夫婦のご飯のはなし
聖人、日本の、勝利
夕餉の際、彼は決まってお行儀良く手を揃え、いただきますと厳かに述べてから料理に箸を伸ばす。
「清子の飯は美味いなぁ。和食は日本の宝だ。洋食も勿論美味いが、やはりこの素朴な味わいが俺の舌には馴染む」
率直に褒める言葉は、私の頬を染め肩を竦めさせる。褒めてもらえるのは素直に嬉しかった。はにかむ私の前で彼も相好を崩す。結婚した当初は目も当てられなかった料理の腕は、少しはましになったようだと、彼のその顔で悟った。かちゃかちゃと、食器と箸が擦れ合う音が穏やかに続く。
彼は食べ終わると箸を揃え、食べる前と同じように、お行儀よく手を合わせた。
「ごちそうさま」
と彼が言う。
「お粗末様です」
と私はいつも通りに微笑み返す。
ところがそんな私を見て、なぜか彼は居心地が悪そうに身じろぎした。そして首の後ろに手をやり、気まずそうに視線を彷徨わせる。言いづらいことがあるときの彼のくせだった。
「清子」
「はい」
「俺はな、ほんとうにお前には感謝している。お前がうまい飯を作ってくれたから、それを糧にして戦うことができる」
彼は揺るがない決意を秘めた目で私を見つめた。
「そして必ず、勝利を持って帰ってくるよ」
私は静かに微笑み、頷き返す。それなのに彼の表情は曇ったままだった。
「だから、そんな顔をするんじゃない」
その言葉を最後に、食卓には沈黙が降り続けた。指でなぞれば、降り積もったそれが細い道をつくっただろうと思う。
それから幾許かの時が経ち。
約束を信じて待った私の元に、彼はとうとう帰ってきた。そうなってようやく、私は聖人の振りをやめて人間に立ち返ることができたのだった。
最後の食事が固い麦ご飯にひと椀のすいとん汁だけだったことがひどく口惜しい。いまの私の腕前ならば、彼の好物だった鰆の煮付けだって、きっと上手に作ってみせたのに。
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