っていてほしかった。
「熱田に彼女ができるか彼氏ができるか俺は楽しみでしょうがないよ」
「こいつ殴っていいよな」
「落ち着いて、熱田。メッセージカードに名前書いてなかったの?」
「書いてあったらこんなことしてねえよ!」
騒ぐ俺を宥める温井、それを眺める涼原という構図が出来上がった頃、今までほとんど会話に加わっていなかった冷川が横に構えていたスマホを置いた。一仕事終えたとばかりに息をついてイヤホンを取る彼に、涼原が話しかける。
「お、フルコン完了?」
「完了」
「イヤホンめっちゃ可愛いのしてんね。パンダ?」
「妹の勝手に借りた」
「怒られるんじゃね、それ」
冷川は曖昧に頷き、それから騒いでいる俺と温井に視線を移した。
「ああ、そのチョコ俺が入れた」
三度、静寂が訪れる。
しかし今度静寂を破ったのは涼原ではなく俺だった。
「俺じゃないって言ったじゃん!」
「言ったか? こっちに集中してたから覚えてない」
「言ったね、真っ先に言った!」
こっちと言いながら冷川が持ち上げたのはスマホだ。確かに彼はゲームをしながら答えていた。
「俺の手作りだぞ、喜べ」
「こんなに嬉しくない手作りあるんだな……」
「メッセージカードも俺が書いた」
「嘘だろ。そこまでするか、普通」
「ドッキリ大成功だな。熱田はからかうと面白いから仕掛ける方もモチベ上がるわ」
「上げんな!」
ひとまず本命チョコ騒ぎはこれで収束した。ちょうど予鈴が鳴ったので引っ張ってきた椅子を戻して散り散りになる。俺と温井は自分の席へ、涼原と冷川はもともと自分の席に座っていたので移動はしなかった。
だからここからは俺のいないところで交わされた会話だ。
「いや、まさか犯人が冷川だったとはな」
涼原が愉快そうに笑う。冷川はそんな彼を見て少し視線を彷徨わせた。
「まあ、涼原には言ってもいいか」
「何を?」
「俺の手作りっての嘘。あれ妹の手作り」
「えっ」
「何故か知らんが好きなんだと、熱田のこと。自分で渡すの恥ずかしいからってあいつ、俺に押しつけやがった」
「ははあ、なるほどねえ」
そして二人は揃って自分の席で頭を抱えて落ち込んでいる熱田を見やる。
「面白いから熱田には放課後まで言わないでおこうぜ」
「賛成」
かくしてバレンタイン本命チョコ事件は幕を下ろした。涼原と冷川は一発づつ殴った。彼女ができた。
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