幕切れ
隊長、最終回、カラオケ
騎士隊長と王女と騎士の、呪われた運命のはなし
ころん、とグラスの中の氷が溶けて澄んだ音を立てた。
もう日付けの変わり目も近く、夜更けのカラオケボックスには人の気配も少ない。会社の仲間と飲みに行ったあと、二次会と称し、大声を出すことで鬱憤を晴らしにきたのだった。といってももうほぼ人はいない。残ったのは鳶田と、同輩の嘉島の二人だけだった。
「終電、無くなっちゃいますよ」
嘉島の口調といったら、まるで他人ごとだ。実際そうなのだろう。奴は終電を逃したくらいで慌てやしない。ネットカフェにでも行って時間を潰すなりして、上手くやり過ごすだろう。
鳶田はそう当たりをつけ、別に構わない、と無愛想に返す。はあ、そうですか、と彼は興味がなさそうに目を逸らした。
「そうだ。以前鳶田さんが貸してくださった小説ですがね」
嘉島が唐突に話題を変える。鳶田も特に驚かない。彼に関して言えば、こういう気まぐれは珍しくないのだ。
「とんだ駄作でした。特にあのラストがいけない。あれが全てを駄目にした」
人に勧められたものを、こうも無遠慮に貶すことができるのも、奴だからこそだろう。こういう人間だとはなからわかっていたので、鳶田は気分を害することもなく、そうか、と頷く。
小説の筋書きは、実によくある喜劇だった。ある国が他国に侵略され、王族の中で唯一生き残った国王夫妻の娘が騎士たちと共に亡命した。ところが、騎士の一人は裏切り者であった。彼は王女を殺害し、逃亡。逃げた彼を、騎士隊の長を務める男が追った。追ったところで、担ぐべき御輿は既になく、王国再興の道は閉ざされたというのに。
彼を突き動かしていたのは強い執念だった。王女と騎士隊長は恋仲だったのだ。身分の違いから、決して花は咲かない愛だった。
騎士隊長はついに裏切り者の首に爪をかけた。ところが彼はその首を掻き切ることができなかった。
なぜ、部下が王女を殺したのか。その真実を知ってしまった。王女自ら、死を望んだのだという事実を。まだ年若い少女は、期待と責任を全て背負って地を這い、戦うには幼すぎた。
騎士隊長は裏切り者を裁くことはせず、その罪に赦しを与えた。
「実に陳腐だ——復讐は、遂げるべきだった」
そうは思いませんか、と彼は笑う。
「奇遇だな。俺もそう思っていた」
ころん、と再び溶けた氷が音を立てる。歌声が溢れかえるはずの部屋は、不気味なほどに静まりかえっていた。
「ところで知っていますか。あの話は、史実が元になっていることを」
「知っているさ」
知らない方がおかしい。
聞こえるか聞こえないかくらいの声で鳶田は付け加える。
そう、鳶田はずっと知っていた。
彼がよく話の腰を折って仲間を困惑させることも、自由気ままで細かいことは気にしない性質であることも。猫のような身勝手さを持つ割に、意外と情に厚いことも。
ずっと昔から知っている。
「……しつこいですね、隊長。まさかこの時代まで追いかけてくるとは思いませんでした」
呆れたように笑うこの顔も、鳶田にとっては慣れ親しんだものだった。
「だがもう逃げるのにも飽いた。ご存知ですか、隊長。私は王女を愛していた。苦しむ彼女を放っておけなかった。赦しなんて望んでいません、私はずっと」
「それ」
嘉島の言葉を遮り、鳶田は先ほどからころころと鳴いているグラスを指差した。中身が半分ほど減ったウーロンハイの波の中で、氷がゆらゆらと揺蕩う。向かいに座る嘉島をじっと見据え、鳶田は少し上ずった声で聞いた。
「飲まないのか。もう随分生ぬるくなったんじゃないのか」
問われた方は、一瞬けげんそうに首を傾げる。しかしその目に合点したことを示す光が宿るのに、そう時間はかからなかった。
ああ、と彼はうっすら口元に笑みを忍ばせる。
「謹んで頂きます」
嘉島は、カラオケ店の安っぽいグラスを、まるで聖杯か何かを扱うように恭しく手に取り、掲げる。
「昨今のドラマの陳腐な最終回より、あの小説のご都合主義なハッピーエンドより」
こっちの方が、ずっと美しいとは思いませんか。
彼は意味のわからない言葉を最期に残して、景気よく酒をあおった。
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