晩夏には別れを
浴衣、花火、恋人
夏祭りの日しか会えない幼馴染みのはなし
今年も短い夏が終わる。
降りしきる蟬しぐれがふつと途切れて、かろん、と涼やかな音が境内に響いた。木陰の石段に腰掛けていた拓海は顔を上げる。次の瞬間、視界が白く塗りつぶされた。慌てて手をつき、前のめりになった体を支える。
「……夏帆」
香る匂いで、顔が見えなくても彼女だとわかった。
「バカか、お前。二人して転がり落ちるところだっただろうが」
「ごめんなさぁい」
背中から飛びかかってきた彼女は、ちっとも反省した様子を見せない。叱責を聞き流して立ち上がると、薄い胸を張って得意げに笑った。
「それより、この浴衣どう?」
夏帆が着ているのは、白地に青い朝顔の柄を散りばめた浴衣だった。それを濃い紺色の帯で締め、小さな朝顔の石細工を垂らした帯留めをつけている。
「うん」
「うんって何?」
「良いと思うけど」
「それだけ!?」
それだけ?それ以上に何か必要なのか。
そんなようなことが見事に顔に書いてある拓海を見て、夏帆はそっぽを向いて舌打ちした。
「はぁもう、拓海、毎年それ。お洒落のしがいがないよ」
「別に何着ようがたいして変わんね……」
夏帆に睨まれて、彼は慌てて口を閉じる。そのあと必死で「似合ってる」とか「すごく美人」だとか褒めちぎり、拓海はやっと彼女のお許しを貰った。
「どうする?だいぶ時間早いから、お祭り行く前に参拝していく?」
夏帆が石段の向こうにある神社の本殿を指して言う。拓海は無言で首を振った。少し早いけれど、二人は屋台の出ている街道へ向かった。
「焼きそば、たこ焼き、りんご飴」
指折り数えて、夏帆ははっとして付け足した。
「カキ氷!あとクレープも!それに焼き鳥とわたあめと……」
「アホ。そんなに食えない」
冷静な指摘を受けて、夏帆は素直にそうだね、と頷いた。
「じゃあ取り敢えず、りんご飴で」
「いや、俺それ嫌い……」
結局、夏帆に押し切られてりんご飴を買った。串に刺さった真っ赤な林檎が、キャンディに包まれてきらきら光っている。恐る恐る一口かじるけれど、見た目通り甘い。ものすごく甘い。渋い顔をしながら黙々とりんご飴を食べる拓海を見て、夏帆は不満そうに「私は好きなんだけどな」と呟いていた。
金魚すくい。射的。ヨーヨー釣り。一通り祭りを楽しんだ頃には、辺りは丁度いい具合に暗くなっていた。花火を見に行くのだろう人々が、同じ方向へ歩いてゆく。
「わあ、きれい」
その人ごみの中で、不意に夏帆が声を上げた。彼女の目はある屋台に釘付けになっている。拓海も彼女の肩越しに覗き込んで、なるほど、と思った。
いくつもの小さな四角形に区切られた箱の中に、鮮やかな色の金平糖が敷き詰められている。赤、オレンジ、黄色、緑、紫、ピンク。端の方には、これまた色鮮やかな飴玉も入っていた。
女の子が好きそうな代物だ。
夏帆はため息をつきながら、うっとりと金平糖の山に見入っている。
「すみません、一袋詰めてください」
拓海は特に躊躇いもせず、店主と思われる年配の女性へ声をかけた。彼女は見事な手際で細長い透明な袋に金平糖を詰める。上から赤やオレンジ、黄色に緑。下の方には紫と、金平糖の七色詰めが出来上がった。
「……それ、私の?」
代金を払って屋台を離れたあと、拓海が手に持っている金平糖を見て、夏帆がそっと聞いてきた。二人は人の流れを無視して、神社の方へと向かっていた。
「うん。俺は甘いの嫌いだから、夏帆が全部食べればいい」
「ごめんね、りんご飴無理に食べさせて。来年は拓海の好きなもの食べようね」
そう言って彼女は力なく笑った。生ぬるい風が首筋を撫ぜる。もうすぐ花火が始まるだろう。花火が始まって、終われば、祭りも終わる。終わりへと向かう夏の気配を感じて、快活な彼女もこのときばかりは萎れる。だから拓海も、この時間は苦手だった。
あ、と彼女が声を上げる。
「……この貼り紙、まだそのままなんだね……」
神社に向かう道の途中、足を止めた彼女がぼんやりと眺めているのは、もう七年も前に起きた事件の貼り紙だった。幼い子どもが夏祭りの日に消えた事件。当時は神隠しだと騒がれていた。
いつまでも歩き出そうとしない夏帆の手を掴み、拓海は彼女を引きずって歩き出した。
神社の境内へと続く階段をのろのろと登り始める頃には、花火はもう始まっていた。本殿を素通りして、二人は神社の裏手にある草むらに腰を下ろす。知る人は二人の他にはいないけれど、この場所はなかなか綺麗に花火が見えるのだ。
きつく手を握り合って、光の瞬く空を見上げた。
「……綺麗だね」
彼女が小さく呟く。拓海は答えず、代わりに彼女の手をしっかりと握りなおした。
ドン、と腹に響く音と共に、光の飛沫が上がる。
参拝なんかするもんか。絶対にしない。俺は、この神社の神様だけは絶対に拝まない。
拓海は心の中で呟き、眉間に深い皺を刻んだ。
「夏帆」
「なに?」
「来年も会いに来る」
だから待っててくれ。
振り絞った声は、花火の音と閃光にかき消されそうだった。それでも彼女は嬉しそうに目を細めて笑った。
「うん、待ってる」
その返事をかき消すように、ドン、と最後の花火が上がる。
隣へ視線を流すと、そこに人影はなかった。ぱらぱらと落ちる花火の欠片が頬を照らす。
拓海は無言で立ち上がった。足元で、何かがかさりと音を立てる。
金平糖の袋が所在なさげに転がっていた。
拓海はおもむろにそれを拾い上げて握りつぶした。濃紺の空には、尾を引いた花火の残滓が残るだけだった。
今年も短い夏が終わる。
彼女が消えた夏を、今年もまた、繰り返す。
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