異端の塔

傷、挑発、余裕

塔に閉じ込められた罪人と化け物のはなし







 ある日突然、その人は塔の中に投げ込まれてきた。


「どうした。食えばいい」


 僕を睨め付けてそう言う。長く伸びた髪は乱れ、服はボロボロだった。腕や足は枯れ木のように細い。


「あんたなら、あたしなんて丸呑みにできるだろう」


 挑発するように笑う。あるいは、自嘲するように。

 僕は化物だ。多分、人間も食える。食ったことは一度もないけれど。

 追いやられ、虐げられる内に僕は人の言葉を覚えた。言葉を発する器官を持たないため話すことはできないが、聞くことはできる。長く罵倒される内に僕は人間が怖くなり、食おうなどとは思えなくなった。


「……食わないの?」


 その人は怪訝そうに眉を寄せる。僕が部屋の隅で縮こまっているのを見ると、拍子抜けしたように瞬きをする。

 塔の窓から吹き込む風がその人の髪を揺らした。

 南の空に輝いていた太陽が西に傾いた頃、その人はおもむろに立ち上がって窓辺に寄った。


「あたしは罪人だから、化け物に食われて死ぬのがお似合いなんだって」


 塔の窓から赤く染まる平野を見ながら、その人は訥々と語る。


「この塔には化け物が棲んでいるから、放っとけば食ってくれるだろうってさ」


 棲んでいるわけじゃない。ずっと昔に人間に閉じ込められたのだ。

 少しだけ憤慨していると、その人は不意に僕の方を向いて手を伸ばした。咄嗟に体を縮めたが、ぶたれることはなく、その人はただ慈しむように僕に触れた。


「でもあんた、よく見たら可愛い顔してるじゃない」


 そんなことを言われたのは初めてだった。今まで気持ち悪いだのおぞましいだのと言われてきたから、てっきり僕はそういうものなんだと思っていた。


「傷だらけだね、可哀想に……あんたも人間に虐められたの?」


 その人は僕の体を撫でながら、寂しそうに笑う。

 あたしと一緒だね、と。

 それから僕はその人と一緒に暮らした。塔の近くに伸びた木から果物を採り、雨の日は塔の屋根に登って水浴びをした。

 人間は乱暴なものだと思っていたけれど、その人は一度も僕を傷つけようとしなかった。

 彼女が塔にやって来てから、半分に欠けていた月は満月になった。まあるい月が山の向こうに隠れて、太陽が東に昇ると、塔の中に人間たちが攻め込んできた。


「魔女め、化け物を手下につけたな」


 人間たちは銀に光る硬い衣を着込んで、手には細長い牙を持っていた。人間はいろんな形の爪や牙を持っている。

 あれで傷つけられると痛い。それを知っていた僕は、すっかり竦んで部屋の隅に蹲った。人間たちは僕を見てぎょっとした顔をする。小さく悲鳴を上げる人もいた。


「汚らわしいワームが。なんという醜悪な姿か」


 先頭に立つ人間が不快そうに表情を歪める。

 縮こまる僕を庇うように、前に立つ影があった。長い亜麻色の髪が風に揺れる。


「あたしは魔女じゃない。ただ薬草に詳しいだけだ。なんにも悪いことなんかしてない」


 僕の前に立ったその人は、堂々と胸を張って言い放った。


「……この子も化け物じゃない。優しい子だよ」


 その人は僕の頭を撫でてそう言う。髪についていた泥は雨に流され、今はその人の本来の姿がよく見える。

 その人は人間たちに向き直り、高く声を張る。


「異端を嫌って排除したがるあんたたちの方が、あたしにはよっぽど化け物に見えるよ。あたしたちが気に食わないなら、どうか放っておいてくれ」


 先頭に立つ男の気配が変わる。眦が釣り上がり、鋭い牙を振り上げた。


「生意気な……化け物が食わぬなら我らが手を下すまで!」


 あれで傷つけられると痛いんだ。考える余裕なんてなかった。僕と同じ思いをこの人にはさせたくない。

 気がつけば体を起こし、牙を剥いて咆哮を上げていた。ほんの少し威嚇するつもりが、部屋の天井に届くほど頭が持ち上がっている。僕はいつの間にこんなに大きくなっていたのだろう。

 人間たちが悲鳴を上げてひっくり返る。

 この隙に逃げよう。

 僕はその人を背中に乗せ、塔の屋根を破って外に出た。ずっと折りたたんでいた翼を久しぶりに広げてみる。上手くいくか不安だったけれど、ちゃんと風を掴むことができた。


「あんた凄いじゃないか。飛べたんだね」


 その人は大きな声でそう叫ぶ。風を切る音に負けないように。

 そうだ。僕は飛べたんだ。あんな塔の中にいなくたって、何処にでも行ける。

 僕でさえも忘れていた僕のことを、その人は思い出させてくれた。


「いい眺め」


 その人がいつもより弾んだ声で言う。

 青い空と、どこまでも広がる緑の大地は確かに美しかった。小さな塔の窓から見るそれよりも、ずっと。

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